スパイス

 狭いキッチンにふたり並んで立つと、時おり腕と肩がこすれあった。肌と肌のあいだには互いの汗がまとわりつき、触れながら舐めあっているようでもあった。断罪はそのたびに軽く奥歯を噛みあわせた。
「沙々奈、人参」
「ちょっと待って、まだ全部切れてない」
「無理に大きさ揃えようとするなよ」
 手を休めるとすぐ鍋底に焦げ付いてしまう鶏肉と玉葱を炒めながら、断罪はTシャツの袖口で頬の汗を拭った。キッチンは風が通らず、換気扇も音ばかりで弱々しく、全身から汗が滝のように流れた。火元の前はさらに暑い。
 だが沙々奈の包丁さばきを見ていると、その暑さも寒気に変わる。あまりにも危なっかしく、見ていられない。
「やっぱりおまえが炒めろ」
「う……だ、大丈夫」
 声を震わせながら沙々奈は鮮やかな人参を切り分けていく。その手元が急にぐらついた。あっと短い声がもれる。包丁の切っ先は人参の上をすべり、沙々奈の白い指先を掠めていった。
 断罪の視界に、これまで繰り返してきたいくつもの命の、その終わりの景色が陽炎のように揺らめいた。断罪はたまらず沙々奈の手をとり、傷を口に含んだ。
「お兄ちゃん……」
 沙々奈は驚いたようだったが、拒むことはしなかった。断罪は歯の裏に当たる沙々奈の爪をやわらかく感じながら、舌で指先を包み込んだ。口の中には痺れのように沙々奈の血の味が広がっている。甘く、苦い。沙々奈は息をとめているようだった。その姿があまりにいじらしいので、断罪はそっと指を放してやった。
「気をつけろよ」
「うん」
 もう片方の手で指先を覆いながら、沙々奈は小さく微笑んだ。それはささやかだがたしかな幸福のため息だった。断罪はどんな顔をすればいいのかわからず、眉間にしわを寄せた。
「絆創膏、貼ってくるね」
「ああ」
 喉に残る血の味と、夏の蒸れたにおいが混じって、素手で情動に触れられるような心地がした。そこへ、焼かれたタイヤのようなにおいが分け入ってきた。
 断罪ははっと気づいて鍋の火をとめた。
「あぶね……」
 かろうじて炭にならずに済んだが、今夜のカレーはとても個性的な味になりそうだった。