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由稀にとっては、わからないことだらけだった。何もかもが自分から遠すぎる。全ては手の届く場所にあるはずなのに、腕の中をすり抜けていく感覚が、じんじんと残っている。由稀は凍馬が出て行った扉を見つめながら、今までに起こったことを思い返していた。
始まりはなんだったのか。旅路で瞬と出逢ってから。亜須久が店を訪れた時。由稀は心の中で首を振った。
違和感が胸中を漂う。軽くなった手首を撫でる。
そう。全ては自分が生まれたときから始まっていたのかもしれない。物心ついた時から、ずしりと重かった枷が外れた。あれは、何かの象徴。自分は、ようやく自分自身と向き合うのか。何が本当で、何が偽りなのか。
自分は何ものなのか。
違和感の黒幕は満足げに引き下がった。
鬼だ。
思い出すとぞっとする。自分の取った行動が嘘のようだが、はっきりと残る体中の痛みが、由稀を混乱へと突き落とす。今はまだ、自分のことですらわからない。知覚は全て誰かの夢のようだった。
一応の話は凍馬から聞いた。納得できるはずはなかった。もちろんそれが解決や慰めになるものではないと知っていた。知り得た情報が少ないわけではない。しかし、今からどんなに大量の情報を手にしたとしても、何も変わりはしない。何もかも、各々の内側にかかっていた。
由稀は部屋の中をぐるりと見渡した。にわかに立ち上がると、頭を下げた。
「ごめん」
紅を除く全員が注目した。
「由稀」
玲妥が怪訝そうに呼びかける。自分がどれだけのことをしたのか、由稀はいたく理解していたから視線も向けられなかった。今はただ不安を押し隠し、不知を欺くだけである。紅が煙草に火をつける。少し、自分の行為の無意味さを目の当たりにする。由稀には、紅の手の震えが見えなかった。
「被害状況は分からない」
固まりきった空気の中を、亜須久の声が響いた。眩暈がして、由稀の拳が力む。亜須久はいたって平静だ。
「人死にが出たかもしれない。今頃は復旧作業も始まって大騒ぎになってるだろう。こうやって、俺たちの知らないところでな。由稀、何も出来ないんだよ。お前の気持ちが想像出来ないわけじゃない。だが、お前が謝ったところで、どうにもならない」
「そんなつもりは」
「想像出来ると言ったはずだ」
由稀の頭はまたうな垂れた。亜須久の溜息が耳に響いた。
「由稀、俺は何もお前を非難しているわけじゃない。ただ、お前自身がやったことを、ここで消去したり否定したりして欲しくないだけだ。もしあの時、お前が行動していなかったらどうなっていたかと、少しは想像してみたか」
「そんなこと」
由稀は自分だけで手一杯だった。
「俺は夜上みたいに、考えてからの行動なんて出来ないんだ」
「そんなことは聞いてない。今、考えてみろといってるんだ」
いつにない強い語調で言われて、由稀はようやく目を上げた。そこにはいつもと変わらない、冷静な亜須久がいた。それを見て、どこか落ち着いている自分がいた。
変化が多すぎた。
色々なものが由稀の指の間から、乾いた砂のようにこぼれ落ちていく。移ろいゆくものとは知っていても、認めたくはない。いつまでも。いつまでも。
ただ、ただ普遍を。
視線を落とすと、割れた遮光眼鏡があった。不意に喉の渇きに気付く。自分は泣いていたのかもしれない。
「何もかも、なくなってた。多分」
「おそらく、そうだろう。俺もそう思う。わからないことだらけだが、なんとか俺たちは生き残った。死んでいてもおかしくなかった。それを奇跡的に食い止められたのは、お前がいたからだ。被害は当然出ているだろう。情報を得るためにも、今はメプトリアへ急ごう。いいか、まず必要なのは忘れないことだ。お前の胸の中にしっかり刻み込んでおけ。そしていつかお前の中で浄化されるまで」
「きれいごとだな」