[ 前頁 ] [ 目次 ] [ 次頁 ]
表裏 6
それは思わぬ声だった。由稀は顔を上げて、声の主を見た。そこには、美しいままの瞬がいた。疲労や迷いすら、彼においては一片の魅力にしかなりえない。全てが彼の足元に跪いている。普遍が、永遠があった。彼の中には変わらない美しさが蔓延していた。
由稀は今更のように呆然と見とれてしまった。
「雁首そろえて、そんなきれいごとしか出てこないとは、見上げた奴らだな」
「外に馬車が来てるよ」
間延びした凍馬の声がいくらか空気を和らげた。不破や葉利が無言のまま部屋を出ていく。向こうからは弓菜の声がする。亜須久が立ち上がった。彼の目に瞬の変化は明らかだった。麻薬のように広がるその変化は、紛れもなく、鬼使の美しさだった。全身に震えが走った。畏れが。
「元気そうで何よりだ」
亜須久は殆ど苦し紛れだった。
「あぁ。まぁな」
瞬の機嫌はすこぶる悪い。亜須久は逃げるように馬車に向かった。その様子を冷静に見ていた加依も後に続いた。
「じゃあ、俺は帰るよ」
凍馬はそう言うと、指を交叉させて印を結んだ。
「さっさと帰れ」
「じゃあね、みんな」
「あ、凍馬さんっ」
何か大事なことを聞き忘れている気がして、由稀は凍馬を呼び止めたが、彼は明るく透明な笑みだけを残して、その場からすっかり消えてしまった。
視線は自然、瞬へと向けられた。
「羅依、あたしたちも、いこ」
その様子を嫌ってか、玲妥が羅依の手を引いて出て行ってしまった。部屋には由稀と瞬、そして微動だにしない紅が残った。由稀はふっと不自然な緊張を忘れた。
「色々、聞きたい」
「煙草」
「ねぇよ」
呆れ顔で由稀は溜息をつく。しかし、違うのだ。瞬は特別なわけではないのだ。彼も戸惑っている。どうにか落ち着ける方法を彼なりに模索しているのだ。そしてそれを由稀に求めた。そう気付くと、由稀は後ろを振り向いた。
「煙草だって」
しかし由稀の言葉に紅は全く反応を示さない。諦めて再び瞬に向き直る。視線が柔らかく混ざり合う。
どちらが勝ったでも負けたでもない。それによって釈然としないものは数多く残ったが、同時に由稀の中から瞬に対する苦手意識や嫌悪感が一切消えていた。
後悔はしない。
他の誰が異議を唱えても、自分自身だけは必ず自分を護ってやりたい。否定なんて、しない。
滑らかに絡まっていた視線が、力を持ち、一つの大きな意思になる。
瞬が口元だけで笑った。由稀も彼を真似た。
「先、行ってるから」
由稀は部屋から駆け出した。
聞きたいことは山ほどある。正直何もかもがわからなくて、破裂しそうだ。だが、ただ一つ。由稀は瞬を今でも信用していた。鬼使ではなく、瞬に対する絶対の信頼。それだけは、きっといつまでも変わらない。この先何があって、彼を疑う場面が訪れたとしても、最後には彼を信じてしまう。
なぜ……。
『痛みが知りたい』
月夜の下、交錯した願い。
ああ、そうか。
瞬の痛みに共鳴した。自分の中に棲む鬼が、本能的に受け入れた存在だったから。怖かった。けど、震える手で頬に触れた。
自分と同じ寂しさに苦しんでいると、鬼が同情の涙を流した。
せめて、夢をみよう、と。
玄関の大きな観音扉を開けると、一陣の風が頬をすり抜けた。広がる視界が空に近い。
何もかもが、こうあればいい。
全てが風のように流れればいい。
彼の痛みも。この切なさも。
全て。
[ 前頁 ] [ 目次 ] [ 次頁 ]