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 暴走 3

* * *

 ランカースは、商業の盛んな街だった。首都メプトリアは大陸南端のため、交通の便が悪い。物資は一度ここへ集められてから首都へ向かった。
 亜須久の耳に思念波が届いたのは、大通りに差し掛かった頃だった。一瞬、そばの誰かに話し掛けられたと勘違いし、思わず立ち止まる。
『おーい、亜須久、返事せぇ』
 声は不破(ふわ)のものだった。亜須久はすぐに歩き出した。
『悪い。どうも慣れないな』
 前を行く由稀らを呼び止めようとしたが、人波に阻まれる。仕方なく、亜須久は地図を見ながら思念波に集中した。
『それで不破、青竜(せいりゅう)は何と言ってた』
『それがな、ええらしいんや。思惑っつーか、魂胆が読めんのやけどな。是非とも来てほしいみたいやで』
『そうか、わかった』
 亜須久は胸を撫で下ろし、今朝の瞬を思い出す。彼は、望まないかもしれない。
『ところで亜須久、俺の声が届いたってことは、随分近くまで来てるんちゃう』
『ちょうど今、ランカースの大通りだ』
『分かった。ほな、迎えの馬車出すわ。疲れてるやろ、一気に来ぃや』
『助かる』
『俺な、今回だけは青竜に感謝してんねん』
 不破の声から普段の陽気さが消える。亜須久は違和感に眉を寄せて、黙った。
『はよ、鬼使におうてみたいわ』
『不破も、あの時を覚えている口か』
『よぉ覚えてる。想像しただけで背筋がぞくぞくするわ。あれだけの化けもん、そうそうおらんで』
 亜須久は鬼使に興奮する不破が意外に思えた。少しでも興奮の源を探ろうと、話を繋ぐ。
『しかし、実物は思っているほど凶悪な男でもない。悪魔でも化け物でもなく、瞬も俺たちと同じように生きている、普通の男だ』
『嫌やなぁ。あんま、がっかりするようなこと、言わんといてくれや。楽しみにしてんねんから。人殺すって、鬼使にとってはどんなもんなんか話してみたいわ』
 あまりの無邪気さで、亜須久は返す言葉を失った。黙れば思念波は本当の無言になる。不破は沈黙を嫌った。
『今から馬車呼んだら、飯食って、休憩して、せやな、大通り抜ける頃には間に合うと思うで。なるべくええ馬選んだる。逐次連絡するし、頼むで』
『ああ、わかった』
 雑音が混じり、通話は終わった。亜須久の黒い瞳は憂色に翳った。
 亜須久も初めて瞬に会ったとき、鬼使に対する好奇心があった。どんな男かと思う気持ちは、わからないでもない。だが不破の持つ興味は、大きさも方向性も亜須久には理解できないものだった。
 見るともなく広げていた地図をたたみ、担いだ荷物に押し込もうとする。肩が横を行く人に当たり、持っていた地図が落ちた。
「ごめんなさい」
 若い女性が慌てて地図を拾い、亜須久に渡した。
「いや、俺の方こそ」
 端の擦り切れた地図を受け取り、亜須久は小さく微笑んだ。女性は勢いよく頭を下げて、走っていった。その背中をしばらく見送って、亜須久は瞬の姿が見当たらないことに気付いた。
「瞬……」
 流れの妨げにならないよう、道の端に寄って辺りを見渡す。しかし人込みに、作り物のような薄茶色の髪は見つからない。亜須久は来た道を戻る。露店の店主に聞いて回るが、皆知らないと口を揃えた。急に、亜須久の中に焦りが芽生えた。今朝の瞬の焦燥が乗り移ったようだった。
「瞬、瞬!」
 名を呼べども、返事はない。亜須久は路地の脇で靴磨きをしていた少年に声をかけた。少年は靴墨に汚れた顔を上げた。
「そういや、さっき見たよ」
「どこへ行った」
「路地に入っていった。随分と磨り減った靴だったから、覚えてる」
「ありがとう」
 亜須久は少年に小銭を渡して路地へ入った。道幅は狭い。両腕を満足に広げられない。建物に挟まれた薄暗い路地は、昼だというのに闇が支配していた。
 道端に小さな光を見つけて立ち止まる。拾い上げて見ると、それはいつも瞬が使っていた銀色の火付け具だった。硬く冷たい感触が、亜須久の不安を煽る。
『干渉される義理はない』
 亜須久には、瞬が干渉されたがっているように思えて、仕方なかった。

 大通りは道幅も広いが、人も比例して多かった。加依は隣にいる玲妥が迷子にならないよう、自分の袖を握らせていた。
「今日のお昼ご飯、こんなにお店がたくさんあると、悩むね」
「そうですね、久しぶりに六人ばらばらになるかもしれませんね」
「やだな、みんな一緒がいい。ねぇ、そろそろ考えちゃおうよ」
 玲妥は加依の袖を引いて立ち止まった。少し後ろを歩いていた由稀と羅依を待つ。
「どうした」
 気付いた由稀は早足になって駆け寄った。羅依もすぐ後ろをついてくる。玲妥は目を輝かせて二人を見つめた。
「お昼ご飯、私はお魚がいいと思うの」
「は、何の話」
 由稀は助けを求めて加依に言った。
「ある種の交渉ですよ」
「交渉って、大げさな」
 羅依は苦笑した。
「夜上たちにも聞かなきゃ、達成できないよ」
「そうなの。でも、あーちゃんも瞬も、全然来ないね」
 玲妥は背伸びをして人波を眺めた。由稀が後ろから玲妥を担ぎ上げる。玲妥は短い悲鳴を上げた。
「こうでもしないと見えないだろ」
「嫌、おろして、おろしてよ」
「代表してちゃんと見ろよ」
「は、恥ずかしいからおろして!」
 腰を支える由稀の腕を、玲妥は両手で叩いた。
「あいたた。仕方ないなぁ」
 渋々、由稀は玲妥をおろした。振り返った玲妥が由稀を睨みつける。
「あ」
 羅依は玲妥の肩をたたいた。
「夜上来たよ」
「ほら玲妥、来たらしいぜ」
「またやったら、許さないからね、絶交だからね」
 頬を膨らませ、玲妥は由稀の腹を小突いた。
「あれ。様子がおかしいですね」
 近付いてくる亜須久を見て、加依が言った。走り寄ってきた亜須久は、ひどく汗をかき、息を切らしていた。
「何かあったのか、夜上」
 羅依の質問に、亜須久はすぐに答えられないようだった。何度も唾を呑み込んで話そうとするが、口から洩れるのは息ばかりだった。加依はそれが、ただ走ったからとは思えなかった。人込みを見渡して、気付く。
「亜須久、瞬の姿が見えませんが」
 乱れていた息が、凍りつくように整う。
「何か、用事でもあるんじゃねぇの」
「あるはずないだろう」
 投げやりな由稀の発言に、亜須久は厳しく言い放った。手に握っていた火付け具を見せる。
「道に落ちていた。瞬のものだ」
「事故か事件に巻き込まれたのでしょうか」
「考えにくいな」
「ええ。瞬に限ってそれはないですよね」
 加依はいつもと変わらず冷静だった。
「夜の間にいなくなることはあっても、昼間なんて。今までにありませんよね」
「それに、これがないと煙草が吸えない」
「そうですね、瞬には辛いことでしょう。でも、だとしたら、なぜ」
 街の喧騒が沈黙を際立たせた。羅依は輪から離れ、来た道を戻っていく。
「おい、羅依」
 由稀が追って人込みに紛れていった。
 加依は袖を引かれて玲妥を見た。
「どうしました」
 玲妥は空を見つめていた。じっと見つめていた。加依は彼女の視線を追って、青天を見上げた。
「何も、見えませんが」
「違うよ、ほら、向こう」
 震える手で、玲妥は空の端を指差した。そこには青天に釣り合わない黒い雲が蠢いていた。徐々に近付いてくる。
「前に、橙亜(とうあ)で見たのと似てるの」
「橙亜で……」
 加依は亜須久に聞こえないよう、小声で繰り返した。雨の中、玲妥と橙亜の街を走ったことを思い出す。
 玲妥は加依に抱きついた。
「怖い。あの雲、怖い」
 強くしがみついてくる玲妥の肩をさすり、加依は亜須久を振り向いた。
「亜須久、瞬は幻術を使うんですよね」
「ああ。あと、雷術も使う」
「雷……」
 暗雲は不安を吸い上げ、膨らんでいった。

 羅依は人の流れに逆らって走り出した。
「おい、羅依」
 後ろから由稀の声がしたが、取り合わずに走った。行き交う人々が迷惑げに羅依をよける。
「待てよ、みんなとはぐれるだろ」
 強引に肩を掴まれて引き止められる。羅依はせめてもの抵抗と、由稀の手を払いのけた。
「もう、はぐれてるよ」
「戻ろうぜ」
 冷ややかに言い捨てて、由稀は羅依に背を向けた。羅依は後ろ髪を引かれる気持ちで由稀に連なる。自分の中の激しい落胆に耐えられず、俯いた。ふと、足元の影がないことに気付く。空を見上げた。光がない。
 羅依の全身が恐怖に濡れた。
 空は色濃い雲に覆われていた。羅依は手を伸ばして由稀を探るが、指先は宙を掻くだけだった。
「由稀、由稀!」
「なんだよ」
 振り返った由稀は、羅依に倣って空を見上げた。
「なんだ、こ――」
 耳をつんざく爆発音が響いた。路地から突風が吹き出る。薄暗くなった街に、砂塵が舞う。街を往来していた人々は、悲鳴を上げて逃げ惑う。由稀と羅依はその場に立ち尽くした。視線の先の路地から、身を斬るような《気波動(きはどう)》が漂っていた。息苦しさが体を圧迫する。
 羅依は知っていた。この不快に覚えがあった。背中を汗が流れていく。
 かつて、夜の闇の下、血の臭いに満ちた場所で、この《気波動》に絡め取られた。
 煙の向こうに、人影が浮かぶ。
 羅依は無意識のうちに、一歩下がった。背中が由稀に当たる。羅依は震え上がって振り返った。涼しげな彼女の顔立ちには、恐怖が張り付いていた。由稀は彼女がどこへも行かないように、しっかりと肩を掴んだ。
「しっかりしろよ」
「ゆうき」
「どうした」
「逃げなきゃ」
 羅依は首を振りながら由稀に縋った。由稀は砂煙の奥を睨みつけた。細い影がこちらへ歩み寄ってくる。
「由稀、早く」
 肩を掴んでいた手を掴み返し、羅依は由稀を引いて走り出した。だが、鼻先を青い光がよぎった。羅依はのけぞって止まった。
 背後から、笑い声がした。
「いい反応だ」
 白い煙は、次第に風に流されていく。隙間から、作り物のような薄茶色の髪が、風に揺れるのが見えた。由稀はとっさに背中に羅依をかばった。
「まるで騎士だな、由稀」
 頭上から雷鳴が響く。地面を青い光が走る。
 深緑の瞳が、笑っていた。
「瞬」
 由稀は煙の奥から現れた姿に息を呑んだ。だが、頭の隅に、どこか冷め切った自分がいた。背後にいる羅依の体は、かわいそうなほど震えていた。由稀は正面の男を見据えた。
「何の真似だ」
 曇天が由稀の肩に重く伸し掛かるようだった。男は楽しそうに笑った。
「面白そうだから」
 細くしなった深緑の瞳には、世界を統べるほどの美しさが滾っていた。彼は指先を目の高さに上げて、軽く曲げた。由稀の後方にあった建物が、破裂した。
「くっ」
 羅依の体を抱いて倒れこんだ。飛んでくる礫から守る。頬を掠めた破片が、由稀の肌を裂いた。飛び散った血が、地面に染みを作る。
「由稀」
 羅依の白い肌に、由稀の鮮血が滴った。由稀は満面に笑みを作った。
「平気」
「ばか。お前にはこの《気波動》がわからないから、そういうこと言うんだ」
 守られるばかりを嫌って、羅依が腕からすり抜けた。
「羅依!」
 由稀と男の間に立ち、彼女は腕を広げた。
「どういうつもり。何が目的」
 羅依は両手に素早く短刀を握った。
「返答次第では、この刃がお前の喉を掻き切るぞ、鬼使」

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