深夜ドラマは30分ものに限る

 啓太あんた仕事休めないんでしょ留守番よろしく戸締りと火の元しっかりしてちょうだいよあんたいつもいい加減な……
 プツッ。
 留守電を途中で切る。食卓にはカップ麺がピラミッドのように積まれ、妹の字で食べてね(はぁと)とメモが残されていた。思わず鞄を振りあげようとしたものの、体のだるさにその気も失せた。
 このご時世に新卒で内定もらって早数年、ペーペーだったおれも新人研修する立場になった。しかしこれがジェネレーションギャップでつらい。おれほんとにこいつと小学生時代かぶってんの。ポケモンつったら赤緑だろ。おれもジャンプといえばドラゴンボールかワンピースかで先輩におんなじ思いさせた罪人だけど、おれアニメ知ってるからね! でも奴は赤緑? ってぽかーんだったからね!
 極めつけにおれ以外の家族はハワイですって奥さんどこの世界にこんなギリギリの息子残してく家族が……いるんだなこれが! いまどき海外=ハワイとかないけど、ないけどさ! この際、会社以外ならどこでもいい! 行きたい! 生きたい! いっそ逝きたい! アステカ終末予言という一縷の望みも失った今、頼みの綱は宝くじか宇宙人侵略か地底人の逆襲か宝く以下略。
 激しく腹が減っていたので苛立ちはメモにぶつけて成仏。のそのそとカップ麺のビニールを破った。
 落ち着いて考えれば今日から一週間、この家はおれだけのものなわけで。ソファに寝ころがって煙草を吸おうが、ビールの空き缶が散らかっていようが、エアコンの設定温度を二十四度にしようが、誰にも咎められない。これはなかなか快適かも。
 テレビは深夜枠に突入していた。バラエティ、ニュース、アニメとチャンネルを替えて、ドラマのオープニングで手をとめる。『ニート探偵の事件簿』だ。気付けばなんとなく毎週見ている。
 社会性はないが頭のキレがいい探偵と、善良だが運の悪い助手が、行く先々で事件に巻き込まれるも見事解決に導くドタバタ推理物だ。深夜の三十分ドラマということもあって、ノリで楽に見られる。上司のニート息子を社会復帰させるため面接先を探しては連れて行くという、本来の仕事とは一切関係ない業務を押し付けられた若手刑事・蓮見を見ていると、おれなんか恵まれた方だなと思って救われる。
 事件は会議室でも現場でもなく、常に面接先で起こった。今週は町から離れた場所にぽつり建つ洋館での住み込みだ。空模様も怪しく、ロケーション的にはバイトの面接より殺人事件が似合う。もう効果音的に絶対に人が死ぬ。出迎えたメイドもビデオの井戸から今しがた出てきたような風貌で呪われても文句は言えない。さえない黒縁眼鏡をかけたニートは逃げ出そうとするが蓮見に引きずられるようにして客間へ向かった。
 吹き抜けの窓に大粒の雨。奥からは言い争う声がした。複数人だ。男女入り混じっている。メイドはドアを開けるのを一瞬ためらったが、呪いのノックで瞬時に黙らせ二人を通した。
 客間にいたのは女一人と、男三人。男は一人がヅラ、一人はエリート眼鏡で、一人はチャラいイケメン。女はこの館の主人らしく、赤い口紅がよく似合っていた。彼女は無礼を詫び、ニートと蓮見をソファへ促す。男三人は部屋から出ていくでもなく、少し離れたバーカウンターで水割りを飲んでいた。壁の写真には四人の少年少女が緊張した面持ちで写っていた。壁の高い所には小さな窓がある。バーの雰囲気を出すためか、他に窓はない。
 ニートはソファの上で膝を抱え、スマホでゲームをしていた。男らのことが気にかかるのか、時おり顔をあげて様子を窺っている。蓮見は面接の話を切り出すが、女はどうも歯切れが悪い。彼女は癖なのか胸にさげたペンダントをいじりながら、メイドが運んできた紅茶の表面をじっと眺めている。どこか寂しげな横顔に、蓮見は具合でも悪いのかと訊ねるが、女は知的でエロい唇に笑みを浮かべて、待っているのだと呟いた。
 その時だった。テレビのこちら側は突然明かりもテレビも消えて真っ暗になった。停電だ。えー、まじですか。このまま寝てしまうのもアリだが真っ暗では困る。てことでスマホを掴みとるも充電が死んでいた。……まあいい。住み慣れた我が家にいるのだ、目を瞑っていても歩ける。及び腰になりながら壁伝いに廊下に出る。途中、家具に足の小指をぶつけて声を殺したが、玄関横のごちゃごちゃした棚に懐中電灯を発見する。しかしこれまたお決まりのように電池がない。
 こうなれば奥の手だ。よろよろと和室に入り仏壇(があると思われる方)に手を合わせる。そこからロウソクとロウソク立てを拝借した。火をつけると辺りがムーディーに浮かびあがる。ため息とともにソファに腰をおろした。
「助かりました、蓮見さん」
「いやいや」
 すぐそばから聞こえた礼に応えて、はたと我に返る。おそるおそる声のした方を見やると、そこには若い男が座っていた。
「ぎゃあああああ!」
「うわあああああ!」
 おれが叫ぶと、向こうも声をあげた。
「なんでうちに人がいんだよ! 誰だよおまえ!」
「だだだ誰ってひどくないですかっ? だいたい蓮見さんがこんなところに連れてくるから!」
「蓮見ぃ? 人違いだ、おれの名前は」
 ん? こいつの顔どっかで見た。
「あ。ニート探偵」
「その呼び方やめてください! ひきこもりますよ!」
 どんな脅しだよ。
 しかし俳優だから当然のことだが爽やかでかっこいいな。ださい眼鏡もむしろ粋だ。こんなイケメンがひきこもりニートだと? 世の女子が放っておくかよ。フィクションとは時に残酷だ。
 ……で。なんでこいつがここに?
「雷ですかね」
 男の声がして、ついで人影がぬっと明かりの中へ押し入ってきた。眼鏡とヅラとイケメンだ。
 突然のことに眼鏡はやや憤慨しているようだった。イケメンは落ち着き払った様子で原曲の定かでない鼻歌を歌っている。ヅラのヅラはありのままのヅラになろうとしていたが、どうやらヅラは気付いていない。
 こいつらまでいるとなると、闖入者はおれの方らしい。おれはあの停電で『ニート探偵の事件簿』の世界へ迷い込み、蓮見と入れ替わってしまったのだ。よく見るとローテーブルの上は片付いて、ソファだって高級車(※イメージ)みたいな座り心地だ。馴染みがあるのはロウソク立てだけだった。
 空調が止まってしまい、部屋はじわじわと蒸し始めていた。眼鏡は曇る眼鏡を拭きながら明かりの届く範囲を見渡した。
「透子は?」
 そういえば女主人の姿がない。明かりが消える前、彼女は確かお誕生日席にいたはず。そう、蓮見……いやおれの斜め前に。
「あのぉ」
 暗闇へ声をかけるも返事はない。おれは明かりを向けた。
 一人掛けのソファにはゆったりと腰かける女主人の姿があった。だが彼女の胸には短剣が突き刺さ……あっ、この人普通に息してる。
「ひっ」
 イケメンがイケメンらしからぬ悲鳴をあげて椅子から転げ落ちた。いやいやいや、このお姉ちゃん生きてるからね?
「大丈夫、この人息してます」
 にこやかに宥めるも、誰もおれの話なんぞ聞いていない。
「まさか、こんなことになってるなんて」
 それはあんたのヅラに言いたい。
「ひどい。一体誰が」
 眼鏡は沈痛な面持ちで呟く。いやだから死んでないって。
「おい、ふざけんなよ! こんな……」
 イケメンが駆け寄って縋りつく。部屋には嗚咽が響いた。
 彼らの目には彼女が死んでいるように映っているらしい。んなバカな。……いや待てよ。ここが本当にドラマの世界なら、あらゆる事象は決まり事で進行していくのかもしれない。胸に短剣を突き立てて一言も発さないということは、すなわち死の表現なのだ。
 ニート探偵の世界にいるという実感がじわじわと湧いてくる。どうしてとか、元の世界に戻りたいとか、そういう定型句は不思議と浮かばず、いっそ冷静になる自分がいた。この状況でそんなこと言ったってしょうがない。新人との意思不通に比べたらずっと天国だ。
「失礼ですが、皆さんは彼女とどういった?」
 社会人として培ってきたコミュ力と適応力をいかんなく発揮して、おれは蓮見になりきることにした。
「それは……」
 男どもはあからさまに嫌な顔をする。あっそうか、こういうときはこれだ。ポケットから警察手帳を出して、こういうモノですとドヤる。
「警察の方だったんですか。それは通報する手間が省けますね。ちっ」
 し、舌打ち? 眼鏡いま舌打ちしたね?
「ぼくたちは彼女のこ、恋人ですよ」
「三人とも?」
「え……ええ、つまり三股ですね」
 ヅラがづられ……違った、ずれたままヅラが答える。
「では今日はどうしてここに。修羅場的なアレですか」
 部屋の中から言い争う声が聞こえていたことを思い出す。おいおい、なんでそんな修羅場でバイトの面接なんてしてんだよ。部屋変えろよ。
「はい。申し遅れました。わたしは新都銀行の金目と申します」
 眼鏡が名刺を差し出した。いつもの癖で恭しく頂戴する。
「ぐすっえぐっ、ムゥ☆ショックでホストやってます……、燦流です」
 続いてイケメンが鼻水をぐずぐずさせながら名刺を出した。
「ぼく名刺ないんですけど、整体師の技万です」
 おれは頭の上の方を見ながら、そうですねと微笑んだ。
「少し事態を整理しましょう」
 停電前、三人はバーカウンターにいた。ここからは大人が歩いて五歩あるかないか。ソファには蓮見とニートが座り、斜め前には女主人がいた。彼女の背後にはメイドが控えていたはずだが今はどこにいるのやら。天候不良で薄暗いとはいえ、扉を開ければここより明るいはずだ。しかし停電してからは暗いまま。つまりこの部屋はいわゆる密室。そして犯人はまだこの部屋にいる。
 眼鏡が眼鏡をくいっとして、勝ち誇った顔になる。
「とても暗くて、ロウソクが灯るまで動きようがなかったですね」
「つまりぼく達には無理ですよ」
 ヅラは額に浮いた汗を拭いながら顔を歪ませる。
 そんなに身動きがとれないものだろうか。おれは自宅とはいえロウソクに火をつけることができた。逆に慣れない場所ならなおさら状況を把握しようと何らかの手段をとったはず。
「皆さん携帯電話などで辺りを見ようとか」
「あ、いや充電が」
「わたしも」
 言ってる矢先に誰かのラインが通知をよこす。彼らは一斉にスマホを取り出した。怪しいにもほどがある。
 横からぶつぶつと声がする。おれはニートにそっと耳打ちした。
「便所か」
 奴は微かに笑ってる。イケメンでなければ見るに耐えない表情に、おれははっとする。
「わかったのか」
「まあ」
 ニートは眼鏡を外しておれに押し付けた。
「なんだ」
「ぼくのは雲ってない」
「はあ」
「どうして停電したんだと思います」
「そりゃ雷とか、電気工事とか」
 話がばらばらだ。こいつ人に説明する気あんのか。ニートはスマホを見ながら早口で話し始めた。
「周辺の落雷や事故の情報はありません。そもそも雷鳴や振動を感じましたか。停電はここだけという可能性が極めて高い。ところでメイドさんはそこにいますか」
「はい」
 闇に顔が浮かびあがる。明かりを下から当てるんじゃない怖いから。
「ブレーカーはこの部屋ですか」
 メイドは答えない。だが強張った表情から肯定であることが窺える。
「彼女のペンダントがない」
「ペンダント?」
 明かりを向けてみると、その通りだった。胸に突き立てられた短剣にばかり目がいって気付かなかった。ふと元カノに言われた啓太ってほんと何にも見てないよね、という別れの言葉を思い出して肴は炙ったイカでいいような気持ちになる。
「短剣の角度。あんなに垂直に刺さるものでしょうか。座ってる彼女を正面から刺そうとすれば短剣の柄は上を向くか下から突き上げたような形になりませんか」
 ニートはおれを彼女に見立てて刺す真似をした。あれだけ深く突き刺そうとすると確かに難しい。しかも暗闇で、だ。
「ただし出来る人がいるんです。事情はあなたの方が詳しいでしょう金目さん」
 眼鏡が肩をびくりと揺らした。
「さあ、何のことだか」
「眼鏡が曇っていたのは冷気の溜まる場所に長くいたから。冷気は下へいきます。あなたは匍匐前身で彼女に近付いた」
「わたしがペンダントを盗み、彼女を刺したと? だったら調べてくださいよ」
 両手を大きく広げて眼鏡は笑った。
「しません。だってあなたは持っていない」
「ふん」
「技万さんのヅラに隠したから」
「なっ」
 ヅラがとっさに頭に手をやった。おいおい禁句だよそれ!
「二人はペンダントを狙っていた。先に手にしたのは金目さんだが技万さんがうっかり踏んで転んでしまった。その時とっさにヅラに差し込んだ。だから技万さんのヅラは頭髪ではなくヅラになってしまったんだ定位置を見失ってね」
 オブラートに包んであげて!
 眼鏡がぎりぎりと歯ぎしりする。
「ええーい、そうだよ全部あんたの言うとおりだ!」
 わーお。きたよ犯人の開き直りタイム。
「わたし達四人は異母姉弟だ。父は莫大な財産を隠してペンダントにヒントを残して死んだ。長子だから透子が持っていただけで、所有者は決まっていなかった。長男はわたしだ。わたしが持つべきなんだ」
 それでもめてたのか。
「だが殺してない、わたしはやってないぞ」
「わ、わたくしです!」
 メイドがか細い声を震わせた。
「ブレーカーを落とし、背後から身を乗り出して透子様のお手伝いを」
「そう指示された?」
「はい。透子様は試されたのです。誰がペンダントを持つにふさわしいか。財産に目もくれず透子様の死を悲しんだ方に本物を渡すよう託っています」
 全員の視線がイケメンに注がれる。メイドはイケメンの手にペンダントを握らせた。
「財宝のある方角の空を青い光が示します」
 飛行石か。
 イケメンは両手でペンダントを抱きしめるようにして、女主人の足元でまた泣いた。
「おれは金なんて。それより姉さんに生きていてほしかった……」
 胸が詰まるような号泣だった。おれ、最後に泣いたのいつだっけ。
「蓮見さん、部署に連絡」
「あ、ああ」
 感動もそこそこに、ジャケットやスラックスを軽く叩いて携帯を探す。が、見当たらない。
「ところで蓮見さんはどうしてぼくがひきこもりか知ってますか」
「はあ? 知らねえよ」
 それより携帯どこやった。
「ぼくが事件を引き寄せてしまう体質だからですよ」
「まあ部屋にこもってたら何にも起きねえよな。悪いことだけじゃなく、いいことも。でもいいんじゃね。おまえには解決できる力があるんだから」
「蓮見さん……」
 いやそれよりおれの携帯探してくれよ。携帯……けいたい……
「ふごっ」
 あまりの明るさに思わず目を開けると、そこは我が家のリビングだった。ロウソクはすっかり燃え尽きてしまっている。
 テレビではニート探偵のエンディングが流れていた。夢、だったのか。
 おれは大きく伸びをした。すると膝の上から何かが落ちた。それは誰かのさえない眼鏡。
「夢じゃない、のか」
 次回予告がはじまる。来週は海の家のようだ。どいつもこいつも海海海。
「……寝よ」
 おれはテレビを消して、ださい眼鏡をジャケットに突っ込んだ。

―おわり―