薔薇娼婦

 娼婦の胸には花が一輪咲いていた。
 淡い紅色をした薔薇だった。彼女の乳房のように、澄まし顔でほころんでいる。わたしは釦を外す手をとめて、それに見入った。花びらは先端ほど肌が透けて見えそうなほど薄く、ふちはわずかに波打っていた。青く甘い香りがあふれ出てくる。それはわたしが知るどの薔薇の香りよりずっとなまなましく、たしかにそこにひとつのいのちがあることを強く意識させた。
 女はそんなわたしの反応を面白がるように小さな声でわらう。
「なんだと思う?」
「薔薇だろう」
「そうね、薔薇よ。そしてわたしの心臓よ」
「心臓、だって?」
 どうせ娼婦の戯言だ。そう思うものの、わたしは彼女の言葉を信じてみたくなった。
「だったら脈打つのか」
「もちろん。触って確かめてみるといいわ」
 女はわたしの手を取って薔薇の心臓へと近づける。
「そぉっと触るのよ。なんたってこれは心臓なのだから。乱暴にされたらわたし、死んでしまうわ」
「ああ、わかった」
 うまれたての赤ん坊に触るような心持ちで指を伸ばす。指の腹が花びらの端に触れると、女はなにかをこらえるような吐息を洩らした。
 花びらはかすかに冷たく、他の花と変わったところはない。もうすこし花蕊に近いほうへと指を滑らせる。すると花びらのほうから吸いついてくるような感触があった。寄り添っては離れるを繰り返す。脈打っているのだと気づくまでにはすこし時間がかかった。
 驚きのあまりわたしがなにも言えずにいると、女はどこか勝ち誇ったように目を細めた。
「いつもは外してテーブルへ置くのよ。そうしないと、いつどんな拍子に潰れてしまうかわからないでしょう?」
「そうだね」
 わたしはうわの空で相槌をうつ。
 なぜ今日にかぎって外さなかったのか。いや、いつもそうやって客に見せびらかしているのか。頭の片隅でそんなふうに考えながら、わたしはそれら些末なことについて別段なんという感情も持たなかった。
 それよりいまは、目の前に咲き誇る一輪の薔薇がなにより興味深かった。はじめに感じたあのなまなましさが、触れることでさらに確実さを増していく。指先でふちをなぞり、花びらひとつひとつを数えながら撫でた。やわらかく、香り高く、無防備で……、こんなにうつくしい心臓はまたとないだろう。
 顔を近づけて香りを吸い込む。女はくすぐったいのか途切れがちに声を洩らす。わたしはどうしても我慢できずに花びらをそっと舐めてみた。すると女は熱い息を吐いた。
 わたしは途端に、この娼婦がとても汚らしいものに思えて仕方なかった。娼婦はみな、こういうものなのかもしれない。だが、彼女はこのうつくしい心臓にふさわしくなかった。
 薔薇には棘がある。ならば彼女はこの心臓の棘なのだ。棘は、落とさねばならない。
 わたしは彼女の腹の上に馬乗りになって、か細い首を両手で押し包んだ。体重を傾けながら、ゆっくりと絞めていく。はじめは戯れかとはしゃいでいた女も、やがて顔色を変えた。
「や、やめて、おねがい」
 言葉はもはや吐息であった。熱っぽい息が手首に当たるだけでも不快だった。心臓はわめくこともないし、息を吐くこともない。ただ静かに噎せるような香りをこぼすだけだ。
 さらに腕に力をこめる。やがて女は動かなくなった。いつのまにか全身に玉のような汗をかいていた。顎を伝って一滴、花びらの上に落ちる。
 わたしは薔薇の下に手を滑りこませた。まだ女の体に根ざしている。傷つけないよう皮膚から引き剥がし花蕊の奥へ鼻を押しつけると、いっそう濃い香りが胸を満たした。

―おわり―