THE FATES

3.異端(3)

 羅依は大木を裏から眺めて、結界の内部が目視できないことを確認した。成り行きで頼んだものの、亜須久の結界法はかなり高度だった。
 背後で枝を踏む音がした。紙を握りつぶすような音を立てて、影が二つ広場へ飛び出してきた。男が二人で、うち一人が銃を構えて辺りを警戒した。彼らの視界に羅依と由稀の姿はまるで映っていないかのようだった。
「確かに当たったはずなんですが」
 銃を持った方がやや高い声でもう一人に向かって言った。
「まぁ、いい。聞けば済むことだ」
 男は目深にかぶった帽子のつばを上げ、羅依を見た。彫りの深い顔立ちで、真っ黒な染みのような瞳が、舐めるようにまとわりつく。羅依は嫌悪感に顎を強く噛みしめた。目を逸らしては負けになる。羅依は腕を組んで相手を睨み返した。
「お、おい、そこのお前。ここに男が来ただろう」
 男は前へ進み出て、居丈高に羅依に問うた。もう一人の男が相手のときとは全く違う態度に、羅依は男の自尊心の無さを見抜く。答える必要性は感じられなかった。
「答えろ」
 荒げても声は高くなるだけで、一層迫力は無い。男は罵声を吐くと銃口を羅依に向けた。羅依は呆れて男を一瞥する。冷たい眼差しに男は意味のない唸りを上げた。
「貴様」
 男は両手で銃を握ると、脚を開いて羅依に狙いを定めた。羅依は腰に下げた剣に手を伸ばす。平穏に慣れ始めていた心が緊張感に押し潰されそうだった。男の指が引き金に触れる。機械的な金属音が微かに響いた。羅依は体を低くする。剣を抜いて飛び出そうとした瞬間、男の悲鳴が沈黙を裂いた。見ると、銃を持つ両腕が捻れて絡まっていた。
「そんな」
 羅依は目を瞠った。視界の隅で、男が帽子を深くして笑っていた。
「こんなところで会えるとは光栄だ」
 男は帽子を脱ぎ、紳士然として羅依に一礼した。あらためて男の容貌を見ても、心当たりはなかった。
「連れが失礼をした。これは業界の人間ではないので、君のことなど全く知らないのだ。驚いたよ。噂に名高い残命(ざんめい)の羅依が女だったとはね」
「誰だ」
「ああ、すまない。自己紹介が遅れたね。私の名は曽慈(そじ)。君と同じ生業をしている」
 聞いたことのない名前だった。羅依は偽名かと疑るが、男がここで嘘をつく益はないと思い直す。
「知らないのも無理はない。私は君と違うかたちで稼がせてもらっているからね」
 男は帽子をかぶり直す。そばで悲鳴をあげていた男は、腕の自由を取り戻し、ようやく静かになった。
「う、裏切ったな」
「何の話だ。私は君に少し黙っていてほしかっただけだよ。なんだ、次は私を撃つというのか。やるがいい。万が一、私が斃れるようなことがあれば、あとで君が主人から殺されるだけだ。個人的には考え直すことを勧めるが、そもそも私に銃口を向ければ君はもう生きてはいない」
 曽慈は男を見下ろして手の平をかざした。男は逃げようとしても、腰が抜けて立ち上がれないようだった。奇妙な声を上げて足をばたつかせる。
「そちらと切れても私に痛手はない。鬼使の賞金を独り占めするのみだ。もちろん龍眼(りゅうがん)もな」
 伸ばした腕から糸のように細く白い光が揺らめきながら紡ぎ出された。一糸の乱れもなく、男へと向かっていた。
「や、やめろ。殺さないでくれ!」
「じゃあ、早く失せろ」
 白い糸が一瞬動きをとめた。その隙に男は這いながら森の中へと逃げ込んだ。遠ざかる悲鳴を聞きながら、曽慈は嘆息した。
「これさえなければ協力者と稼ぐのは楽なんだけどね」
「一対二になったな」
「むしろ身軽だ。さぁ、鬼使を出してもらおうか」
「ここにはいない」
「ほお、まだ隠すか」
 曽慈は雑草もまばらな地面に目を向けた。
「結界で姿は隠せても、滴り落ちた血までは消せなかったな」
「なに」
 言われて羅依は地面を見た。しかしそこには血の一滴どころか、足跡の一つも残っていなかった。鎌をかけられたと気付いたときには、もう遅かった。
「首と龍眼はいただいた」
 顔を上げると目前に曽慈が近づいていた。剣の柄を握るが、間に合いそうになかった。羅依は即座に逃げる方向を探した。
「遅い」
 曽慈の腕から伸びた白い糸が縒られて、鋭利な武器へと変化した。羅依は逆手に剣を抜くと、攻撃を防いで飛びのいた。体勢を立て直そうとするが、息つく間もなく曽慈は迫ってきた。背後の森に入る手もあったが、術者を相手に障害物の多い場所へ行くのは憚られた。何より立たねばと足に力を入れたが、いつの間にかぐねったようだった。気持ちが焦り、手にしていた剣を爪先で弾いてしまった。目と鼻の先に、白い揺らめきが踊った。
「とまれ」
 顔を上げると、曽慈の向こうに銃を構える由稀の姿があった。羅依は小さく由稀の名を呼んだ。曽慈が気付いて、立ち止まった。
「それで、いかようにするつもりだ。小僧」
「さぁね」
 由稀はそれだけを言うので精一杯だった。高鳴る鼓動を必死で飲み込む。初めて手にした銃は冷たくて重かった。
「使い方はわかるか。そのまま引けばいい」
「うるせぇ」
「わからねば、私を殺めるどころか、うぬが身を滅ぼすぞ」
 曽慈は帽子のつばを上げて、腕を由稀に向けた。糸がいくつも集まり生き物のように体をくねらせる。
「行け!」
 曽慈は腕を跳ね上げ、太くなった糸をしならせた。鈍く空気を切る音がして、由稀の緊張の糸が切れた。指先が引き金を引いた。反動で体が後ろに傾ぐ。空を見上げると綱のように太くなっていた糸の集まりは、真ん中で切断されていた。由稀は解放感に包まれて、銃を手放した。
「まだだ!」
 羅依の叫びに曽慈を見ると、帽子を押さえて笑っているようだった。
「甘い」
「なんだと」
「由稀、後ろ!」
 振り向くと、綱の千切れた先が意志を持って由稀に向かっていた。先ほどのような大きさではないが、無数に分裂して雨が降るように襲いかかってきた。由稀の世界が白く染まった。強く目を瞑った。
「邪魔だ、どけ」
 由稀の耳に聞き慣れない声が滑り込んだ。目をあけると雨はすっかり晴れて、ささやかな光を受けて輝く粉が舞い降りていた。隣には、瞬が立っていた。瞬の横顔は芸術的なほどに整っていた。まるで人形のように涼やかで美しかった。けれど由稀はそこに人らしさを見い出せず、生理的な嫌悪感を抱いた。
 瞬はじっと曽慈を見ていた。しばらく彼を値踏みするように観察すると、腕を目線の高さまで上げた。そして初めて穏やかに微笑んだ。
「選ばせてやろう。自分の術で死ぬか、俺の術で死ぬか。俺をあれだけ痛めつけてくれた礼だ。さぁ」
 曽慈の表情がみるみるうちに凍りついた。瞬の着ているものは血まみれだった。どれだけの傷を受けていたのか容易に想像がついた。それをこの短時間で治し切る力に恐怖した。瞬の背後から緩やかな風が流れ出す。触れる頬が音もなく切れそうな錯覚を覚えた。
 うしろで土をする音がして、曽慈は逃げ道を見つけた。身を翻して羅依の体を拘束すると糸を紡いで腕と首に巻きつけた。羅依は喉を強く圧迫され、声を出そうにも出せなかった。空気の洩れるような音が、喉の奥から出た。
「これでも出来るか。貴様を庇ったかわいい女だぞ。それでも」
 曽慈の言葉は続かなかった。瞬は少し首を傾げて、一層妖艶な笑みを浮かべていた。
「そいつがどうなろうと、俺には何の関係もない」
「なに!」
 驚いて声を上げたのは由稀だった。瞬は由稀を横目に一瞥するだけで、また曽慈へと目を向けた。由稀の自尊心が傷ついた。すぐにも飛び掛って殴りつけたい衝動を抑えて、深く息を吐いた。
「女を縛るためにこんな山奥まで来たのか。違うだろう。俺の目が欲しいんだろう、龍眼が。だったら早くそうすればどうだ」
 言いながら瞬は一歩一歩曽慈に近づく。曽慈は短い悲鳴を上げ、羅依を縛る糸に力を込めた。高く持ち上げられ、浮いた足をばたつかせる。羅依は浅い呼吸を繰り返した。
「それが答えか」
 瞬は伏せがちに楽しそうに笑う。由稀は眉根を寄せた。
「だったら選ばせてやる義理もない」
「私とて、貴様に与えられる義理は」
 曽慈は突然目を大きく見開いて、天を仰いだ。瞳は闇を彷徨い、弛緩した口元からは唾が肌を伝った。干上がってしまうほどに、全身から汗が噴き出した。羅依を捕らえる糸が湿り気を帯びて締め付けがきつくなった。羅依は呼吸もままならなくなった。それに気付いた瞬は、舌打ちをして指を鳴らした。
 曽慈が空を切り裂くほどの悲鳴を上げた。
 拍子に、糸が力を失った。羅依の体が支えを失う。素早く瞬が抱きとめた。そして羅依は聞いた。
「悪かった」
 初めて彼自身に触れた気がした。