THE FATES

4.呪縛(1)

 シュリツ共和国の森を抜けた。市場には色とりどりの果物や、巧みな木彫り細工、きらびやかな織物などが所狭しと並べられている。由稀(ゆうき)は買い物客の隙間から背伸びして覗き、ある物を探していた。空はもう赤く染まっていた。
 夕餉の香りが漂う中、ひと気のない一角があった。人の流れはその前を何もないかのように通り過ぎていく。由稀はそこで立ち止まった。露天の簡素な軒の下には、うずたかく本や雑誌が置かれていた。店主の姿は見えなかった。夕暮れの薄もやがかかるような光では、本の背表紙すら判読しづらい。由稀は鼻先に本を押し付けるようにして探した。
 頬に温かみが押し迫る。由稀が顔を上げると、手燭を持った老人が本の奥から現れた。かろうじて空いている場所に灯りを置き、老人はまた立ち去ろうとする。
「あ、ちょっと、じいさん」
 老人は手を後ろで組んだまま振り返った。灯りで皺が浮き立つ。
龍眼(りゅうがん)について書いた本はないかな」
「ふむ」
 そう言ったきり、老人は動かなくなった。由稀は怖くなり小さな声で何度か老人を呼ぶ。
「うむ」
 しばらくして老人は頷くと店の裏へ回った。空は青い闇が半分まで染みて、周りの店もほとんどが帰り支度を始めていた。由稀はそこから動くに動けず、無為に立ち尽くしていた。
 積み本の柱の間から、一冊の本が這い出してきた。由稀が受け取らずにいると、本は上下に激しく揺れた。周りの本が崩れると思い、由稀は慌てて本を取った。中を開くと、目次に龍眼の文字があった。
「じいさん、これいくら」
 顔を上げると、灯りが消えた。老人の姿はどこにも見当たらなかった。

 宿へ戻り食堂へ入ると、羅依(らい)玲妥(れいだ)が地図を眺めていた。由稀は本を背中に隠し、歩み寄る。
「どうした」
「あ、由稀おかえり。あのね、次はどこに行くのかなって話してたんだよ」
橙亜(とうあ)を通れば近道だけど、あたしたちが入国できると思うか」
「さぁ、夜上(やじょう)に聞けば」
 由稀がそう言うと二人は顔を見合わせて黙り込んだ。
「なんだよ」
 由稀の態度に玲妥はむくれて地図を投げつけた。地図は由稀まで届くことなく、風を孕んで机上に舞い降りた。
「役立たず。あーちゃんてば、すごく悩んでるんだから」
「はあぁ?」
「聞けるならとっくに聞いてるよ」
 羅依は地図を折りたたみ、嘆息をした。
「とても聞ける雰囲気じゃないから、話してたんだよ」
「はあ」
 由稀は気の抜けた声で曖昧な相槌をうつ。
「とりあえず、いい大人をちゃん付けするのはどうかと思うぞ、妹よ」
 今度は折りたたまれた地図で腕を叩きつけられた。

 由稀は自分の部屋の前に立ち、後ろを振り返った。そこには同じ扉がある。亜須久(あすく)加依(かい)の部屋だった。由稀は今日の亜須久の様子を思い返すが、別段いつもと変わった様子はなかった。
「女の勘ってやつか」
 呟いて、自室の扉を引いた。
 部屋には誰もおらず、灯りもつけられていなかった。大きな窓は開け放たれ、白い布が夜の光に青白く照らされていた。毛布の上には瞬の上着が無造作に脱ぎ捨てられていた。いつも由稀は瞬と同室だったが、部屋の中で顔を合わせたことは一度もなかった。
 窓に寄り添って外を窺うが、気配はまったくない。それでも夜中のうちには帰ってきているようだった。まるで自分のことを避けられているようで、いい気分はしなかった。
 窓枠に腰掛けて、由稀は本を開いた。
 龍眼とは、龍羅飛(りゅうらひ)という一族の眼球を特殊な呪術で加工した宝石の一種だった。本にはその製造過程が精緻な写真とともに書かれていた。深い緑の光を放ち、表面はいつまでも枯れることのない潤いを保っているのが特徴だった。
 曽慈(そじ)は瞬の龍眼をもらうと言った。つまり瞬は龍羅飛の出身だということになる。由稀には聞き覚えのない名前だった。
 龍羅飛はアミティスに存在する種族ではなかった。アミティスとは別の次元に存在する天水(てんすい)に住む一族の名前だった。別次元という言葉が、知らなかった由稀の自尊心を慰めた。
 天水には数多くの部族が存在している。そしてそれらの中でも龍羅飛は異端の一族と呼ばれていた。龍羅飛は過去を司り、信仰心が強く、礼節や恩義を尊ぶ者として名高い存在だった。そのため閉鎖的で他部族との関わりを持つことがなく、また天水を治める王家とも繋がりを持とうとはしなかった。しかしそれが彼らを異端と言わしめる理由ではなかった。彼らを忌むべき存在へと押し上げたのは、その特殊能力ゆえであった。
 龍羅飛は人魂を喰らうという。
 そしてそれが原因で、龍羅飛は天水時間での二五〇年前に、天水王家軍により殲滅させられていた。最初の火種は些細なものだった。王家付きの従者が龍羅飛の若者に襲われ魂を食われたというもので、それに関して王家は一切の報復をとらなかった。しかし時が経つと、その際に王家筋の女性が辱めを受けたとわかり、王家の態度は激変した。異様なまでの早さで軍備を整え、龍羅飛を一斉攻撃した。街の炎は三日三晩夜を焦がした。その後も龍羅飛の生き残りは捕らえられ、龍眼を抜かれて処刑されたということだった。
 生温かい風が窓を這って部屋に忍び込んだ。由稀は息苦しさを覚えて、大きく深呼吸をした。本の最後には小さな文字で、天水の百年はアミティスの一年に相当すると付け足されていた。由稀は噛み切れず嚥下できないものを口にした気分になった。