THE FATES

4.呪縛(7)

 よく晴れた夜、知らせは突然届いた。行きつけの店で酒を飲んでいると、部下の一人が血相を変えて飛び込んできた。
「亜須久さん、大変です」
「兄が死にでもしたか」
 息も切れ切れの部下に、亜須久は一瞥すらしない。
「違います。殺したんですよ」
「まさか。伊純にそんな体力」
 亜須久は鼻で笑う。男は思わず亜須久の腕を掴んだ。
「伊純さんじゃありません。軌成さんの方です!」
「なんだと」
 亜須久は持っていた酒器の底を机に叩きつけた。酒が揺れ、捻れるように零れて手を濡らした。
「生きてたのか」
「ついさっき、本部に連絡が入ったんです。総長が呼んでおられました。すぐに戻ってください」
 亜須久は部下の言葉を最後まで聞かずに、店を駆け出した。濃紺を押し固めた空は澄んでいた。亜須久の心は揺れて濁った。
 本部の執務室へ駆け込むと、そこには周防と翔華の姿があった。亜須久は頭を下げて扉を閉めた。
「来たか」
「軌成が見つかったそうですね。今、どこにいるんですか」
「そう焦るな。まずは一杯どうだ」
 周防は黒革張りの肘掛け椅子から立ち上がると、酒瓶を片手に亜須久へ歩み寄った。
「結構です。軌成に会わせてください」
 亜須久は差し出された手を払いのけ、周防を睨みつけた。周防は楽しそうに笑う。
「そんなに会いたいか。会ってどうする。伊純の借金を背負わせるか。まぁそれでもこちらとしては同じことだ。お前でなくとも構わん。だが、お前はそれからどうするつもりだ。お前に一体何ができる。十年も修羅道に生きて、堅気に戻れるとでも思っているのか。世の中そんなに甘くないことはわかってるだろう、亜須久」
 周防は亜須久の胸倉を掴み上げると、壁に押し付けて肘で喉を塞いだ。亜須久の口から壊れた笛のような音が漏れる。周防の顔が涙に歪んだ。
「ねぇ、やめて」
 翔華が駆け寄り、周防の手を引いた。周防は鼻を鳴らして腕の力を抜いた。
「興醒めだ」
 亜須久の体が壁をこすり崩れ落ちる。息が喉を通らず過呼吸になる亜須久の背中を、翔華の儚げな手がさすった。その手を握り返したくなる衝動を抑え、亜須久は壁に手をつき立ち上がる。
「じゃあ、なぜ呼んだ」
「祝杯だよ」
 周防は透明の器に酒を注いで目線に掲げた。透ける世界が色を失う。
「お前の呪わしいほどの運命を称える祝杯だ」
 そう言って周防は器の中の酒を亜須久に浴びせ掛けた。

 雨に濡れる髪を握り、亜須久は長屋から離れた路地裏で座り込んでいた。頬を伝う雨にほのかな香りが混じる。芳醇な香りは記憶から這い出ていた。自分を慰めるために撫でまわされた腐臭の成れの果てだった。
 何を憎んでも何を恨んでも生まれるものはなく、身を削っても心を売っても得られるものはなかった。自分の正当性も、母への愛も、触れようとした瞬間から胸のうちを彷徨い、腐り果てる始末だった。ただ母を救いたいと願った純粋な童心を自ら貶めるわけにはいかず、亜須久は全ての現実に耐えることを選んだ。
 今ようやく暗闇の中に一筋の光を見出した。たとえ夢でも構わなかった。再び悪夢のような現実に襲われようとも、夢見ることを知った亜須久には乗り越えられる気がした。
 しかしそれだけでは払えない厚い雲にも思い至る。
「翔華」
 それを愛だと断言することは憚られた。けれども彼女を救いたいと思った。彼女が生きるため自ら築いた呪縛の中から。