THE FATES

4.呪縛(8)

 時折、薪の割れる音がした。瞬は椅子を引き寄せて座った。
「どういうことか、話してくれるか」
 玲妥はしきりに髪をいじりながら口を開いた。
「精霊族の混血って珍しいらしいの」
「ああ、かもしれないな」
「私ね、あーちゃんに混血だって言われるまで、そのこと全く知らなかったの。由稀にはよく言われてたんだけどね。絶対に精霊族の血を引いてるって」
 瞬が説明を求めるように眉を上げた。
「由稀にもあんまり深い意味はなかったと思うんだけど、やっぱりこの髪の色なのかな。由稀ってね、あれでも民俗学に詳しかったりするんだよ」
「あまり似合わないな」
「うん、そうかもね」
 曖昧に頷く玲妥を見て、瞬はそれ以上の詮索を控えた。
「それで」
「うん、あーちゃんに混血って言われたとき、びっくりした。ああ、やっぱり由稀の言ってた通りだ、って。でもそれだけで家から出ようなんて思わなかった。たとえ由稀は行くと言っても、私は離れたくなかった」
 瞬は煙草をくゆらせながら、じっと玲妥の話に耳を傾けていた。
「私、昔から昼間でも夢を見るの」
「白日夢、か」
「うん。あの日、見たんだ。私のお父さんとお母さん。初めてだった。すごいびっくりした。今まで他人の何かは見えても、自分のことは全く見えなかったのに。急に、目の前に。そしてこう言ったの。『この道の先で必ず会える』って。あれからは一度も見てない。でもね、はっきり覚えてる」
「それが夜上そっくりだったと」
 玲妥は頷いて続けた。
「最初はね、あーちゃんだと思った。でもよく考えたら年齢的におかしいし、嘘つかれてるとも思えない。そのくらい似てたの。間違えるくらい」
「育ての親には何も聞いてないのか」
「何かって」
「どうして玲妥と由稀を育てることになったのか」
 玲妥は俯いて首を振る。
「聞けなかった。十二年、一緒に暮らしてきたけど、私も由稀も聞いてない。マスターもママも、いつも聞いたことには答えてくれてたから、私たちが聞いたらちゃんと答えてくれたと思う。でも、なんだか裏切るみたいで」
「それでも、本当の親子じゃないってことは」
「小さい時から聞かされてたから」
 語尾が聞き取れないくらい小さな声になり、玲妥はそこに座り込んだ。椅子から立った瞬はすぐに玲妥の肩を抱いた。
「知りたい気持ちはわかるけど」
 そこまで言うと、玲妥は続きがわかったらしく、床を強く叩いた。
「だって、聞こえちゃったんだもん。そしたら足が動かなくなって。宿主さんのお手伝いして戻ってきて、誰かいるみたいだったから行っただけだよ。まさかそんな、あーちゃんが梗河屋の人だったなんて」
「わかった、わかったよ。ごめん、俺の言い方が悪かった。でもな、それなら今みたいに誰かに言えばよかったんだ。由稀でも、羅依でも、加依でも。何の解決にならなくとも、その糸口は見えたかもしれないだろ。胸につかえてることを誰かに話すことは、誰かを好きだと思うのと同じで、人を大切にするってことだよ」
 そう諭すと、玲妥は手で顔を覆うこともなく、声を上げて泣き始めた。瞬は優しく抱きとめる。
「ごめん、ごめんね。ほんとに、立ち聞きするつもりなんて、なかったんだよ」
「うん、大丈夫。わかってるよ。でも、何か間違ってるだろ」
 明るい声に促されると、瞬の柔らかい笑みがそこにあった。
「謝る相手だよ」
 玲妥は泣き止んではにかんだ。
 部屋を出た瞬が食堂を覗くと、加依と羅依と由稀がいた。しかしいつもの騒がしい雰囲気はなかった。
「加依」
 呼びかけには三人が反応して顔を向けた。何も言わずに加依だけを見る。加依も愚鈍な男ではない。察するところあり、その場から何事かと問いかけた。
「煙草を買いに行ってくる。あとは頼んだ」
 加依はそれで全てを理解した。
「わかりました。気をつけて」
 瞬は手を振って食堂をあとにした。
 外は視界が歪むほどの激しい雨だった。

 宿を飛び出すと、雨は激しさを増していた。瞬は亜須久の家へと向かって駆けた。行ったことはないが、道筋ははっきり頭の中に浮かんでいた。
 着いてみると、思っていたより遠くはなかった。何棟かの長屋が所狭しと門を構えている。一棟に四軒。長屋と長屋の間は、人一人が通れるほどしかあいていない。長屋の壁も薄かった。
 中を窺うと気配があった。瞬は雨と同化するように息を潜める。亜須久はいないようだった。瞬は中の様子が見られる裏口へ回る。中にいたのは、亜須久の意識を占めていた三人だった。そのうちの背の高い男は、瞬も昨日会っていた。もう一人の男は死相がひどく、眠っているのか死んでいるのかもわからなかった。すぐに亜須久の義兄・伊純だとわかった。亜須久の最大の枷だった。瞬は自らの境遇と重なって見えて唇を噛んだ。
「周防さん、伊純はもう無理よ。亜須久を引きとめたいなら、何か他の」
 雨音をかいくぐって、会話が漏れ聞こえた。
「お前に任せる。いや、お前に任せた方が効果的だ」
「謙遜ね」
「そんなことはない。お前に期待しているんだ」
 浮ついた言葉に、女は楽しそうに笑う。
 瞬は耳を澄ます。しかし舌がざらつくような違和感が消えることはなかった。
 瞬はこの声の主を知っていた。亜須久の意識の中で、乾いた心を潤すように広がっていた声だった。耳に届く声は同じだが、この声には人を包み込むような優しさが感じられなかった。
 亜須久に自分と同じ思いをさせたくないのなら、彼女が鍵になる。瞬の秤に道徳観と自己満足がかけられた。答えはすぐに出た。
 瞬の意識は空気に溶解し、多くの闇を嗅ぎ分け、三人の元へと辿り着く。事態はほぼ把握できた。しかしそれをなんと説明したらよいのか、どうしたら亜須久にうまく伝わるのか、彼には見当がつかなかった。
 諦めから、自虐的な笑みを浮かべる。
 瞬が亜須久に事情を説明したところで、何が変わるわけでもない。どう話そうかと迷う余地などなかった。
 瞬は潔く踵を返す。雨に濡れた服の重みが肩に圧し掛かる。振り払うように顔を上げて、視線に気付いた。
「夜上」
 先には、亜須久がいた。瞬は言葉を失う。亜須久は瞬を追い越して長屋の表へ出ようとする。瞬は焦って追いかけて引きとめた。振り返った亜須久の顔は悲しみに滲んでいた。瞬は掴んだ服を手放した。
 女の声が、土足で雨音に割り込んだ。
「あたしが何とかするわ。大丈夫、任せて」
 周防は頷く代わりに翔華を優しく抱いて深く口付けた。翔華は痛みを押し隠すような、緊張した面持ちで瞼を閉じた。周防は翔華の顔を見ることなく去った。
 亜須久と瞬は息を潜めて、周防の背中を見届ける。
「どうするつもりだ、夜上」
 途切れがちに瞬は言った。亜須久は雨に濡れた髪を後ろへかきあげた。
「どうこうできるほど選択肢はない」
 亜須久の頑固さに、瞬は呆れる。だが、予想通りだった。
「何が大切かはよく考えろ。欲張れば」
 そこまで言いかけて、瞬は首を振る。
「勝手にしろ」
「ああ」
 亜須久は静かに微笑み頷く。瞬は背を向けて路地裏へと消えていった。その姿を見送ってから、亜須久は周防の去った道を一瞥し、長屋の戸を引き開けた。
「亜須久」
 驚いた様子で翔華は亜須久を見つめた。さっきまでとは違う、亜須久の知る翔華だった。変わりようが胸に痛々しく響いた。
「翔華、話が」
 あるんだと続けようとして、彼女の涙に遮られた。葉から雫がこぼれるように、瞬きのたびに大粒の涙が落ちた。
「翔華」
「伊純が、伊純がね」
「伊純がどうした」
「死んだわ」
 亜須久は言葉を失った。伊純が死んだ。理解をしようと何度も口を動かすが、言葉は亜須久を素通りしていく。口の中に苦味が走った。
 その時、彼女の口元が弓なりに歪んだのを、亜須久は気付かずにいた。