THE FATES

4.呪縛(9)

 加依は宿の階段を上りながら、憂鬱に沈む頬を軽くはたいた。由稀と羅依の追及をかわすのは骨が折れた。もっと気の利いた言い方はなかったのかと、瞬を恨んだ。
 名指しされたことには満足していた。自分が選ばれたのは、亜須久の不在を知っていたからだと思う。それでも心の隅で違った意味を探していた。流行り病のような熱が去ると、そこには醜い自意識が残った。加依は己の心に唾を吐いた。
 自分ほど嫌いな者はいない。それが、加依が誰にでも丁寧で親切な理由だった。自分に価値を見出さないからこそ、他者の存在は自分より上位になり、その中で順位を作ることもおこがましいと感じるようになった。素直な気持ちに従えば、加依は瞬と共にいるのが怖かった。しかし瞬が与えてくれる知識や的確な判断は彼らの旅において重要なものになりつつある。その事実が彼の中では優位を占め、結果、恐怖心は押さえつけられていた。感情が押し込まれ、整然とした理屈や合理性に従うことが全てとなっていたのだ。昔はあったはずの衝動も、今は麻痺していた。
 玲妥が傷ついているだろうと思った。だがその傷心を実感として想像することはできなかった。やはり自分が選ばれたのは消去法だと加依は自嘲した。
 扉の前に立ち、深呼吸をする。へどが出る自分から、いつもの加依になる。
 扉を叩き、中に呼びかけた。しかし返事はなかった。
「入りますよ」
 少々の強引は仕方なく思い、加依は扉を開けた。中からは、香辛料と野菜の甘い香りが漂ってきた。部屋の奥の寝台で、玲妥は体を横たえていた。
「眠っているんですか」
 加依は部屋に入って寝台に寄り添った。
「大丈夫ですか」
 加依の言葉に、玲妥の睫毛が小さく震える。ゆっくりと玲妥の大きな瞳が光を捉えた。
「水でも飲みますか」
 離れようとする加依の腕を、玲妥は儚げに掴む。
「ここにいて」
 泣き疲れ、声はひどく掠れていた。
「加依は知ってたの」
 玲妥は伏し目がちに呟いた。
「何をですか」
「あーちゃんが、梗河屋だったこと」
「ええ、まぁ」
「そう」
 玲妥は呟いて起き上がった。髪の乱れが彼女を大人びて見せた。
「心配じゃないの」
「そんな歳ではないでしょう」
 加依は軽く首を振った。
「結構、冷たいんだね」
 玲妥は寂しそうに微笑む。蔑まれた気がして、加依は立ち上がった。
 白い毛布の波から、白い服を着た玲妥が見上げる。大きな瞳に見つめられ、加依は視線を逸らした。
「俺は詳しいことは聞いていません。だから何の言葉もかけられません。ですが」
「ですが?」
「信じています。亜須久はここへ帰ってくると」
 垂らした腕に冷たい感触が当たる。加依の乾いた指先に玲妥の幼い指が絡んだ。
「ありがとう、加依」
 幕引きの涙は、狂おしいほど愛しかった。

 由稀はしばらく灰色の空を眺めていたが、手持ち無沙汰になって羅依に呼びかけた。羅依は視線だけを由稀に投げる。
「あのさ、俺の店に来たのって、狙ってきたのか」
 聞きたかったわけでもないが、他に適当な話もなかった。羅依はそんな由稀を見抜いて、欠伸をした。
「偶然だよ。すぐにお前のことはわかったけどな。そういやあの時も聞いたけど、その髪と目の色、作り物じゃないのか」
「もちろん」
「でも、竜族だろ」
「ああ、なんか関係あんのか」
 問い返されて、羅依は眉を軽く上げる。
「知らないのか」
「だから何をだよ」
 じらされて由稀は口元を歪める。羅依は首を傾げて考え込むと、やっぱりいいと言って手を振った。
「なんだってんだよ」
「いや、気のせいかもしれないから。それにしても、確かに偶然すぎるよな」
「何が」
 いくらか怒ったままで由稀が問うと、羅依は身を乗りだして人差し指を立てた。
「だから、あたし達の出会いだよ。誰かに仕組まれたと言っても違和感ないだろ」
「反応が遅いんだよ。お前だってそう思うだろ。だから俺も」
「ああもう、うるさい。なんだよ、その自己主張。細かいこと言わないで。若いんだから、物事をもっと大きく見ようよ」
「羅依こそ俺より一つ年上なんだから、もうちょっと大人の包容力みたいなものを見せてくれよ」
「どうしてあたしが由稀を包容しなきゃいけなんだよ」
 羅依は心底嫌な顔をして、机に頬杖をついた。以前に比べて二人がいがみ合うことはなくなったが、今では話の本筋から外れて会話が進まなくなっていた。しばらくするとお互いそれに気付き、睨み合って息をついた。
「で、なんの話してた」
 由稀は椅子に凭れ、空色の髪をかき上げる。
「出会いが偶然すぎるってやつ。でも、たとえそうだとしても、あたしたちには関係ないんじゃないかな。いいじゃない。今、楽しいんだから」
「そりゃまあ、そうなんだけど。夜上がどうして俺たちを探すことになったのかも聞いたことないし」
 天井を見上げて由稀は呟く。羅依は頬杖したまま首を傾げた。
「さぁな」
 それを聞き、由稀は立ち上がった。羅依が怪訝そうにして見上げる。
「なに、いきなり」
「付き合わせて悪いなと思って」
「別に」
 取り付く島のない羅依の返事に、由稀は呆れるのを通り越して笑いが出た。
「ああそう。だったらもう少し付き合ってくれないか」
「は」
「あの時ここんとこに突きつけた短剣、もう一度見せてくれないか」
 由稀は指で自分の喉を指した。
「まぁいいけど。どうして」
 羅依は上着の裏を手探りで探しながら、上目遣いに由稀を見上げた。涼しげな淡い瞳に影が落ちて、由稀は思わず返答に詰まった。
「え、いや。ちょっと興味あってさ」
「ふうん。あ、ごめん。部屋に置いてきたみたい」
「そっか。じゃあ、いいよ。また今度で」
 由稀は安堵して椅子に座りなおした。
「今度、か」
「え」
「ううん。次があるって、素敵なことだよね」
 そう言った羅依の笑顔が切なくて、由稀は茶化す気になれなかった。