THE FATES

1.始動(2)

 まだ来ぬ夜明けに、町いちばんの通りですら人影はなかった。そんな中、道には杭を差し込む音が響いている。揃いの制服を着た役人風の男が二人、槌を振り降ろしている。四角い角材が頃よく地面に突き刺さると、二人は薄い板を釘で固定し、その平面に一枚の紙切れを糊付けした。
 由稀(ゆうき)はそれを屋根の上から見つめていた。澄んだ空色の瞳は紙切れを凝視する。
「俺じゃん」
 紙面には空色の髪と目をした少年の顔写真が描かれていた。意志の強そうな瞳が真っ直ぐ前を向き、出来のいい写真だった。ただ問題はその張り紙の内容だった。由稀の顔写真の見出しには、五百スタンと書かれていた。
「あーくそっ。こないだの親父か」
 由稀は屋根の上でぐったりと横たわる。この立て看板は、賞金首を告知するものだったのだ。
「我が家と目と鼻の先なんですけど」
 屋根の上で頬杖をつき、由稀は苦笑した。役人は近隣の都市から派遣されているので、小さな町の住人のことなど知る由もない。
 由稀は役人らが通りの角を曲がるまで見送り、下へ跳び下りた。小走りで立て看板に近付く。そばで見れば見るほど、賞金首は彼と瓜二つだった。由稀は辺りに人がいないのを確認すると、貼られたばかりの紙をきれいに剥ぎ取った。賞金首にされてしまった戸惑いと、自らの失敗への悔しさで一度は紙を丸めたが、思い直してきれいにたたんだ。
 通りに光が滲んだ。由稀は眩しそうに空を見上げる。建物の隙間から、新しい太陽が生まれつつあった。みるみるうちに大きくなる。
 由稀は家へ向かって走り出した。

 俗界最北の国、ミグ公国。ラルマテアはその中でも北に位置する小さな田舎町だ。
 冬になれば一面の銀世界となるここも、今の季節は比較的過ごしやすい。
 明るく柔らかい日差しが、窓の向こうから流れ込んでいる。その肌触りに少女は目を覚ました。寝転がったまま、まだ幼い四肢を伸ばす。諦めたように立ち上がると、丸くて大きい茶色の瞳をこすり、服を着替える。
 窓から顔を出すと、町いちばんの通りにはすでに人が出ていた。
「ちょっと寝坊しちゃったかな」
 少女はそう呟いてみて、部屋の外が静かなことに気付いた。彼女は飛び跳ねるように振り返ると、裸足のまま部屋を出て行った。朝の光が少女の金色の髪で踊っていた。
 顔を洗って身なりを整えると、彼女は階下の店舗へと降りた。淡い光に包まれた店内には、カウンターとテーブルが並んでいる。二十人も客が入れば満席になるような小ぢんまりとした店だった。
 そのカウンターに突っ伏して寝る人影を見つけた。丸くなった背中が呼吸のたびに上下する。髪は朝の空気を吸い込んで、綿毛のようにふわふわしていた。少女はその髪を撫で、優しく微笑んだ。
「おかえり」
 小さな声で呟くと、咳払いをして大きく息を吸い込む。
「ここで寝ちゃダメって言ったでしょっ!」
「うわぁっ」
 空色の髪が逆立つほどに驚いて、寝ていた由稀は飛び起きた。隣で楽しそうに笑う少女を一瞥して、彼は脱力する。
「なんだ、玲妥(れいだ)か」
「おはよう。だってマスターとママは昨日からお出かけだよ」
「そうだっけ」
 いい加減に答えながら、由稀は再びカウンターに頭を乗せた。玲妥が彼の頬に触れる。
「服のあと残ってる」
「上に行ったら、お前のこと起こすと思って」
 由稀は顔を背けて玲妥の手から逃れようとしていた。だが彼女は体を乗り出してまで触ってくる。
「でもママはここで寝ちゃダメって言ってたよ」
「うー、外から丸見えだからな。つーか、くすぐったい」
 耐えかねた由稀は体を起こして玲妥の手を振り払った。見ると玲妥は楽しそうに笑っていた。
「へっこんでて面白いんだもん」
 由稀は頬杖をついて、隣に座る玲妥を軽く睨みつけた。
「まったく、人の苦労も知らないで」
 しかし玲妥は一向に引かずに舌を出した。
「そんなの由稀の勝手でやってることでしょ。まぁでも眠気覚ましに、お茶でも淹れてあげるよ」
「あ、それなら俺がやる。その方が旨い」
 重い腰をあげて、由稀はカウンターの中へ立った。
「ひとこと多い」
 玲妥は淡く染まった頬を膨らませて、由稀のあとに続いた。
 由稀は棚から茶器と茶葉を取ると、馴れた手つきで準備をする。銀色の腕輪が所作の中で光跡を残す。
 玲妥は後ろ手に組みながら由稀の様子を眺めていた。ふと、由稀の服からしわだらけの紙が飛び出しているのを見つける。棚の上方へ腕を伸ばしていた由稀の隙を狙い、玲妥はその紙を引き抜いた。
「これ、なに?」
 音を立てながら紙を開くと、そこには由稀の顔写真があった。
「あ。お前こら、見るな。返せ」
 由稀は玲妥の手から紙を奪い取る。しかし時すでに遅く、玲妥は腕を組んで由稀ににじり寄ってきた。
「ねぇ、どういうこと。五百スタンって書いてたよ」
「あー、たぶん玲妥が考えてる通りのことだと思います」
 由稀は背中に嫌な汗を感じつつ、近付いてくる玲妥の両肩を押さえた。玲妥はその場で足踏みする格好になる。
「もぉっ」
 玲妥は由稀の手を振り払って、逆に彼の腕を掴んだ。
「ちゃんと説明してよ。賞金かけられたってことなのっ?」
 滅多に声を荒げない玲妥が真剣な顔で問うので、由稀は大人しく頷いた。それを見た玲妥は小さく何かを呟くと、その場に崩れ落ちてしまった。肩が震えている。泣いていた。
 由稀は湯を沸かしていた火を消すと、慌てて玲妥の肩を抱いた。
「バカ、ドジ、マヌケ」
 玲妥は涙声でそう繰り返す。
「ごめん」
 彼には謝るしかできなかった。
「由稀が死んじゃったらどうしよう」
「大丈夫だよ。大した金額じゃないし、ほら、ここに注意書きがあるだろ」
 由稀は紙を取り出すと、小さな文字を指差して玲妥に見せた。
「殺しちゃダメって書いてあるの?」
「そ。だから大丈夫だよ。玲妥が心配してるようなことにはならないよ」
 由稀は玲妥の頭を優しく撫でながら、やわらかく微笑んだ。その笑顔に促され、玲妥は頷く。
「わかった」
「よし」
 威勢よく声を出すと、由稀は玲妥の腕を引いて立ち上がる。
「メシにするかっ」
「うんっ」
 玲妥は満面の笑顔で由稀の首へと抱きつく。
 由稀は手にしていた紙を丸めて、屑入れへと投げ込んだ。

 店を開けるかどうかはひどく迷ったが、彼らだけの判断で閉めるのも憚られ、店主夫婦が帰ってくるまではなんとしても通常通りの営業をしようと決めた。
 玲妥の表情から心配の色は消えなかったが、一度決めたことに対する後悔は一切見せなかった。由稀はそんな玲妥の強さに憧憬を覚える。
 食事のあと玲妥が市場へ買い出しに行き、昼前からは店を開けた。
 乾いた鈴の音がして、風がひっそりと頬に触れる。
「いらっしゃいませ」
 店の扉が開かれると、玲妥は反射的に笑顔を向けた。物心ついた頃から、ずっとこの店で働いている。近所の子供たちのように毎日遊んでいたいと思うこともある。しかし由稀がいるから、羨望は欲望へとなりはしなかった。
 客は玲妥の首が痛くなるほど背の高い男だった。底の見えない黒い瞳で二人を見ると、玲妥にぼそりと注文をして奥のテーブルに座った。漆黒の髪と黒ずくめの服は、彼の空気をより近寄り難くしていた。今のところ客は彼だけである。
 由稀はカウンターの中で、腕を組んでぼんやりと立っていた。接客の大抵は玲妥に任せきりで、自分は専ら裏方に回る。彼は今入ってきた客にも応対をせず、手近にあったグラスを拭き始めた。グラスの底と腕輪が擦れて、高い摩擦音を立てた。腕輪は物心つく前から填めている。幼い時には大きくて服の上から身につけていた。あまりにも自分の体の一部となりすぎて、由稀にはこの腕輪がなくなることなど考えられなかった。
「由稀、イープ酒」
「はいよ」
 彼は首を回して空色の髪をかきあげると、後ろの棚から酒瓶を出しグラスに注いだ。
「昼間からイープ酒かよ」
「きついんでしょ、これ」
「少なくとも食前酒には向かねぇよ」
 言って由稀は玲妥にグラスを渡した。男は玲妥からグラスを手渡されると、顔を少しも歪めずに半分を一気に飲んだ。
(おっかない奴)
 それが男に対する最初の印象だった。