THE FATES

7.決裂(3)

 由稀は森の中にいた。木々の間からは、見覚えのない城と街が見渡せた。城は赤茶を基調とした煉瓦造りで、緑の中によく映えた。由稀は城の方へ駆けた。だが、森から出ることは叶わなかった。一歩出たと思うと、次の瞬間には元の場所へ戻っている。由稀は自分が夢を見ているのだと思った。諦めて、森の中から外を眺める。
 森は高台にあった。由稀は視線の先に、一人の男の姿を見つけた。男は城や街が見下ろせる場所に立っていた。背の高い男だった。森の外は風が強く、男の黒髪は乱れ、服は激しく波打っていた。由稀に背を向けて、じっと城を見つめていた。
 空は青く澄み渡り、雲の流れも速い。森のざわめきが由稀の心をざわつかせた。
 緊張を裂いて、子供の鳴き声が響いた。男が腕の中を見遣る。由稀の場所からは、男の肩に小さな頭が見えた。歩き始めたばかりなのか、抱かれているより歩きたいようだった。男は子供をあやしながら、それでも城を見つめていた。
 由稀は子供から目が離せなくなっていた。顔は森の中からではよくわからない。だがその子供は、由稀と同じ空色の髪をしていた。自分に違いないと由稀は直観した。
 足元に小刻みな振動が伝わる。由稀は顔を上げて、街を見た。遠くで黒煙が上がっていた。爆発音が響き、更に煙が上がった。振動は徐々に大きくなっていく。
 まるで耳元で爆発したかのような、大きな音が由稀を襲った。思わず体を屈めるが、森の中は木の葉一つ落ちることもない。安堵の息をついて、ふと森の外にいた男のことを思い出した。見遣ると、男のすぐ近くから黒煙が立ちのぼっていた。街の方々からは火の手が上がる。しかし男に焦る様子はない。
 人や木や土の燃える臭いが、由稀の鼻をついた。咳き込んで、袖で口元を押さえる。煙が森まで流れ込み、目に染みた。由稀は大粒の涙をこぼしながら、必死に男の姿を探した。男は同じ場所で悠然と立っていた。由稀は何度も逃げろと叫んだが、声にはならなかった。森から出ようとしたが、見えない壁に阻まれて進めない。由稀は声の限り叫んだ。届かない声を何度も張り上げた。
 森の中は煙に包まれた。由稀の意識は朦朧とし、立っているのが精一杯だった。地面に座り込んで、黒い土を握り締める。肩に痛みがあった。
「大丈夫ですよ」
 聞きなれない男の声がした。よく響く低い声だった。あの男に違いないと顔を上げると、視界が揺れた。混ざり合って真っ黒になる。
慶栖(けいす)!」
 由稀の意識はそこで途切れた。

 自分の叫び声に、由稀は目を覚ました。首や背中は汗で湿っていた。息を荒くして、まだ薄暗い部屋の天井を見る。
「夢、か」
 起き上がって、深く息を吐いた。よく思い出せないが、後味の悪い夢だった。
 部屋の中は甘い香りがした。覚えのある匂いだった。
「まだ痛むか」
 瞬の声だった。由稀は突然のことに驚いて、体を固くした。瞬の姿は、窓際にあった。窓の外に見える空は奥行きを帯び、明るんでいた。夜明けは近い。瞬の薄茶色の髪が、薄暗がりの中よく見えた。由稀はこの匂いを思い出した。瞬が吸う煙草の香りだった。
「珍しいな。夜明け前にいるなんて」
「痛むか」
 荒げるわけではないが、瞬の声には有無を言わせぬ迫力があった。由稀は肩を回す。痛みはすっかりなくなっていた。
「いや、もう」
「そうか」
 瞬はそう呟くと煙草を灰皿へ押し付けた。由稀からは瞬の表情が逆光になって見えない。薄い金属で出来た灰皿は、熱を押し付けられて間抜けな音を立てた。
 由稀は妙な連帯感を瞬に感じていた。今までの嫌悪が消えたわけではない。むしろ強まった感もある。しかし彼の奥深いところで繋がりを感じていた。それはなるべくなら仲間に知られたくない、お互いの弱みを握ることで成り立っていた。これ以上近付いてはいけないと由稀は思った。もしも踏み込めば、今度は言い合いでは済みそうになかった。
「あのさ、思ったんだけど」
 上着に袖を通しながら、瞬は顔を向けた。
「晩のこと、忘れることにした」
 由稀は胡座を組んだ。地面に打ちつけた腰も痛みは引いていた。
「お前から聞いたことも、あの屋敷であったことも」
「忘れてどうする。また調べに出るのか」
 瞬は上着の襟を正して首を傾げた。窓からみるみる光が差し込んでくる。深緑の瞳はいつもと変わらない笑みを湛える。だが今の由稀にはその奥に絶望的な闇が見えた。
「いや、それもわからない」
 腕輪がほのかに熱を帯びた。由稀は腕を布団に押し付けて瞬を見上げた。
「ただ、お前と関わりたくないんだ」
「引き入れたくせに」
「だからそれは、羅依を悲しませたくなかったんだよ」
 由稀は自分の発言に驚いた。部屋が光に満ちていく。部屋の外の廊下に、人の歩く気配がした。
 瞬は煙草に火をつけて、窓際の壁にもたれかかった。虚ろに、外を眺める。由稀は腕輪を優しく撫でた。
「あいつは裏切らないから」
 腕輪は落ち着きを取り戻しつつあった。鉄が固まるように冷えていく。
「だから俺は抜けさせてもらう」
「どうせ、城につくまでのことだ。わざわざ言明することでもない。好きにしろ」
 瞬は煙草をくわえて壁から離れると、由稀を一瞥することなく部屋を出て行った。
 扉の閉まる音で、由稀の中で弾けるものがあった。緊張でも安堵でもない。それは連帯感の正体のように由稀には思えた。ざわりと胸の中がざわつく。鬼が眠りについていく。
 由稀は寝台から降りて、窓に寄った。そこにはまだ甘い煙草の香りが残っている。素直に瞬の強さに憧れた。そして同時に彼の弱さにも気付いてしまった。由稀の中で鬼使・瞬が、瞬という一人の男になった。だが、それをさらに理解しようとすることは憚られた。
 ただ呆然と世界を感じる。自分の知らない所で何かが動いているという、当たり前のことを強く実感した。それは自分の内のことかもしれない。
 わからないことはどこまでも追究したい。だが自分にはわかるだけの強さがないことを思い知らされた。知っても受け止められなければ意味がない。
 強くなりたい。由稀は強くそう思った。