THE FATES

7.決裂(4)

 アシリカ帝国・ネイアは、カワヒ川の船着き場として栄えていた。人や物が多く行き来し、市場は様々な商品で溢れていた。川沿いには旅人のために宿屋と食堂が並んでいる。
 栗色の髪の男は、街一番と評判の食堂に入った。空いた席に座り、息をつく。
「幸せやねぇ。こんなきれいなお姉ちゃんと一緒に飯が食えるんやから」
 男は黄ばんだ品書きを繰りながら言う。
 向かいに座る女が長い脚を組み替えた。周りの席の男たちから短い口笛が飛んだ。髪は常に整えられ、顔立ちは遊女のように艶めいている。紅を差した唇が人目を惹いた。
「相変わらず、心にもないことしか言えない男ね」
 だが彼女の言葉には、容貌に似合う色香が微塵もなかった。
「嫌やわ、俺のこと勘違いしてるで」
 男は目つきこそ鋭いものの、言葉には訛りがあり愛嬌があった。女は体を前に乗り出して型通りの笑顔を浮かべた。
「いいえ。だってあなたが嘘をつくと、言葉の抑揚が狂うんだもの」
 男の動作が凍るように止まる。
「ふわふわの髪して、きついこと言うよな」
「ええ。随分長い間あなたと一緒に行動してますから、大体の癖は掴めました。まったく、どうして私が不破(ふわ)なんかと動かなきゃいけないの。私は亜須久(あすく)さんと行動したかったのに」
「不破なんかってなんや、なんかって。弓菜(ゆみな)もいい加減に諦めろや。しゃあないやろ。俺らは亜須久と違うねんから」
「そんなことわかってるわよ」
「ほんならなんやねん。あっ、すんません、注文お願いします」
 不破は手を挙げ、大きな声で店員を呼んだ。弓菜は頬杖をついて、ため息をこぼした。
「亜須久さんなら、きっとこんなことにはならないのに」
「こんなことってどんなことや。すんません、えっと、この鶏の味噌焼きと、貝柱の野菜和えと、海老の丸焼き。なぁ、弓菜」
「なによ」
 頬杖のまま、弓菜は視線だけを不破に向けた。
「食わへんのか」
 品書きを指して不破は首を傾げる。
「食べるわよっ、船酔いして戻しちゃったんだから。あぁ、もったいない」
 弓菜は彼から品書きをひったくった。
「いや、普通ゲロった後は食う気せぇへんと思うけど」
「えっと、注文いいですか」
 弓菜は不破を無視して店員に笑顔を向けた。不破は水を一気に飲み干した。
「鶏の甘酢かけ包みと、豆腐の辛子炒め、それから魚介類の野菜詰め煮でしょ。これはいつも通り経費よね。じゃあ、あとは軟骨の唐揚げと炒め飯ね」
「あ、はい。かしこまりました」
 店員は紙に必死に書き留め、頭を下げて厨房に戻ろうとする。弓菜は品書きを食卓に立てかけると、手を叩いた。
「あ、ねぇ、それから」
「まだ食うんか」
「炒め飯は大盛りでね」
「あ、ありがとうございます」
 店員はそう言うと、弓菜の全身を眺めて首を傾げて下がっていった。

 運ばれてきた料理をつつき、不破は唸るように言った。
「俺らの経費、何割が食費なんやろ」
「不破のせいでしょ」
「ちゃう、お前のせいや」
「お前なんて言わないでよ」
「方言や、けちつけるな」
 次々と運ばれてくる料理をきれいに平らげていく弓菜は、不破から見て豪快の一言に尽きた。彼女の体はどこか異次元に繋がっているに違いない、と不破は思った。
「冗談よ。そんなこともわかんないの。青竜(せいりゅう)と仲良くしてるから、人付き合いが下手になってるんじゃないの」
「あほか。青竜と仲良しやなんて言うな」
 海老を丸ごと手にしていた不破は、剥いた殻を弓菜の皿に投げ込んだ。
「やぁね。子供みたい」
「うるさい。大体やなぁ――」
 弓菜がお腹を抱えて笑いだした。
「不破ってからかい甲斐があるわよねぇ。言われたことあるでしょ」
「ないわ、そんなん」
「あ、そう。でもさ、青竜はかなり嫌な男よね」
 弓菜は持っていた箸をくいと動かす。不破はそれを横目で見て、低い声で相槌を打った。
「乗り気じゃないね。仲良しだから?」
「そうちゃう。なんや、いきなり俺に話あわせて。裏でもあるんちゃう」
 海老にかぶりつきながら不破が問うと、弓菜は顔を両手で覆った。
「ひどいっ、乙女の純情を踏みにじるのね」
「乙女ゆう歳ちゃうやろ、俺とタメやん」
「女に歳の話をするの」
「持ち出したんはお前や」
「まぁ、いいわ」
「わからん奴やな。せやけど、ほんまそうやで」
 豆腐の辛子炒めに箸を伸ばしていた弓菜は、顔を上げて首を傾げた。不破の手に力が入り、海老の尾は粉々に割れた。
「青竜や」
「その話か。そうよね、仕事は確かに出来るかも。背は高いし、顔もそれなりね」
「褒めてるやん」
「人の話は最後まで聞くの。でもね、あの一言一言が気に食わないのよ。この前なんか『見た目ばかりに暇をかけず、もう少し役に立つことに時間を使ってはどうですか』とか言うのよ」
「まぁ、おうてるかもな」
「なに」
 弓菜は眉間に皺を寄せ、不破を睨みつけた。
「いやいや、なんでもない」
 不破は静かに海老を食べる。
「よろしい。しかもあの敬語が腹立つのよぉ」
「言えとる。俺かて宮殿の中庭でみんなと喋ってたら、あいつが横に来て、『あまり大きな声でお話をされては、中身のない話だと思われますよ』やで」
「それ、どういう意味」
「アホやな。いてっ」
 食卓の下で、不破は弓菜の尖った靴で臑を蹴られた。彼女はにっこり微笑む。
「それで?」
 不破は半泣きになった。
「だから、俺の話にはやなぁ」
「あぁ、元々中身がないってことね」
 弓菜は不破が食べかけている海老を横取りし、手早く全ての殻を剥いた。不破が声をかけるより早く、口の中に放り込む。不破は椅子の背もたれに寄りかかって、額を押さえた。
「別にええよ、もう」
 不破はため息まじりに言って、鶏の味噌焼きを手前に引き寄せた。
「俺はどうせ、いじめられて強くなる種類の――」
 そこまで言って、不破は口を噤んだ。弓菜は視線を上げて、寡黙な不破に眉をひそめた。
「続きは何よ」
 弓菜に向かって不破は人差し指を立てた。
『聞こえるか、不破』
 不破の頭の中に、男の声が響いた。思念波だった。
『亜須久か』
 不破は持っていた皿を、集中が切れないように食卓に置いた。弓菜は事態に気付き、静かになった。
『さっきアシリカ領内に入った。みんな疲れてはいるが元気だ。元気なんだが』
 思念波は途切れがちになり、声も小さくなった。
『なんや、どないした。なんか問題でもあんのか』
『いや、実はあと二人、ここまで来たのがいるんだ』
『なんや、どういうことや』
 言ってから、不破は的確な問いでなかったと思い直す。
『それより、誰や』
 即座に言い直した。
『一人は羅依の兄貴の加依だ。奴とは、俺がまだ橙亜にいる時からの知り合いで、いずれ二人を引き合わせるつもりではいたんだ。だが、もう一人が』
『誰や』
 不破は根気よく促す。任務に忠実な亜須久が報告をためらうとなると、よほどの人物と予想できた。
『それが、不破も知っていると思うが、二年前大騒ぎになった、鬼使・瞬なんだ』
「はぁ?」
 思わず声が出た。大人しくしていた弓菜が、怖い顔で不破を見る。彼はさりげなく咳払いをした。
『ほんまか、亜須久』
『こんなことで嘘はつかない。どうしたらいい。神殿までとなると、加依はなんとかなっても鬼使は無理か』
『俺では決められへんわ。あいつに聞かな』
『そうか。そうだな。じゃあ、青竜に聞いて来てくれないか。不破相手ではないし、あそこまで思念波を飛ばせそうにない。返事が来るまで、なるべくゆっくり進む。無理なら無理で、瞬は話せばわかる男だ』
『しかし、えらい奴とおるんやなぁ』
『まぁ、色々とな。青竜によろしく頼む』
『おう、任しとき。じゃあな』
 そこで通話は切れた。不破は大きく息を吐く。
「ねぇ、亜須久さんだったんでしょ。なんて言ってたの」
「はぁ、えらいことになった」
「わかった、ついに私への愛の告白ね。亜須久さんてば、どうして直接言ってくれないのかしら」
「アホはええなぁ。いってぇ!」
 また蹴られた。
「で、亜須久さんはなんて」
 声までが怖かった。不破は大人しく弓菜に向き合った。
「なんか予定以外にあと二人連れてきたんやと」
「誰を」
 彼女は不破が聞き直した問いを、すぐに聞いてきた。
「一人は賞金稼ぎの兄貴。んで、もう一人はやな、聞いて驚け、あの鬼使・瞬や」
「嘘っ、あの超いい男」
 思わずあほと言いかけて、不破は口を噤んだ。次に蹴られれば歩けなくなる。
「まぁ、とにかく青竜に報告入れなあかんから、どっちかがメプトリアに戻らなあかんな。どうする」
「にらめっこで決めるっていうのは、どう」
 きれいに平らげた皿を横に重ね、弓菜は食卓に身を乗り出した。きちんと整った顔が、どことなく楽しそうで自信に満ちていた。
「化粧濃いで。はっ」
 不破は臑を庇うように脚を横に出した。しかし弓菜は笑顔を崩さない。不破は調子の違いに眉を寄せた。
「やだ、不思議そうね。だって簡単よ。あなたが歩けなくなったら、私が行くしかなくなるじゃない」
 不破は言葉を失った。
「ほんま、お前は頭いいよ」
「ありがとう。でも、おだてたって負けてあげないからね」
 そしてその後、不破は弓菜の提案したにらめっこ勝負において、大敗を喫することになる。