THE FATES

7.決裂(5)

 メプトリアは、南風の絶えない温暖な土地だった。アシリカ帝国の首都として市場は活気に溢れ、また学問や情報の発信地として人の往来の絶えない街だった。
 街のいちばん南の高台には、石造りのリノラ神殿が聳えていた。
 不破は早馬に乗り、丸一日でメプトリアへ着いた。寄り道をすることなく神殿の階段をのぼる。一段ずつ踏みしめて、不破はゆっくりと最上段まで上がった。
「ええ風や」
 振り返って街を見下ろす。強い日差しを受けて、建物の白壁や露店の幕が光った。背後からは潮風が吹き抜ける。見上げると、神殿の吹き抜けから空が切り取られて青くそよいだ。不破は神殿を支える柱を撫でて、視線を落とした。
 石柱は、不破の乾いた掌を受け入れた。
「ただいま」
 不破は小さく微笑んで、神殿を奥へと進んだ。硬質な靴と床石が弾き合い、互いの存在を無機質に表現する。それだけが今ここにある唯一の音のように思われた。
 リノラ神殿は列柱廊に囲まれて、三つの間と祭壇を擁する広間に分かれていた。三つの間はそれぞれ石段側から、血の間、俗の間、空の間といった。完全な個室ではなく、壁には人の顔ほどの四角い穴が空いていた。そこから空の間に安置されている、照らしの燭台を見ることが出来た。また空の間の脇には地下へ続く入り口があり、そこには国内一の蔵書を誇る書庫があった。だが貴重な書物も多いので、一度も一般に公開されたことはなかった。
 白い神殿の中に光が満ちる。不破は祭壇を仰ぎ、深く頭を下げた。胸に広がる苦味を押し殺し、顔を上げる。耳には風の嘆きが渦巻いた。
 広間を横切り、ゆるやかな列柱階段を下る。目の前には高い石塀と厚い鉄扉が立ち塞がった。不破は扉の脇にある守衛所で手続きを済ませ、通用口から中へ入る。さらさらと水の流れる音がした。塀の内側には水路が掘られていた。橋に手をかけて、不破は流水を眺める。小さな波が光を弾いて輝いた。そこにある全ての音が、不破には心地よく感じられていた。
 橋を渡りきると、広い道の両側に大きな屋敷が門を構えていた。それは全て上級官人や貴族、または軍将校の屋敷であった。それぞれ目を奪われるような美しい屋敷だった。
 アシリカは日差しが強いので、石造りが最も一般的な建築様式で、光をよく弾くように白石を使うのが主流である。しかしこの辺りでは白石の上から鉱石を砕いた塗料を重ねていた。屋敷の補強が元々の理由ではあるが、鉱石が高価なため富の象徴でもあった。そのため彼らはより高価な塗料を求めて、壁に塗りこんだ。
 だが一つだけ、禁じられている色があった。
 不破は緩やかな上り坂を越え、眼前に迫ってきた青の建物を見上げた。アシリカ帝国の王が住まう、ネリオズ宮殿だった。
 ここに使われている青灰色だけは、莫大な富を持ち、いかなる特権を持つ者でも、使用を許されることはなかった。そのためアシリカでは青灰色は最も高貴な色として、屋敷以外のものによく使われていた。
 宮殿の正門を横目に見つつ、不破は守衛所に向かった。中にいた中年の男が気付き、小屋を出てくる。男は笑顔で通用門を開けた。
 背中で扉の閉まる音を受け、不破は渋々進み出す。足取りは重かった。
「どこにおるんやろか」
 肩を下げてため息をつく。不破は宮殿の中へ入り、すれ違う官吏、侍女、近衛隊員に青竜の居場所を尋ねた。しかし誰もが彼の姿を見ていないと口を揃えた。
「地下書庫ではないのですか」
「あ、そうか」
 侍女に言われ、不破は正門に戻る。しかし門衛は青竜の姿を見ていないと言った。不破の苛つきは頂点に達した。
「俺は何をしてるんや。なんでこんなにも必死こいて捜さなあかんねん」
「そういえば」
 門衛は思い出したように口を開く。
「青竜殿が会議室の使用許可を取ったと、官吏が話していました」
「それ、どの会議室や」
 不破は門衛の服を掴んで、激しく揺する。門衛は首を前後に振られて目を回した。
「あ、あの、いちばん日当たりのいい、設備の整った部屋だと」
「ほな、第三会議室やな。おおきに」
 門衛の肩をたたき、不破は宮殿へと走った。花が咲き乱れる中庭を過ぎ、階段を最上階まで駆け上がる。さすがに息が切れて、不破は廊下の壁に手をついて荒い呼吸を繰り返した。首から顔にかけてが上気した。体の中は早く打つ鼓動で占められた。耳に、椅子を引きずる音が届いた。
「当たりか」
 不破は顔を上げて、口を歪めた。
 廊下を奥へと進む。突き当りには小さな窓があり、空で埋まっていた。そこから下を覗き込むと、空の青より濃い青で、海原が広がっていた。波が打ち寄せる砂浜は白く、日差しを受けて星のように輝いた。波音が体に染み込んでいく。不破は静かに窓を閉めて、扉の前で長い息を吐き出した。樹皮色の扉を軽く叩く。中から短い返事が返ってくる。不破は扉を押し開けた。
 二つある窓からは光がとめどなく溢れている。部屋の壁には棚が並び、隅には余った椅子が重ねられていた。中央には大きな机が据えられ、その上には本と紙が散乱している。不破は足元を見た。そこには、細かな字で埋まった紙が落ちていた。拾い上げて、扉を閉める。
「ほら」
 不破は机に座っていた男に紙を差し出した。男は黙ってそれを受け取る。
「礼くらい言えや」
「そうですね。ありがとうございます」
 男は闇よりも深く黒い瞳で不破を見上げて、不敵に笑った。不揃いな黒髪をかきあげて、ため息をつく。
「何か用ですか。弓菜と護衛に行っていたのでしょう」
「伝言や」
 不破は憮然として机の上に腰掛ける。
「亜須久らがアシリカに入った。昨日、連絡があった」
「予定より随分と早いようですね。それでわざわざ報告に来たわけですか」
 男は紙の束に視線を落とす。不破は腕を組んで男の頭上を眺めた。
「ちゃうわ。亜須久がな、青竜に聞いてくれって言うから来たんや」
「別にあなたが来ることでもないでしょう」
「あるんや。亜須久は思念波が苦手やからな。耳のええ俺でないと届かんのや」
「その尋常でない聴覚も役立つところがあるんですね。で、用件は何です」
 問いながら、青竜は顔を上げようとはしない。積んであった本を広げ、紙に筆を走らせる。不破は怒りを飲み込んで口を開いた。
「同行者がおる。番人以外に二人。一人は番人の兄貴や。これはまぁ、問題はないと思うんやけど、もう一人がえらい大物や」
「もったいぶる必要はありません」
 青竜は椅子から立ち、棚から数冊の本を取る。再び机につき、本の中身を見比べていた。不破は青竜に聞こえるようにため息をついた。
「はいはい。もう一人は鬼使・瞬や。名前くらい聞いたことあるやろ」
 ようやく青竜は顔を上げた。
「本当ですか」
「嘘言ってどうすんねん」
「鬼使・瞬が」
 青竜は口元を押さえて考え込む。不破は本を開いて見るともなく見た。
「どないする。亜須久は話をすれば分かってくれるて言っとる」
「構いません。むしろ連れてきていただきたい」
「は」
 不破は眉をひそめた。
「なに言ってんねん」
「亜須久に伝えて下さい。そのままメプトリアまで来るようにと」
「はぁ」
 青竜の予想外の言葉に、不破は拍子抜けした。青竜は何事もなかったように、再び紙面に向かった。