THE FATES

8.暴走(4)

 ランカースは、商業の盛んな街だった。首都メプトリアは大陸南端のため、交通の便が悪い。物資は一度ここへ集められてから首都へ向かった。
 亜須久の耳に思念波が届いたのは、大通りに差し掛かった頃だった。一瞬、そばの誰かに話し掛けられたと勘違いし、思わず立ち止まる。
『おーい、亜須久、返事せぇ』
 声は不破(ふわ)のものだった。亜須久はすぐに歩き出した。
『悪い。どうも慣れないな』
 前を行く由稀らを呼び止めようとしたが、人波に阻まれる。仕方なく、亜須久は地図を見ながら思念波に集中した。
『それで不破、青竜(せいりゅう)は何と言ってた』
『それがな、ええらしいんや。思惑っつーか、魂胆が読めんのやけどな。是非とも来てほしいみたいやで』
『そうか、わかった』
 亜須久は胸を撫で下ろし、今朝の瞬を思い出す。彼は、望まないかもしれない。
『ところで亜須久、俺の声が届いたってことは、随分近くまで来てるんちゃう』
『ちょうど今、ランカースの大通りだ』
『分かった。ほな、迎えの馬車出すわ。疲れてるやろ、一気に来ぃや』
『助かる』
『俺な、今回だけは青竜に感謝してんねん』
 不破の声から普段の陽気さが消える。亜須久は違和感に眉を寄せて、黙った。
『はよ、鬼使におうてみたいわ』
『不破も、あの時を覚えている口か』
『よぉ覚えてる。想像しただけで背筋がぞくぞくするわ。あれだけの化けもん、そうそうおらんで』
 亜須久は鬼使に興奮する不破が意外に思えた。少しでも興奮の源を探ろうと、話を繋ぐ。
『しかし、実物は思っているほど凶悪な男でもない。悪魔でも化け物でもなく、瞬も俺たちと同じように生きている、普通の男だ』
『嫌やなぁ。あんま、がっかりするようなこと、言わんといてくれや。楽しみにしてんねんから。人殺すって、鬼使にとってはどんなもんなんか話してみたいわ』
 あまりの無邪気さで、亜須久は返す言葉を失った。黙れば思念波は本当の無言になる。不破は沈黙を嫌った。
『今から馬車呼んだら、飯食って、休憩して、せやな、大通り抜ける頃には間に合うと思うで。なるべくええ馬選んだる。逐次連絡するし、頼むで』
『ああ、わかった』
 雑音が混じり、通話は終わった。亜須久の黒い瞳は憂色に翳った。
 亜須久も初めて瞬に会ったとき、鬼使に対する好奇心があった。どんな男かと思う気持ちは、わからないでもない。だが不破の持つ興味は、大きさも方向性も亜須久には理解できないものだった。
 見るともなく広げていた地図をたたみ、担いだ荷物に押し込もうとする。肩が横を行く人に当たり、持っていた地図が落ちた。
「ごめんなさい」
 若い女性が慌てて地図を拾い、亜須久に渡した。
「いや、俺の方こそ」
 端の擦り切れた地図を受け取り、亜須久は小さく微笑んだ。女性は勢いよく頭を下げて、走っていった。その背中をしばらく見送って、亜須久は瞬の姿が見当たらないことに気付いた。
「瞬……」
 流れの妨げにならないよう、道の端に寄って辺りを見渡す。しかし人込みに、作り物のような薄茶色の髪は見つからない。亜須久は来た道を戻る。露店の店主に聞いて回るが、皆知らないと口を揃えた。急に、亜須久の中に焦りが芽生えた。今朝の瞬の焦燥が乗り移ったようだった。
「瞬、瞬!」
 名を呼べども、返事はない。亜須久は路地の脇で靴磨きをしていた少年に声をかけた。少年は靴墨に汚れた顔を上げた。
「そういや、さっき見たよ」
「どこへ行った」
「路地に入っていった。随分と磨り減った靴だったから、覚えてる」
「ありがとう」
 亜須久は少年に小銭を渡して路地へ入った。道幅は狭い。両腕を満足に広げられない。建物に挟まれた薄暗い路地は、昼だというのに闇が支配していた。
 道端に小さな光を見つけて立ち止まる。拾い上げて見ると、それはいつも瞬が使っていた銀色の火付け具だった。硬く冷たい感触が、亜須久の不安を煽る。
『干渉される義理はない』
 亜須久には、瞬が干渉されたがっているように思えて、仕方なかった。