THE FATES

8.暴走(5)

 大通りは道幅も広いが、人も比例して多かった。加依は隣にいる玲妥が迷子にならないよう、自分の袖を握らせていた。
「今日のお昼ご飯、こんなにお店がたくさんあると、悩むね」
「そうですね、久しぶりに六人ばらばらになるかもしれませんね」
「やだな、みんな一緒がいい。ねぇ、そろそろ考えちゃおうよ」
 玲妥は加依の袖を引いて立ち止まった。少し後ろを歩いていた由稀と羅依を待つ。
「どうした」
 気付いた由稀は早足になって駆け寄った。羅依もすぐ後ろをついてくる。玲妥は目を輝かせて二人を見つめた。
「お昼ご飯、私はお魚がいいと思うの」
「は、何の話」
 由稀は助けを求めて加依に言った。
「ある種の交渉ですよ」
「交渉って、大げさな」
 羅依は苦笑した。
「夜上たちにも聞かなきゃ、達成できないよ」
「そうなの。でも、あーちゃんも瞬も、全然来ないね」
 玲妥は背伸びをして人波を眺めた。由稀が後ろから玲妥を担ぎ上げる。玲妥は短い悲鳴を上げた。
「こうでもしないと見えないだろ」
「嫌、おろして、おろしてよ」
「代表してちゃんと見ろよ」
「は、恥ずかしいからおろして!」
 腰を支える由稀の腕を、玲妥は両手で叩いた。
「あいたた。仕方ないなぁ」
 渋々、由稀は玲妥をおろした。振り返った玲妥が由稀を睨みつける。
「あ」
 羅依は玲妥の肩をたたいた。
「夜上来たよ」
「ほら玲妥、来たらしいぜ」
「またやったら、許さないからね、絶交だからね」
 頬を膨らませ、玲妥は由稀の腹を小突いた。
「あれ。様子がおかしいですね」
 近付いてくる亜須久を見て、加依が言った。走り寄ってきた亜須久は、ひどく汗をかき、息を切らしていた。
「何かあったのか、夜上」
 羅依の質問に、亜須久はすぐに答えられないようだった。何度も唾を呑み込んで話そうとするが、口から洩れるのは息ばかりだった。加依はそれが、ただ走ったからとは思えなかった。人込みを見渡して、気付く。
「亜須久、瞬の姿が見えませんが」
 乱れていた息が、凍りつくように整う。
「何か、用事でもあるんじゃねぇの」
「あるはずないだろう」
 投げやりな由稀の発言に、亜須久は厳しく言い放った。手に握っていた火付け具を見せる。
「道に落ちていた。瞬のものだ」
「事故か事件に巻き込まれたのでしょうか」
「考えにくいな」
「ええ。瞬に限ってそれはないですよね」
 加依はいつもと変わらず冷静だった。
「夜の間にいなくなることはあっても、昼間なんて。今までにありませんよね」
「それに、これがないと煙草が吸えない」
「そうですね、瞬には辛いことでしょう。でも、だとしたら、なぜ」
 街の喧騒が沈黙を際立たせた。羅依は輪から離れ、来た道を戻っていく。
「おい、羅依」
 由稀が追って人込みに紛れていった。
 加依は袖を引かれて玲妥を見た。
「どうしました」
 玲妥は空を見つめていた。じっと見つめていた。加依は彼女の視線を追って、青天を見上げた。
「何も、見えませんが」
「違うよ、ほら、向こう」
 震える手で、玲妥は空の端を指差した。そこには青天に釣り合わない黒い雲が蠢いていた。徐々に近付いてくる。
「前に、橙亜(とうあ)で見たのと似てるの」
「橙亜で……」
 加依は亜須久に聞こえないよう、小声で繰り返した。雨の中、玲妥と橙亜の街を走ったことを思い出す。
 玲妥は加依に抱きついた。
「怖い。あの雲、怖い」
 強くしがみついてくる玲妥の肩をさすり、加依は亜須久を振り向いた。
「亜須久、瞬は幻術を使うんですよね」
「ああ。あと、雷術も使う」
「雷……」
 暗雲は不安を吸い上げ、膨らんでいった。

 羅依は人の流れに逆らって走り出した。
「おい、羅依」
 後ろから由稀の声がしたが、取り合わずに走った。行き交う人々が迷惑げに羅依をよける。
「待てよ、みんなとはぐれるだろ」
 強引に肩を掴まれて引き止められる。羅依はせめてもの抵抗と、由稀の手を払いのけた。
「もう、はぐれてるよ」
「戻ろうぜ」
 冷ややかに言い捨てて、由稀は羅依に背を向けた。羅依は後ろ髪を引かれる気持ちで由稀に連なる。自分の中の激しい落胆に耐えられず、俯いた。ふと、足元の影がないことに気付く。空を見上げた。光がない。
 羅依の全身が恐怖に濡れた。
 空は色濃い雲に覆われていた。羅依は手を伸ばして由稀を探るが、指先は宙を掻くだけだった。
「由稀、由稀!」
「なんだよ」
 振り返った由稀は、羅依に倣って空を見上げた。
「なんだ、こ――」
 耳をつんざく爆発音が響いた。路地から突風が吹き出る。薄暗くなった街に、砂塵が舞う。街を往来していた人々は、悲鳴を上げて逃げ惑う。由稀と羅依はその場に立ち尽くした。視線の先の路地から、身を斬るような《気波動(きはどう)》が漂っていた。息苦しさが体を圧迫する。
 羅依は知っていた。この不快に覚えがあった。背中を汗が流れていく。
 かつて、夜の闇の下、血の臭いに満ちた場所で、この《気波動》に絡め取られた。
 煙の向こうに、人影が浮かぶ。
 羅依は無意識のうちに、一歩下がった。背中が由稀に当たる。羅依は震え上がって振り返った。涼しげな彼女の顔立ちには、恐怖が張り付いていた。由稀は彼女がどこへも行かないように、しっかりと肩を掴んだ。
「しっかりしろよ」
「ゆうき」
「どうした」
「逃げなきゃ」
 羅依は首を振りながら由稀に縋った。由稀は砂煙の奥を睨みつけた。細い影がこちらへ歩み寄ってくる。
「由稀、早く」
 肩を掴んでいた手を掴み返し、羅依は由稀を引いて走り出した。だが、鼻先を青い光がよぎった。羅依はのけぞって止まった。
 背後から、笑い声がした。
「いい反応だ」
 白い煙は、次第に風に流されていく。隙間から、作り物のような薄茶色の髪が、風に揺れるのが見えた。由稀はとっさに背中に羅依をかばった。
「まるで騎士だな、由稀」
 頭上から雷鳴が響く。地面を青い光が走る。
 深緑の瞳が、笑っていた。
「瞬」
 由稀は煙の奥から現れた姿に息を呑んだ。だが、頭の隅に、どこか冷め切った自分がいた。背後にいる羅依の体は、かわいそうなほど震えていた。由稀は正面の男を見据えた。
「何の真似だ」
 曇天が由稀の肩に重く伸し掛かるようだった。男は楽しそうに笑った。
「面白そうだから」
 細くしなった深緑の瞳には、世界を統べるほどの美しさが滾っていた。彼は指先を目の高さに上げて、軽く曲げた。由稀の後方にあった建物が、破裂した。
「くっ」
 羅依の体を抱いて倒れこんだ。飛んでくる礫から守る。頬を掠めた破片が、由稀の肌を裂いた。飛び散った血が、地面に染みを作る。
「由稀」
 羅依の白い肌に、由稀の鮮血が滴った。由稀は満面に笑みを作った。
「平気」
「ばか。お前にはこの《気波動》がわからないから、そういうこと言うんだ」
 守られるばかりを嫌って、羅依が腕からすり抜けた。
「羅依!」
 由稀と男の間に立ち、彼女は腕を広げた。
「どういうつもり。何が目的」
 羅依は両手に素早く短刀を握った。
「返答次第では、この刃がお前の喉を掻き切るぞ、鬼使」