THE FATES

8.暴走(8)

 廃墟の中にいた。街は一瞬で死んだのだった。
 由稀は地面を蹴った。刃が激しくぶつかり合う。髪が触れ合う距離に、相手を見る。由稀は奥歯を噛み締めて、短刀の切っ先を返した。間合いでは劣勢だった。速さが由稀の武器になった。地面を転がって瞬の背後を取る。短刀を横に薙いだ。しかし刀のきらめきは髪の一筋すら捉えきれない。
「もう少し、気配を消さないと」
 耳元で声がした。由稀はとっさに体をのけぞらせ、軌道から逸れる。服の裾が、未練なく切れた。走って、瞬と距離を取る。
 緊張感は、由稀の体を自由にした。これほど軽やかなことは今までになかった。
「無駄口叩いてる暇があるなら、雲でも呼び戻したらどうなんだ」
「ああ」
 由稀に促され、瞬は空を見上げる。広がり、膨らんでいた暗雲は、竜巻に飲まれて消えていた。
「必要があれば、そうするよ」
「そんな暇、やらない」
 由稀は両手を交差して、勢いよく短刀を投げた。矢のように飛ぶ短刀を追って、由稀も駆ける。瞬が太刀で短刀を払った。由稀は一瞬の好機を見いだす。
 開いた懐へ潜り込み、瞬の胸倉を掴んだ。拳を振り上げる。しかし、その腕が痺れて動かなくなった。
「お前は誰だ。その中に、誰がいる」
「え」
 瞬の言葉で、由稀の中に放たれた鬼がうろたえた。意識が混濁して、境目が薄れる。
 隙をついて、瞬は由稀の腹を膝で蹴り上げた。後ろに倒れそうになる体を、瞬が服を掴んで引き寄せる。
「見えるよ、透けて見える。お前の闇が」
 深緑の瞳が、容赦なく空色を覗き込む。瞬は口を歪めて笑った。由稀の顔を太刀の柄で思い切り殴りつけた。
「誰か知らないが、安易なことをしたな。本物の由稀の中は、俺が見れる仕様じゃない。よくまぁ無防備に開放したものだ」
 瞬に近付くだけで、溢れる《気波動》で皮膚が切れそうになった。由稀は腰に下げていた短刀を抜き、瞬の腕を切りつけた。隙が出来る。由稀は瞬の手から逃れた。
「上等」
 瞬は目を細め、腕から流れる血を舐めた。血で口の中が染まっていく。
「じゃあ、はっきりと教えてやろう。お前が垂れ流している無様な闇を」
 赤い唾を吐き、瞬は太刀を地面に向けた。
「世界を隔てる壁、拒むことは許されない。闇を浮かび上がらせよ。土に砂に張り付いた影、秘めごとの懐、過ぎ去りし星霜、全てをつまびらかに」
 太刀の刀身から液状の光が滴る。光は地面に円になって広がっていく。
「結界、観想」
 瞬は太刀を光の円に突き立てた。光の雫が、逆さに降る雨になって、空へ散らばっていく。由稀はあまりにも美しい光景に、戦いを忘れて見入った。ややすると、空へ舞い上がった雫は、糸を引いて垂れ始めた。
「対象を捉えた」
 指を鳴らす。光が由稀めがけて降った。眩しさで何も見えなくなる。由稀は腕で目を覆った。
 瞬の笑い声がした。
「随分と暗い所に押し込められているようだな、お前の本体は」
 驚いて由稀は顔を上げた。しかし、瞬の姿を捉えられない。
「洞窟か。湿っぽい場所だ」
 すぐ横に瞬がいた。由稀は手にしていた短刀を瞬に向けて振り上げた。だが、光が邪魔をして、距離を掴めない。
「街が、燃えている。戦争かな、むごいことをするね」
 由稀は瞬の姿を追って短刀を振り回した。手応えは一向にない。
「男がいる。背の高い男だ。街を見下ろして、満足げだ」
「貴様」
 張り裂けそうな気持ちを隠し、由稀は狙いを定めて短刀を投げた。ついに瞬を捉えたと思った瞬間、辺りを包んでいた光が砂になり消え去った。瞬の姿も見えなかった。精神を研ぎ澄まし、瞬を探す。
 風を切る音が後方であった。身をよじり、横に転がる。由稀のいた場所を短刀が切り裂いていった。
 背中に何かが当たる気配があった。
「さっきまでの勢いはどうした」
 上から瞬の声がした。地面に膝をついていた由稀は、振り向くよりもまずその場から離れた。だが一歩遅く、背中に《気波動》の塊をぶつけられ、建物の壁にしたたかに体を打ち付けた。体の中が跳ね上がるような衝撃があった。中で何かが破れた。地面に崩れ落ちた由稀は、咳き込んで血を吐いた。
 近くに短刀を見つけ、由稀は這った。肩に力を入れるたび、胸の奥が引き攣る。擦り切れた手を伸ばす。爪が、柄に触れる。
「動きにくいんだろう、他人の体は」
 懸命に伸ばした手を、瞬の擦り切れた靴が踏みつけた。由稀は声を堪えた。
「かわいそうに。死ぬときくらい、自分の体で死にたいだろうに」
「まだ、やれる」
 由稀は瞬を睨み上げた。瞬は涼しい顔をして由稀を見下ろしている。
「ごめん、もう飽きた」
 瞬は短刀を拾い上げ、遠くへ投げ捨てた。由稀の手の上から足を退ける。由稀は素早く腕をひき、起き上がって身構えた。竜巻を起こすような《気波動》は、もう残っていなかった。短刀の場所を横目に探す。走れば、まだ勝機はあった。
「勝負を捨てたか、鬼使」
 薄笑いを浮かべて、由稀は短刀へ向かって走った。足が縺れそうになるのを、喝を入れて奮い立たせた。姿勢を低くして、走り抜けながら短刀を拾う。勢いをつけて壁に足をかけ、宙高くで身を翻す。直後、由稀が足をかけた壁が《気波動》で吹き飛ばされた。
 着地して、由稀は走る。振動で血が競り上がってくる。喉に血が溜まった。瞬の姿を目で捉えながら、また壁に足をかけ、高く飛ぶ。瞬の真上へ飛ぶ。
「覚悟」
 落ち始めると早かった。狙いを定めて短刀を構える。瞬の薄茶色の髪が風に揺らぐ。由稀の影が瞬を覆った。その影の中で、瞬の深緑の瞳が由稀を見て憫笑した。
「あまりに必死だと、見るに忍びないよ」
 瞬は指を鳴らした。由稀の真横に、《気波動》の塊が現れた。そんな気配は全くなかったのに。空中では方向転換も叶わない。由稀は塊に飲み込まれた。瞬が掌を徐々に拳にしていくと、《気波動》の塊も小さく凝縮されていった。また指を弾くと、塊は一瞬にして消えた。
 由稀の体が、地面に勢いよく落ちた。瞬は足で由稀の肩を押して仰向けにさせた。由稀が握ったままの短刀を抜き、腕に突き刺す。
 由稀が悲鳴を上げた。短刀は腕を貫通していた。
「おそろい」
 瞬は自分の腕を指差した。
「狂ってる」
 由稀は息だけの声で言った。空気が胸から洩れていく。
「そうか」
 瞬の眼差しが慈しみに染まる。
「俺が狂っているのか、世界が狂っているのか。一体誰に判断できる。神ですら狂っているかもしれないのに」
 立ち上がって、手についた砂を叩いて払う。
「基準なんて、自分一人が安心するための道具だ。自慰さ。誰も皆正常で、誰も皆異常だよ」
「詭弁を」
「ああ、それでもいいよ。どうせもう終わりだから」
 太刀を振り上げる。狙いは正確に。
「ばいばい、由稀」
 由稀は指一本すら動かせなかった。視界もぼやけて、ひどく狭かった。ただ、空の色だけはよく見えた。透徹した青空は、世界の上澄みのようだった。
 そして、眠るように空色の目を閉じた。

8章:暴走・終