THE FATES

9.鎮魂(1)

 空は、吸い込まれそうな青だった。透明で高く、綿を裂いたような雲が足早に駆けていく。不破(ふわ)はネリオズ宮殿の中庭で長椅子にかけ、空を見上げた。舞い降りた小鳥が、花壇に囲まれた噴水へ飛び込んだ。羽をばたつかせて飛沫を上げる。濡れそぼった小鳥は縁に上がり、毛繕いをした。
 目に映る景色は燦然と輝いていた。全ては思惑通りだった。
 組んでいた脚を解き、前屈みになる。両の掌を見つめて、思わず笑みを浮かべた。興奮が収まらない。彼はつい先ほど、帯都(たいと)帝との謁見を叶えたところだった。
 耳を澄ましても、自分の鼓動が邪魔をした。息を長く吐いて、呟く。
「滑稽だ。まるで一人芝居だよ」
 小鳥が空へ飛び立った。不破は顔を上げる。中庭を囲む回廊に、足音が響いた。
「どういうことですか」
 青竜(せいりゅう)の声がして、不破は軽く腰を浮かせた。背もたれに背中を押し付けて、柱の向こうを見遣る。青竜と若い官吏の姿があった。
「騒がしなぁ」
 不破は身軽に立ち上がり、二人へと歩み寄る。
「いえ、あの、知らせによると、ランカースで何らかの衝突が起きているとのことでして、そこに夜上氏を見た、と」
「衝突とは何ですか。詳細は」
 早口だったが、青竜に動揺は見られなかった。不破にはそれが異様に思えた。
「まぁ、ちょっと待ちや。落ち着いて聞いたらんと、困ってはるやん」
 青竜と官吏の顔が同時に不破を向いた。不破は歯を見せて笑い、手を振った。
「焦っても回り道や。こういう時こそ平常心やろ」
「誰も焦っていませんが」
「はいはい。そう言う人ほど焦ってるもんや。ほんで、どないなん」
 不破は伝言使を見た。実直そうな青年だった。彼は姿勢を正して、不破に向き直った。
「はい、場所はランカースでありまして、メプトリアの思念傍受所に連絡がありました。詳細は現在調査中でありますが、夜上氏らしき人物を見たと言っております」
「それ多分当たりやろなぁ。あいつら今ちょうどランカースにおるもん。さて青竜、どないする」
 不破は背の高い青竜を見上げた。青竜は不満げに薄い唇を噛み、大理石の床を睨みつけていた。刃物で切りつけたように鋭い黒の瞳は、苦渋に歪んでいた。不破は呆れて短い息を吐いた。
「その調子やったら、街の損壊とか被害とか、そういうのもまだわからんわなぁ」
「おそらく、たった今の出来事と思われるので、そこまでは……」
「せやんなぁ。うわっ」
 不破は青竜から書類を押し付けられて声を上げた。落とすまいと反射的に両手で抱えたが、回廊を引き返していく青竜を見て慌てた。
「お、おい。どこ行くねん」
 青竜は振り返るどころか、返事すらしない。不破は焦って、書類を官吏に投げ渡した。床に紙が散らばった。
「あの! ちょっと!」
「すまん、会議室まで運んどいて! 堪忍やで」
 振り返りながら手を合わせて、不破は青竜を追った。
「待ちぃや、おい」
 腕を掴んで引きとめる。
「どこ行くねん」
「離して下さい」
 青竜は静かにその手を払った。不破は落ち着き払った青竜に、眉を寄せた。
「どないするつもりやねん。お前が行ってどうなんねん。現地の警邏に任せたらあかんのか。情報だって逐次きよるで。何をそんなに急ぐんや」
「不破はなぜそんなにも無責任に、のんびりと構えていられるのですか。彼らの身に何かあったら、どうするんです」
「だから大丈夫やねん。あいつらやったら、なんとかしよる」
「鬼使がいるのですよ」
 言われて不破はあっと呟いた。そのことを全く失念していた。短い前髪を荒々しく掴んで掻いた。
「来い言うたんは、お前やぞ」
「あなたも、期待していた口なんでしょう」
「は、読まれとるか。せやけど、鬼使と喧嘩できるやつなんか、おらんやろ。化けもんやで」
 腕を組んで顎を逸らして、不破は青竜を斜めに見つめた。横顔には、感情の片鱗すらない。
「おるんか」
「さぁ、どうなんでしょう。私は彼らの全てを知っているわけではありませんから」
「せやけど、知ってるんやろ」
 不破は下から青竜を覗き込んだ。青竜は煙たがって歩き出した。回廊を抜けて短い階段をのぼると、庭園に面した広間があった。
「どうや」
「可能性の話をするなら、ないとは言い切れないでしょう」
「うまいこと言い逃れたなぁ」
 不破は一瞬表情を崩して、声を出さずに笑った。
「とにかく、私はランカースへ行きます」
「本気か、お前」
「誰か移動法が使えませんか。出来れば面識のある方がいいんですが」
「待てや、俺も」
「あなたは移動法を使えないでしょう」
「そんなこと言うてへん。俺も行く」
 青竜の前に回りこんで、不破は手を広げた。行く手を塞がれても、青竜が再び立ち止まることはなかった。身を翻して不破を華麗に避けていく。
「お好きにどうぞ」
 不破を追い越して、青竜は先へ進む。
「よっしゃ、言うたな」
 広間中に響く大声で不破は言った。
「神殿前で落ち合うで。葉利(はり)つれていくわ」
 不破は青竜の背中へ言い放つと踵を返し、近衛隊が訓練している格技場へと急いだ。

 格技場へ続く階段で、不破は葉利に出会った。
「おぉ、おった」
 南国の陽射しに葉利の短い金髪が映える。男ばかりのむさくるしい場所で、彼女の姿はよく目立った。
「なんですか」
 葉利は汗を拭い、濡れた髪を振った。どこをとっても鋭角な彼女の顔立ちが、不破には潔い死を想像させた。彼女は人ではなく、軍人だった。
 強引に彼女の手を引いて、不破は走り出した。
「何ごとですか」
「説明はあとでする。とにかく来てくれへんか」
「行くって、どこへです」
 葉利は不破の手を器用に振り払い、並んで走った。飛び跳ねるように軽やかに駆ける彼女は、しなやかな鞭のようだった。
「ランカースや」
「それは訓練を抜け出すほどの大事ですか」
 快活すぎる物言いに、不破は苦笑した。
「せやんな、自分には説明なんて必要ないわな」
 相手が弓菜だったならと考えてみたが、彼女も葉利と同じことを言ったかもしれなかった。理由に拘るのは自分だけだった。
「どうなんですか」
「すっごい大事や。ここの知り合いで移動法使えるんは、葉利だけやからな」
 宮殿の裏門へ回ると、厩が見えた。世話役の青年が不破に気付いて手を上げた。
「あれ、どうしたんですか、不破さん」
 不破は宮殿内の様々なところに顔が利いた。
「すまん、一台出してくれへんか」
「頼まれた馬車なら、すぐに出しておきましたよ」
「いや、それとは別やねん」
「はぁ。いいですけど。何か大変そうですね」
 首を傾げながら青年は葉利を一瞥して厩へ消えた。待つ時間は長く感じられたが、彼の仕事は早かった。二頭引きの馬車を手早く一台用意した。
「おおきに」
 不破は葉利を車に押し込んで、手綱を取るため前にまわった。
「不破さん」
 車の中を気にしながら、青年が耳打ちした。
「なんや」
「結構きつい人が好きなんですね。ほら、弓菜(ゆみな)さんとか」
「あ、あほか」
 不破は青年の頭を小突いて、逃げるように馬を走らせた。神殿までの道を走りながら、怒ったということは核心なのだろうと冷静に考えた。
 神殿を迂回する馬車道を通って正面に出ると、すでに青竜の姿があった。
「遅いですね」
「これでも全速力やぞ。大体、お前こそ何してたんや」
「話す必要はありません。急ぎます」
「さようですか。ほな、はよ乗ってや」
 不破は口を歪ませた。しかし青竜の言葉に、いつもの厭味がないことに気付いた。
 青竜は車へ乗り込み、深く息を吐き出した。
「大丈夫ですか」
「ええ。ランカースへ、頼みます」
「わかりました」
 馬車は音もなく消えた。