THE FATES

9.鎮魂(3)

 青。首をめぐらせても、また青。
 アミティスに着いた(こう)が最初に見たのは、空一面の青だった。屋根で見えない向こう側も青と信じられた。初めて見る青空は澄み渡り、吸い込まれそうなほど心地よかった。白い雲が、際立った。
「ちゃんと着いたみたいだね、良かった」
 心から嬉しそうに、凍馬(とうま)が息をつく。紅には真似できない満面の笑みだった。
「ここが……」
 (あかね)は紅の袖を掴んだまま、心細げに呟いた。彼女は何かを探すように辺りを見渡す。つられて紅も首を巡らせた。
 裏通りなのか、街に満ちる賑わいの割に、人通りは疎らだった。地面は舗装されておらず、雨の日についた轍が乾いて固まっていた。商店は少なく、ほとんどが民家のようだった。
 足元に茶色い小動物が鳴き声を上げながら擦り寄ってきた。紅は屈んで、ふんわりとした背中を撫でた。
「瞬の《気波動》を追ってここへ着いたんですが。少しずれたのかもしれませんね」
「でもまだ、封印は解かれてないみたいね」
 茜の声は緊張に震えていた。
「そうですね。出来れば瞬のまま会いたいところです」
 凍馬は眉を下げて困ったように笑う。だが紅には、先ほどより嬉しそうに見えた。
 紅は立ち上がり、手にしていた遮光眼鏡を掛けた。空色が遠ざかる。
「なんだ、あれ」
 空の向こうに、墨で練ったような暗雲が舌を出していた。見る間に青を埋めていく。
 紅の視線に気付いた凍馬が、声を上げた。
「あれは――」
 言葉は最後まで続かなかった。凍馬は路地に向かって数歩前に出ると、腕を突き出した。直後、地面が激しく揺れ、爆風が道を駆け抜けた。結界を張って、免れる。だが結界を透けて染み込んでくる脅威は、霜のように肌におりた。結界を支える腕が冷えていく。
 これは紛れもなく、鬼使・瞬の《気波動》だった。
「間に合わなかったか」
 凍馬は舌打ちして、《気波動》の流れてくる方へ走り出した。茜は紅を振り返る。
「紅」
「わかってる」
「瞬には、絶対内緒だから」
 紅が無言で返すと、茜は彼の袖を引っ張って凍馬のあとを追った。遣り切れなさに飽きながら、紅も仕方なく駆け足になる。
 このまま時が止まればいいと、全てが終わればいいと、いっそ、みんな死んでしまえればいいと素直な心で思った。

 不破は強い閃光に、きつく目を瞑った。瞼を通して白が染み込んでくる。そのまま白と混ざり合って消える幻覚を見た。
 眩しさが収まって目を開くと、路地裏だった。見覚えのある景色に、ランカースと確信する。素早く降りて、手近な配管に手綱を繋ぐ。馬が暴れて、車が激しく揺られた。不破は何とか宥めすかして、手綱を固定した。ようやく中の二人が降りた。辺りを見渡しながら、葉利は背中を車に当てて、少しでも安堵を得ようとする。不破には、そうしたくなる気持ちがよくわかった。
 周囲には、押し潰されそうなほどの《気波動》が満ち満ちていた。
「なんやこれ」
 不破は口の中が渇いて、うまく舌が動かせなかった。唾を絞り取り、喉に押し込む。手には汗が浮き出た。圧倒的な《気波動》だった。
 隣を、動く影があった。青竜が表通りへ向かって歩き出した。
「お、おい。青竜」
 呼び声は届いていないようだった。導かれるように進んでいく。不破と葉利も仕方なく付き従った。
 表通りからの光が射す場所で、青竜は立ち止まった。追い越して行こうとする不破を引きとめる。
「結界があります。焼き殺されますよ」
「ほんまか」
 不破は飛びのいて壁に張り付いた。青竜は涼しい顔で表通りを眺めていた。道の舗装は剥がれ、建物の壁は崩れ、人の気配は全くない。街は死んだも同然だった。
 地面には、赤い斑点が何ヶ所もあった。風を斬るような《気波動》の唸りが間断なく続いた。
「あれが、鬼使か」
 光の中を、不破は目を細めて見る。そこには、街角の張り紙でしか見たことのない、鬼使の姿があった。笑っている。
「相手は誰やねん」
 地面からは砂煙が上がっていた。鬼使はそれを見下ろして、手招きしている。不破は目を凝らした。風に煙が流されていく。中から、空が生まれた。
「由稀さん」
 青竜の言葉に、驚きはなかった。確信の響きがあった。不破は壁から離れ、青竜の横に並んだ。
「お前、平気なんか」
「何がです」
「こんな《気波動》、そうそうないで」
「気になりませんね」
 そう言って、青竜は嬉しそうに笑った。不安から焦燥、そして静かに沸き起こる喜悦。青竜の表情に現れては消えていく感情が、不破には訝しくあった。冷えた鉄面皮を被った普段の様子からは、想像もつかない姿だった。別人のように生き生きとしている。青竜の素顔に不破は見入った。
 背後で撃鉄の音がして、不破は振り返った。葉利が銃を構えて、馬車の奥へと向けていた。
「誰」
 揺るぎない、確固とした声で葉利は問い質す。軍で培われた冷静さで、葉利は一歩ずつゆっくりと近付いていく。不破は葉利の後ろについて、彼女の肩越しに銃口の先を見つめた。