THE FATES

2.偽装(1)

 吹き抜ける風に、砂埃が多く混じる。道は舗装され、馬車が我が物顔で往来していた。
 ラルマテアを出て、十日が経った。一行はミグ公国の首都イングスを進んでいた。目指すアシリカまでは、気が遠くなるほどの距離を歩かなければならない。旅慣れをしていない由稀(ゆうき)や、体力的に不安のある玲妥(れいだ)を気遣い、亜須久(あすく)は予定を遅らせながら彼らを率いていた。
 イングスは、ミグ公国で最も栄えた街である。道の脇には多様な店が建ち並び、路地には露店が軒を並べている。整然とした町並みとはいえないが、庶民の息遣いが根付いた風景に由稀は好感を覚えた。
「すごいね、おっきいね」
 由稀の隣で、玲妥は跳ねるように歩いている。無邪気な彼女の笑顔に、由稀は思わず顔を綻ばせ頷いた。
「そういえば、うちによく来てくれた行商のおじさん、この辺りにお店があるって言ってたよね」
「ああ、イングスの大通りって」
 由稀の脳裏には、笑い声の大きな白髪の中年男性が浮かんだ。彼はイングスで商品を仕入れては辺境の町へと売り歩いていた。たびたびラルマテアを訪れては、由稀たちに会いにきていたのだ。
「せっかくだし、顔出してみるか」
「いいな、私も行きたい」
「駄目だ。どんなところかもわからないのに、お前を連れてはいけないよ」
「けちっ。由稀だって賞金首のくせに」
「だってってなんだ、だってって」
 玲妥の無茶な言いぶんに、由稀は眉を下げて苦笑した。

 街の広場には子供から老人までが、それぞれの時間を思うがままに過ごしていた。薄雲に見え隠れする陽光が、辺りを優しく包み込んでいた。
「なぁ、急ぐか?」
 広場へついたところで、由稀は話を切り出した。
「どういうことだ」
 亜須久が静かな声で聞き返す。出会った頃、由稀は亜須久の抑揚の無さを気味悪く思っていたが、今ではもう慣れた。
「せっかくこんなに大きな街にきたんだし、この街を出たらもうミグじゃないし。自分の住んでた国だから、ちゃんとお別れしたいんだ。だから今日は宿だけ決めて、日没まで自由ってのはどうだよ」
「今生の別れというわけではないと思うが」
 そう言って、亜須久は考え込んでしまった。彼の頭の中では、旅費と日数の計算が素早く行われていた。
「頼むよ」
 由稀は手をあわせて亜須久を窺う。必死な由稀の様子に亜須久も諦めたのか、呆れたように笑うと玲妥を見た。
「構わないか」
「私は全然大丈夫だよ。こんなに大きな街に来たのは初めてだし、色々見てみたいもん」
「玲妥、お前っ」
 由稀が口出ししようとするのを、玲妥は赤い舌を出して退けた。言外に交渉を持ちかけられたのと同意だった。由稀は言葉を飲み込んで、不承不承に受け入れた。
羅依(らい)はどうだ」
 亜須久は由稀と玲妥の戯れ合いを無視して、輪の外にいた羅依へと意見を乞うた。羅依は不遜な態度で首を傾げる。
「別に。どうでもいいよ」
 その言い草に、由稀は玲妥を押しのけて羅依に詰め寄った。
「そんな言い方することないだろ」
「悪いな。気持ちに嘘をつけない性格なんだ」
「はあぁ?」
 由稀は顔を歪めて羅依ににじり寄る。しかし羅依は冷めた視線で由稀を一瞥すると、嘲笑とも取れる笑みを浮かべた。
「おまえっ」
「もうやめておけ」
 羅依に掴みかかりそうになった由稀を、亜須久が押しとどめた。
「だって」
「自由時間、ほしいんだろう」
 呆れた様子の亜須久の声に、由稀は言葉を詰まらせて頷いた。横で玲妥が意地悪く笑っている。
「玲妥は俺と一緒に宿へ行くぞ」
「えぇっ」
 玲妥は素っ頓狂な声を上げて首を振る。
「やだ、やだ。私ひとりだけ子供扱いなんて、嫌よ」
「じゃあ、夕刻には戻って来い」
「はいはーい」
 由稀は玲妥を引き摺る亜須久に向かって、陽気に手を振った。
「玲妥と別行動なのか」
 突然の羅依の質問に由稀はたたらを踏んだ。振り返ると羅依は変わらぬ冷たい視線で由稀を見ていた。気分が濁るように沸き立つ。由稀は羅依のこの目が気に食わない。なぜ全てのものをそんなにも目の敵にするのか、由稀には理解できなかったのだ。
「人の質問にはさっさと答えろ。身のこなしは早いだろうけど、頭の動きはいまいちだな」
「一言多いんだよ、お前」
「客観的事実だ」
「はぁ? 大体なんでそんなこと聞くんだよ」
 不遜な態度で腕を組み、由稀は少し羅依を見上げた。羅依は片眉を僅かに上げる。
「彼女なんだろ、お前の」
「は」
 由稀は口を開けて固まった。羅依はその様子を静かに見遣る。
「そうじゃないのか」
「そんなんじゃねぇよ。俺たちは店主夫婦に育てられた、いわば兄妹みたいなもんだよ。大体」
 ふと視線を羅依にやると、相手は薄笑いを浮かべていた。
 あからさまに由稀が不快をあらわにすると、羅依は口端をつり上げて由稀の横をすり抜けていく。
「そのバカ正直、治した方がいいぜ」
 すれ違いざま、羅依は透き通るような声でそう言い残していく。由稀はその笑顔と声音で、羅依が全てを知っていたことに気付いた。
 かっと頭に血が上る。
「お前、夜上(やじょう)から聞いて知ってたんだろうっ」
 すぐさま由稀は振り向いたが、標的はすでに人波の彼方だった。

 店の軒には、異国の品がずらりと並んでいる。食堂からは芳しい香りが漂っていた。
 羅依の薄笑いが由稀の耳の奥にいつまでも残っていた。無視すればいいのだと頭ではわかっていても、気持ちはそう利口には動いてくれない。由稀は歯噛みして己の幼さを叱咤した。
 人波にもまれながら通りを行くと、看板に知った名前を見つけた。隙間をすり抜け、由稀は店の軒下に入る。
 布製のひさしに光が透けて輝いていた。
 由稀は腕輪を撫でて、気分を切り替えた。自分が笑顔になれることを確認して、扉に手をかける。
「なめた真似してんじゃねぇぞ!」
 伸ばした手を思わず引っ込めるほどの怒声に、由稀は眉を顰めた。
「なんだよ、喧嘩かよ」
 面倒な気持ちと野次馬根性が由稀の中で秤にかかる。腕を組んで唸った。首にかかった賞金が消えたわけではない。ここで目立っては役所に通報される可能性もある。逃げ切る自信はもちろんあった。しかしあとで亜須久や玲妥から説教を受けると考えると首はすくんだ。また一方では憂さ晴らしに少しくらい暴れても罰は当たらないだろうという楽観的な考えもあった。見知ったばかりの者との団体行動で、思いがけなく疲労が溜まっていた。体の奥で、弾力をもった歪な塊が震えては弾む。肌が切れるほどの緊張と興奮を求めていた。
「よし」
 気持ちを決めて顔を上げた瞬間、目の前に何かが迫ってきた。
「うわっ」
 中から扉を押し開かれて、由稀は体勢を崩した。空中を泳ぐように、腕を振り回す。普段なら後方に飛び上がって難を逃れるところだが、あいにくここはラルマテアと人通りが違う。誰かに怪我をさせるかもしれない。そう思うと急に体が傾いだ。
「やべっ」
 一言漏らすのが精一杯だった。由稀の視界に空が映る。
「危ない」
 不自然なほど落ち着いた声が聞こえたと思うと、腕を強く引かれた。由稀は店のひさしに引き戻される。急激な動きに、首がしなった。
「大丈夫ですか」
 さきほど聞こえたものより、いくらか高い声が由稀の顔色を窺っている。由稀は俯いて首を押さえながら、手を振った。
「ああ、大丈夫、大丈夫」
 本当は首だけでなく掴まれた腕も痛かった。由稀は力なく笑いながら顔を上げた。
「俺の方こそ、ぼんやりしてて」
 謝ろうとして、由稀は思わず言葉に詰まった。何度も目をしばたかせる。
 目の前にいたのは、羅依とよく似た人物だった。
 細い顎や、真っ直ぐ整った鼻筋、そして僅かに薄い唇。ただ髪と目の色は淡紫色の羅依とは違い、若葉のような翠緑色だった。しかしそれだけが由稀の言葉を奪ったのではない。由稀は相手を気遣うことも忘れて何度も確認するように体を眺めやった。目の前にいるのは、明らかに女だった。
 甘い香水がほのかに匂う。清潔感の漂う服の下は、恥じらいながら丸みを帯びていた。
 由稀は開いた口が塞がらなかった。少女というには大人びた彼女は、由稀の反応を見て目を細めた。
 まるで由稀を待っていたかのように、嬉しそうな笑みを見せる。
「ごめんなさい。あの、私、急ぐので」
「え、あ、はぁ」
 長いスカートの裾を翻して、彼女の姿は人波の中へ滑り込んでいく。由稀はそれから店長に声を掛けられるまで、しばらく動けなかった。