THE FATES

9.鎮魂(6)

 死とは、意外と穏やかなものかもしれない。
 由稀は目を閉じて、ぼんやりと考えた。もしかすると自分は、すでに死んでいるかもしれないと疑った。
『体の半分が死んでいるみたいだ』
 揺れる荷馬車の中で、瞬の呟きは由稀を突き放すだけのものだった。だが今の由稀には、直観的に理解できた。諦めるような、喜ぶようなため息を、恍惚として吐く。人は死に向かって歩み、死ぬ準備をするために生きる。体は徐々に死と混ざり合い、全ての生物を抱える世界に溶けていく。一体となっていく。
 人の安住は死の中にこそあり、人の最大の不幸はその日がいつか知らされないこと。未知の死にじっと怯え、待ち続ける日々。
 もし本当にそうならば、どうして生きるのだろう。死ぬために生きるのか。消えるためにある存在など、どんな意義があるのか。世界の一部。再生を繰り返す世界の、小さな欠片。ならばなぜ感情がある。思考して、悩んで、苦しんで、愛しさを覚える。生きているからこそ心は躍るが、生まれさえしなければ、死への歩みもない。不幸の日々を生きることに、どんな意味があるというのか。
 そこまで考えて、由稀は苦笑した。どうしても、苦痛の日々に幸せを見つけてみたくなった。
 瞼に、羅依の悲しむ顔が浮かんだ。あれから羅依は正気を取り戻したのか、由稀は無性に気になった。たくさんのものを犠牲にしてきた彼女だから、出来るだけ思う通りに、好きなようにしてほしいと思った。自分の気持ちに素直に生きてほしかった。やっと羅依と楽しくじゃれながら話せるようになったところだった。願っても願っても、叶う姿を確かめなければ納得できそうになかった。
 由稀の中に、抗う気持ちが芽生えた。
 このまま鬼使に殺されるのも悪くない。だが、今はまだ死ぬときではなかった。準備は一切なかった。
 もう一度、瞬とゆっくり話がしたい。なんとかして竜族のことを知りたい。羅依と何気ない会話をもっと繰り返したい。
 ああしたい、こうしたい。沸き上がってくるのは素直な願望だった。
 これならまだ生きられる。死ぬのはきっともっと後でも遅くはない。
 世界までは距離があった。意識に白い靄がかかっている。自分ではない誰かがすぐそばにいた。この体を守っていた。胸に大きな穴が開いていた。鬼だ。鬼が由稀を守っていた。
 鬼の姿を探して彷徨う。光の強い方へ進んだ。世界に繋がる縁で、由稀は鬼の腕を掴み取った。引っ張って、鬼のいた場所にかわる。
 由稀は薄く目を開けた。世界は光に満ちていた。明るい、暖かい。生き物は世界の中で生かされていた。許されていた。愛されていた。容赦なく降り注ぐ世界の慈悲は眩しく、由稀は目をしばたかせた。
 体に力を入れようとしても、指の先すら動かせなかった。由稀は目だけ動かして瞬を探す。ぼやけた視界の先に、瞬は太刀を握ったまま立ち尽くしていた。瞳は、深い森の土に息づく苔のように、瑞々しく気高い。由稀は名を呼んだが、声にはならなかった。
 瞬は乾いた笑いを洩らした。
「どういうことだ、抗う力がまだあると言うのか」
 由稀を見てはいたが、それは由稀に向けての言葉ではなかった。瞬は頭を振り、髪を乱した。
「お前に何が出来る。自分のことも守れないで、何が約束だ。甘い、甘いんだ。だからいつもそうやって傷だらけになる」
 視線は宙を泳いだ。天を仰いで、喉の奥で笑う。
「無様だ。愛なんて、俺たちの何も救ってくれやしないのに」
 持っていた太刀の刃の部分を握る。掌からは赤い血が筋になって流れた。葉から雨水が滴るように、点々と血が地面に落ちる。由稀にはそれが鬼使の涙に見えた。
「もう終わらせよう。俺たちの苦しみも、存在することも、全て」
 太刀の先を腹に当てる。由稀は引きとめようとしたが、人差し指がわずかに痙攣しただけだった。もどかしさで鼻の奥がつんと痛い。
 銀色に輝く太刀が、瞬の体にめり込んだ。急激な震えに、瞬は両膝をついた。刃を伝って、赤い涙が由稀の頬に零れた。
 硝子を弾くような音がした。空気が引き裂かれる。繋ぎとめられていた嗟嘆が、解き放たれていく。空に目を向けると、澄み渡った青から金色の細かい砂が降った。由稀は故郷の雪を思い出し、幸福に満たされた。額に届いた金砂はほんのり暖かく、すぐに消えた。
 優しい風が吹く。花の香りが立った。
 瞬の前に手が差し伸べられる。気付いた瞬は顔を上げた。息をとめて驚く。
「あ……」
 見つめる先には、黒髪の美しい女がいた。彼女は腰を屈めて、視線の高さを瞬と合わせる。花が咲くように微笑んだ。
「一人にしてごめんね、瞬」
「あかね……」
 瞬は血まみれの手を震えながら伸ばす。二人の爪がこすれて、疑いながら怯えながら重なり合う。赤い血が二人を繋ぐ。
 由稀はなぜか、それは悲しい気持ちからではなく、泣きたくなった。

9章:鎮魂・終

※次頁からは、断章:残像が始まります。内容は龍羅飛が滅んだ頃の瞬の話です。
今の時点では本編とは直接の関係がない部分もありますが、よろしければ続けて断章を読まれることをお勧めいたします。以後の本編の展開においては、断章を読まれていることが前提となっている内容もございます。
読まれない方は、お手数ですが目次ページに戻って10章のリンクより先へお進みください。