THE FATES

interlude.残像(1)

 地を揺るがすような爆音が響いた。街外れの高台に聳える学舎まで、その音と振動は伝わった。儀礼の指導を受け終えた瞬は表に出て、周囲を見渡した。空に幾筋かの煙が立っている。街の中心の方角だった。瞬は風に吹かれる黒髪を何度もかきあげた。
「瞬」
 呼び声に振り返ると、兄の(えん)がいた。
「兄貴、どうしてここに」
「師範に用があったんだ」
 空を見上げた焔も、立ちのぼる煙に目をとめた。呆然と立ち尽くす。
「兄貴」
 瞬の言葉は続かなかった。背後から忙しない靴音がした。
「師範」
 振り返ると、師範の東按(とうあん)が血相を変えて飛び出してきた。厳しいが熱心な指導者として、生徒からの信頼も篤かった。
「これは、どういうことだ。一体何があった」
 東按は空を睨んで苛立たしげに言った。
「僕、見てみるよ」
 瞬は手を合わせて術言を唱えようとした。
「やめろ」
 東按が瞬の手を掴んで、引き千切るように印を解かせた。痛みに顔を歪めた瞬は、東按の手を振り払った。
「どうしてですか」
「こんな結界の下で術を使えば、私たちがここにいると知らせるようなものだ」
「結界」
 瞬は空を見上げた。だが師範のように結界の存在を見抜くことは出来なかった。
金烏(きんう)龍仰鏡(りゅうおうきょう)を使っても無理か」
 東按の言葉に、焔は俯きがちに首を振った。焔は成人名を金烏といった。
「これほど巧みな結界を張る術者なら、おそらく龍仰鏡でも見つかります」
 焔は口を噤んで顔を背けた。胸の奥で自己嫌悪の影が首をもたげた。
 爆音は絶え間なく届き、振動は波打つように伝わった。焔と東按は手段を選びあぐねて、街の方角を見つめるしか出来なかった。恐怖が彼らの体を地面にくくりつけていた。
「行こう」
 言ったのは、瞬だった。声は緊張で掠れていたが、誰よりも鮮やかな新緑の瞳には、何ものにも劣らない強い光があった。
「瞬、お前何を言って」
 動揺を隠すように、焔は濃い栗色の髪をかきあげた。焔の中に更なる恐怖が芽生え始める。羨望、妬み、畏れ。いつものように耳朶を摘んで、湧き上がる黒い感情を押し殺す。
 瞬は兄の葛藤に気付こうともせず、決意を込めた眼差しで兄を見上げた。
「だって、動かないと何も始まらない。そうだろう」
 澄んだ新緑の瞳が、真っ直ぐ焔を向く。焔は尋問を受けているようだった。背中に汗を感じて、視線を逸らした。
「方法は他にもあるはずだ」
「だけど兄貴、母さんは家に」
「そんなことはわかってる」
 焔は伸びてきた瞬の手を振り払って、腕を組んだ。親指の爪を噛む。歯に響いた爪の感触は乾いていた。
「冷静になれ、二人とも。喧嘩をしてる場合じゃない。ここで出来るだけのことをした方がいい。有事の際は鎮守の森へ集まることになっているんだ。逃げてきた者たちを守ることも、戦いにおいては重要なことだ。いいか、玉兎(ぎょくと)
「わかりません」
 玉兎は、瞬の成人名であった。瞬はふて腐れて小さな声で返事をした。東按は瞬の両肩を強く持った。
「鎮守の森への裏道を確保するんだ。敵に見つからないように一人でも多くを救うんだ」
「軍神の名を与えられた龍羅飛(りゅうらひ)が、戦わずして逃げるんですか。それに従えと師範は僕に仰るんですか! それでは一族の誇りはどうなるんですか!」
「私たちが行って何の役に立つ。この探査結界の中で結果的に術を封じられ、あの爆薬の脅威にどう立ち向かえと言うんだ。策もなく立ち向かい犬死にする方が、龍羅飛の名折れだとは思わないのか」
「やってもみないで、何がわかるんですか!」
「相手が王家なら、お前の言うことは自殺行為だ!」
 東按の言葉に瞬は思わず声を失った。
「え、王家」
「どういうことですか、師範。何かご存知なんですか」
 横で二人のやり取りを傍観していた焔は、東按の腕に掴みかかった。東按は瞬から手を離して、焔の手を静かに払った。
回丹(かいたん)市の酉威(とりい)芥子(けし)を知ってるだろう」
 東按が口にした名前に、焔と瞬は心当たりがあった。
「確か、学徒と喧嘩をして謹慎処分を受けたと聞きました」
「あいつらが、何の関係があるんですか」
 東按は二人の視線を避けて、風に吹かれて巻き上がる砂塵を見遣った。語ろうとする口の中は、ねばついていた。
「本当は違うんだ。二人はもう極刑処分を受けて、王家管轄地で晒された」
「極刑って、どういうことですか。たかが喧嘩でそんな処分はおかしいじゃないですか」
「違うんだ、金烏。彼らは禁忌を犯したんだ」
 東按は静かに言った。街から聞こえてくる爆音すら、沈黙に呑まれたようだった。
 瞬は呆然と首を振った。
「禁忌、禁忌を。時間操作をしたんですか」
「それでも極刑は酷すぎます」
 焔の訴えに東按は顔を歪めた。焔は悪夢を悟った。
「まさか、時間操作で人を殺したんですか」
 東按は肯定も否定もしなかった。焔は師の背中に向かって続けた。
「魂を喰ったのですか」
「でもそんな術、ただの伝承だけって」
 瞬の言葉に東按は首を振った。
「相手は天水(てんすい)の民だった。一気に十四人の命を奪ったそうだ。二人には刑執行の直前に面談した。試してみたかったと言っていたよ。遊び半分だったと」
「王家がその報復に来たというわけですか」
 焔は街を振り返った。風に乗って、物の焼ける臭いがした。
「だけど二人は死をもって償ったんですよね。晒し者にもなったんでしょう。それで話がついたから、条件を呑んだんじゃないんですか」
 瞬はじっと足元を見つめていた。吹く風に髪を乱され、視界には黒く艶やかな髪がちらついた。砂が道の奥へ流れていく。
「王家の裏切りじゃないですか」
「落ち着け、玉兎」
「僕は落ち着いてますよ。だからこそ憤るんです」
 顔を上げた瞬の瞳は、光を湛えて澄んでいた。焔は弟の横顔に戦慄する。
「だけど、瞬」
 焔が肩に手を置くと、払われた。瞬は焔を見上げる。
「僕ひとりでも行くよ、街へ」
 そう言って瞬は街へと走り出した。
「待て、瞬!」
 呼びかけに瞬は振り返る。
「無茶はよせ! ここで師範と策を――」
「そんな時間があるなら、僕は前線で少しでも長く戦う。誰もいない世界で生き残っても、意味がないじゃないか。ここで戻らないと、僕はきっと後悔する」
 迷いのない瞬の視線が、焔の心に突き刺さった。痛みに呻く心はまた黒く染まっていく。
 空へ伸びる煙が灰から黒へと変わっていた。臭いも強くなっていた。焔の足は竦んだ。
 瞬は立ち尽くす兄に見切りをつけて、背を向けた。再び走り出す。成人の儀礼を迎えるはずだった弟の背中を見つめて、焔は決めきれない心に苛立った。あの小さな背中に一体どれだけのものが背負えるというのだろう。
『焔はお兄ちゃんなんだから、瞬のことを守ってあげるのよ』
 瞬が生まれた頃の母の言葉を思い出した。
 弟の無力は誰よりも知っている。同じように彼の無二の強さも知っていた。だがその強さはあまりにも純粋で、人を傷つけるには向かない。
 黒髪が坂の向こうに吸い込まれていく。
「金烏、どうする。裏道の確保は任せてもいいか」
 東按の呼びかけは焔の耳には届いていなかった。焔の足が砂をすりながら前へ出る。
「おい、金烏」
 焦った東按は焔の腕を後ろから掴んだ。焔は強くそれを嫌った。
 瞬に背負いきれないものは、全て自分が背負おう。
「師範、後方はよろしくお願いします」
 風に消え入りそうな声でそう言い残し、焔は瞬を追って駆け出した。
「金烏、金烏!」
 呼び声はすれど、東按が追ってくることはなかった。