THE FATES

interlude.残像(5)

 森の中は風が弱い。だが清涼な肌触りだった。瞬は木の根に挟まれるように腰を下ろし、濃い緑で作られた天蓋を見上げた。
 木漏れ日が伸ばした脚に落ちる。染芙が染めた服は、光に触れると羽のように軽やかになった。土の柔らかさに包まれ、瞬は瞼を閉じた。
「お昼寝かい」
 歯切れのいい声がして、瞬は片目を開いた。すぐ目の前に、瞬の脚を跨いで立つ女の姿があった。染芙の友人である精煉師の梅煉(ばいれん)だった。彼女は染芙と共に森に住み、染色のために手指を守る染芙のため、食事を作りに毎日顔を出した。
「せっかく気持ち良かったのに」
 眠りを邪魔され、瞬は唇を尖らせた。梅煉は膝をついて、瞬の首に抱きついた。
「どうしてさ。あんたの姿を見かけたら抱きつかずにはいられない、この梅煉さんの気持ちがわからないかねぇ、この子は」
「ば、ばか! 子供扱いするなよ!」
 瞬は耳まで真っ赤にして、梅煉の腕を弱々しく掴んだ。彼女の体の柔らかさが瞬の動きを緩慢にした。梅煉は困惑する瞬に満足すると未練なく離れて、土から盛り上がった根に腰を下ろした。
「あんたは本当にかわいいねぇ」
 梅煉は愛しい手つきで瞬の黒髪を撫でた。瞬は気恥ずかしくなり、彼女の手を追い払うように頭を振った。梅煉の接し方には遠慮がない。だが無理強いするところもなかった。瞬にはくすぐったく感じられた。人と触れあうことに、ひどく不器用だった。
「あんたみたいな子供が欲しいなぁ」
「でも、独りじゃ出来ないよ」
「ませたことを言うじゃないか」
 梅煉は快活に笑って、瞬の耳を引っ張った。そこに唇を寄せる。
「あんたとの子なら、あんたみたいなのが出来るのかな」
「えっ」
 瞬は耳を押さえて梅煉から身を引いた。梅煉は瞬を指差して笑っている。
「梅煉、嫌いっ!」
「残念、私はあんたのことが大好きだよ」
 そう言って梅煉はあでやかな瞳を細めた。
「早く、ここから出られるといいのにね」
 眼差しに痛みが宿る。梅煉の面差しから微笑みは消えた。瞬は頷いた。
「ねぇ、梅煉。染芙のお姉さんのこと知ってる?」
 瞬は立ち上がり服を払って、梅煉の横に腰掛けた。梅煉は瞬の肩を抱き寄せた。
結蘭(ゆいらん)のことかい。もちろん、知ってるよ」
 梅煉は力なく笑った。尖った鼻先に木漏れ日が落ちる。瞬は彼女の横顔をじっと見上げた。
「きれいな顔をした女だよ。見た目はね」
 ゆっくりと噛みしめて梅煉は語った。
「でも中身は恐ろしい女だよ。全て自分の意のままにならなきゃ気に入らないし、そのためになら、どんなに汚いことだって平気でするよ。人の心も優しさも、あの女には無縁さ。張りぼてだよ。人の形をした悪魔だよ」
「中身が、ないんだね」
「そういうことだよ。出来れば関わりたくない相手さ」
 胸の内にある激しさを押し殺す。瞬には無用な気遣いをさせたくなかった。梅煉は眉を下げて微笑んだ。瞬は彼女の愛情を悟り、肩に回された手を握った。
「だけど、染芙のことは大好きだからね。私はあの子の一番の味方でいてやりたいと思うんだ。もしも染芙が望むなら、私はいくらだってあの女の前に立つよ」
 強く手を握り返す。梅煉の横顔に活気が戻った。
「梅煉が居たら、染芙も心丈夫だね」
「そう思ってもらえたら嬉しいよ」
「大丈夫。僕も梅煉のこと頼りにしてるよ」
「調子のいいこと言って」
 声を出して笑い、梅煉は瞬の頬をつねった。
「そうだ、あんたに何か作ってあげるよ」
「え」
「あんたみたいな子供を作るのは難しいけど、あんたを可愛がるのは私の自由だろう。何か贈らせておくれよ。剣はどうだい」
「ほ、ほんとに?」
 瞬は目を輝かせた。
「嘘は言わないよ。知り合いにいい刀剣師がいるんだ。そいつに頼んでみるよ」
「梅煉が作るんじゃないんだ」
「私が作れるのは儀式用のお飾りだけだよ。そんなに寂しいなら、ちゃんと私も手を加えてあげるよ」
 悪戯っぽく笑って梅煉は瞬の頭を手荒く撫でた。瞬は嫌がる素振りをしながらも、笑顔で応えた。

 森から街へ出ると、時間が早く進んでいるように染芙には感じられた。人々の流れは忙しなく、遮るものがないので風も素早く通り抜けた。染芙は染め上げた布地の束を担いで、卸に向かった。
 龍羅飛の兄弟を匿って、十日ほどが過ぎようとしていた。危惧した事態が起こる気配はなく、穏やかなときに包まれていた。
 純真で素直な瞬の笑顔は染芙の心を和ませ、どこか影のある焔の眼差しは染芙の視線を捉えて離さなかった。瞬を見つめるその闇に、無性に触れたくなる。乱暴にこじ開けて覗きたくもなった。救いたいと思った。傲慢であることは承知していた。その聞き分けの良さが、染芙自身をがんじがらめにした。
 定期的に卸している商店に赴き、布地を渡す。店主の男と取り留めのない話をして、金を受け取った。
 店を出て空を見上げると、色が消え入りそうなほどの空色だった。金の入った布袋を胸に抱え、兄弟に買って帰る土産に夢を膨らませた。弾けるような瞬の笑顔とはにかむ焔の姿が楽しみで、染芙は露店の多い通りを歩いた。
 瞬には色とりどりの石が連なった首飾りを買った。輪は三重になっていて、少年にも似合いそうだった。
 代金を払っていると、そのすぐ横にあった銀細工の首飾りが目に入った。
「お客さん、いい目してるね」
 店主の若い男は、釣銭を渡して言った。染芙が見ていた首飾りを顔の高さまで上げる。
「きれいだろう」
「ええ。銀に透明感があるわ」
「本業はこっちなんだ」
 そう言って男は商品を並べた机を回り、染芙のそばに立った。手にしていた飾りを染芙の首につける。白い肌に銀細工が輝いた。
「不思議な形。これは何」
 首飾りの先には、四角い枠に球体が挟まっていた。
「心だよ。俺が考える心の形」
 男は元いた場所に戻り、鞄の中を探った。中から似た形の首飾りが出てくる。
「はみ出したくないのに、はみ出してしまうだろう、心は。誰にも制御できないのさ。ほら、こっちは対なんだ」
 男が示した首飾りの先は、四角い枠が球体に飲み込まれていた。
「制御できない、もう一つの形」
「見せて」
 染芙の伸ばした手に、男はそっと首飾りを置く。透き通るような銀色に吸い込まれるようだった。
「これ、二つともちょうだい」
「いいの。結構するよ」
 男は、笑うと頬がへこんだ。染芙は頷いた。
「じゃあこのくらい」
 指で値段を示す。提示された額は今日の稼ぎに匹敵した。それでも染芙の気持ちは揺るがなかった。
「いいわ」
 袋から貨幣を出し、男の掌に乗せた。代わりに対の首飾りを受け取る。染芙の胸は高鳴った。足早に店を後にする。
 走り出したい衝動を必死に抑えて、染芙は家路を急いだ。手に握っていて落としてはいけないと思い、首飾りの一つは袋に入れた。それをしっかりと抱えて、早足になる。歩くたび首筋に触れる銀の肌触りが、染芙の情熱を掻きたてた。心が、溢れそうだった。
 吹き急いでいた風が足元に渦巻いた。足首に生暖かい風が触れる。染芙は足をとめた。夢に満たされていた心が急速に冷えていく。靴音が背後に響いた。
「そんなに急いで、どこへ行くのかしら」
 舌足らずな甘えた声だった。染芙は背筋に悪寒を感じた。こめかみに汗が浮く。振り返るか否か逡巡した。
「久しぶりね、染芙」
 二人の周りに張られていた結界が狭まる。染芙は処刑台の上にいる心地がした。持っていた布袋を上着に隠した。
「あら、つれないわねぇ。お返事は?」
 女は上品に笑った。染芙は観念して振り返った。
「お久しぶりです。姉さん」
 搾り出すように言って、染芙は伏し目がちに姉の結蘭を見た。顔立ちは人形のように整い、絹糸のような金茶色の髪は窪んだ肩に揺れていた。琥珀色の瞳は鋭く、決して大柄ではない体からは圧倒的な力が滲んでいた。
 染芙は幼少の頃から、結界師として英才教育を受けていた結蘭と反りが合わず、成人するとすぐに染色を理由に家を出た。両親は姉妹が成人する前に他界しており、未練は一切なかった。姉と最後に会ったのは、儀式で着る衣装が必要だからと、染色師として屋敷に呼ばれたときだった。それから数十年が過ぎていた。
「相変わらず、そっけない子」
「ごめんなさい。私、急いでるんです」
「そう言わないで。聞きたいことがあるのよ」
 結蘭の妖艶な微笑みに、染芙は肩を震わせた。
「少し前のことよ。染め上がった布を結泉に落としたわね。私のところに届いているわ。また取りにいらっしゃい」
「いえ、あの、あれは気に入らなかったので、捨てたのです」
「神聖な泉をごみ溜め代わりにしたと言うの」
「すみません。布は、お手数でしょうが、そちらで処分を」
 迫力に押されている自分に染芙は苛ついた。俯いて、悔しさに目を細める。
「それだけ」
「え」
 染芙は思わず顔を上げた。視線があった途端、琥珀の瞳がにやりと笑む。染芙は心の中で舌打ちした。
「どういうことでしょう」
「ただ布が落ちただけなのかしら。僅かだけど、ずれがあるのよ。ねぇ染芙、他に何か落としたものはない?」
 結蘭が一歩染芙に近付いた。染芙は自分の顔が青褪めていくのを感じた。
「いいえ、何も」
「例えば、珍しい宝石とか」
 染芙は動揺することさえ出来なかった。
「知りません」
 強い口調で告げると、軽く頭を下げ、足早に森へと姿を消した。
 結蘭は遠ざかっていく染芙を眺め、嫣然と微笑んでいた。