THE FATES

10.夢幻(3)

 大臣らに呼び出された会議で、最後に部屋に入った瞬は、座る間も許されなかった。机は円陣を組むように並べられ、それぞれの大臣は、背もたれの高い椅子に腰掛けていた。
「そもそもおかしいとは思わんのか。お前がここにいることを」
 一人が口を開くと、あとは濁流のように激しい口調が続いた。
「昔から輝宮(てるみや)様の戯れには、限度というものがない。いくら天水の危機であったとしても、このような犯罪者に未来を委ねるなど。正気の沙汰とは思えん」
「この男に、一体どれだけの人間が命を絶たれたと思う。数えても数え切れんそうではないか」
「なんとおぞましい話だ」
「龍羅飛であるだけで、すでに化け物だというのに」
「大体、今の歪みを生み出したのは、この男のせいではないか。あの漣の空を将来の子供たちから奪ったのは大罪だ」
「貴殿ら、お忘れか。尋宮(ひろみや)様を誑かすなどと、あってはならんことなのだぞ」
「もう輝宮様はおられない。その意味がわかっているのか、鬼使」
 ついにこの時が来たのか、そう思った。
「率直に言う。この城から、いや、天水から消えてもらおう」
 先日逝去した輝宮の時代から側近を務める男が、ゆっくりと言った。瞬は整った口元に、薄い笑みを浮かべた。
「一つ、俺の望みを聞いてもらえるなら、出て行かないこともない」
 この時を、何度も想像してきた。だが実際は、思っていたよりも落ち着いていた。心は穏やかな風が吹き、清新さに溢れていた。いつかと怯えるよりも、いざ対峙する方が気楽だった。
「その望みとは、なんだ」
「応じるまでは言えない。どうする、取引するのかしないのか」
 部屋のざわつきは、更に瞬の心を静寂へと導いた。何か一つ口にするたび、体のどこかが削り取られていく。代わりに、覚悟が体を補った。
 だが本当に瞬が削り取りたかったのは、心や体ではなく、意図せず不意によみがえる記憶の方だった。
 また一人きりになるのなら、庭園に咲く花の色も、見上げた空の速さも、吹く風の強さも、生き抜くためには不要のものだった。
 それとも神は、また背負えというのだろうか。この美しい枷を。
「わかった。では取引に応じよう」
 そうまでして自分を追い出したい大臣らが、むしろ愛らしくも感じられた。

 天水王家の居城・水輝城(みずきじょう)の庭園には、花が咲き乱れていた。夜空は薄い雲に覆われ何も映さず、黒い青を奪われ、彩りは全て地上にのみあった。城から洩れる明かりを受けて、花々は揺れて映えた。
 見つめる先の庭園に、記憶の情景が重なった。移り変わる時間の中で、変わらないものがただ一つあった。それは孤独とは無縁の安らぎだった。胸に広がる愛しさが、不躾に瞬の心を癒そうとする。瞬は庭園から顔を背け、歩き出した。
「どこへ行くの」
 背後からの呼びかけに、瞬は立ち止まった。振り返ると、(あかね)がいた。彼女の濃紺の瞳は、幼い頃に仰いだ夜空に似ていた。その夜空には、沸き立つような怒りが見えた。瞬は困ったような笑みを浮かべた。
「聞いたのか」
「どうして、どうして話してくれなかったの。どうしてあの人たちの言いなりになんかなるの。私に話してよ。何とかしてみせるのに」
 茜は瞬のそばへ駆け寄って、服を強く掴んだ。
「私は瞬が思ってるほど頼りなくないよ」
 俯いた彼女の手を、瞬はそっと握った。
「それが出来ないとは思ってない。でも、それをした後、茜はどうなる。尋宮として国を治めていけるのか。彼らの妨害に遭いながら」
 茜は返す言葉がなかった。瞬は見守り、続けた。
「もう、俺たちだけの問題じゃないんだ。昔みたいに天水を抜け出すことも出来ない。わかるだろう」
「瞬は、それでいいの。それで平気なの。一人きりでも生きていけるの」
 目に涙を溜めて、茜は瞬に詰め寄った。瞬は静かに彼女を見下ろした。
「昔に戻るだけだよ」
 あまりにも平然と嘘をつける自分に、瞬は安心した。これなら、また人でなくなることも可能かもしれない。まだ生きられる。
 これから生きることに意味があるのなら。
「俺のことは心配しないで。茜はみんなのことを」
「勝手言わないで。私だってもう子供じゃない。選ばせてよ、私に私の未来を!」
 大粒の涙が、頬を伝う間もなく落ちた。瞬は茜の髪を撫でて、抱きしめた。
「選ぶというのは、選択肢があって初めて成り立つことだ」
「瞬がここを離れざるを得ないと言うなら、私も一緒に行く」
「いい加減、聞き分けてくれ」
 瞬は強い口調で言い放った。腕の中で茜が肩を震わせた。瞬は綿を抱くように優しく茜に触れた。
「守りたい相手は、守れるうちに最大限守ってやりたいんだ。これ以上、家族を喪いたくない。生きていて欲しいんだ」
「勝手ばかり。私の瞬を守りたい気持ちはどうなるの。瞬だけが気持ちを叶えるなんて不公平よ」
 射抜くような眼差しで、茜は瞬を見上げる。瞬は喉を絞められるようで、ある種の幸福を感じた。
「だったら、俺を約束で縛り付けるといい」
「約束……」
「そう。茜との約束だったら、俺は死んでも守るよ」
 微笑んで、茜の涙を指で掬う。舐めると、夢の馨りがした。あまりに罪深い舌触りに、喉が千切れそうだった。渇望で目が眩む。
 茜は何度か言い淀んだあと、唇を引き結んで、真っ直ぐ瞬を見つめた。
「そんなにまでして行くのなら、約束して、瞬」
 澄み切った声に、瞬は背中が震えた。
「三つでいいから」
 彼女は瞬の手を取って、人差し指を握った。汗ばんだ指は風で冷えていた。
「一つ、封印を解かないで」
 ゆっくりと指を折る。茜は慈しむように瞬の手を撫でた。
「一つ、もう誰も殺さないで」
 唇を噛んで、衝動を堪える。茜は両手で瞬の手を包み込んだ。
「死なないで」
 途切れていた涙が、思い出したように一つ溢れた。瞬の手に茜の爪が食い込む。痛みすら愛しかった。だがそれは咲く花のごとく一瞬のことだった。茜は放り出すように瞬の手を離し、弾かれたように走り去った。
 その後ろ姿に、瞬は生命を持っていかれた気がした。

 空から降る金砂の輝きに、視界が彩られた。瞬は自分の命が絶たれ、死後の世界で幻を見ているのかと錯覚した。触れればわかる気がして、差し出された手に恐る恐る指を重ねた。血に濡れた自分の指に、手の感触は伝わらなかった。だが、見上げた先に笑顔が咲いた。
「来ちゃった」
 彼女は笑って、すぐに泣いた。瞬は体を突き刺す太刀を引き抜き、茜の体を抱き寄せた。首筋に顔を埋めると、涙の味が思い出された。
「茜、茜……」
 瞬は激情を持て余し、奥歯を強く噛んだ。顎が奇妙な音を立てて、外れてもおかしくはなかった。
「茜」
 飢えた愛しさを宥めるように、名前を呼ぶ。口にすると、体の芯に生命が灯った。
「約束、破ったね」
「うん」
「死んでも守るって言ったのに」
「うん、言った」
「だから、私がここへ来たことも、お咎めなしでいいよね」
 額が重なり合う。二人の吐息が混ざる。瞬は消え入りそうな笑みを見せた。
「うん」
 脚は、流れ出た血で濡れていた。だが自らは満たされていた。失われた血は、その代償だった。
 瞬は目眩に耐えながら、茜から離れて由稀の顔を覗きこんだ。影を感じて、由稀が空色の瞳を開ける。頬には涙の跡があった。
「生きてるか」
「そっちこそ。血まみれになってるぜ」
「俺は、そう簡単には死ねないよ」
 羅依が駆け寄って由稀のそばに膝をつき、何度も彼の名を呼んだ。悲痛な声に、瞬は二人の絆を見せつけられた。望んでも手に入らない、断ち切ろうとしても絡み付く。絆も契りも、運命の一瞬の気まぐれだった。だがだからこそ、いつも最後の希望になった。
 自分にも、希望が残されているのなら。
 瞬は太刀を地面に突きたて、それを支えにして立ち上がった。傷の深さを思わせないほど、背筋を伸ばす。横に茜が寄り添った。
「来てるんだろう、凍馬も」
「うん」
「おい、凍馬」
 呼びかけに、路地からひょっこりと男が現れた。
「痛みは少し引いたみたいだね」
 姿勢のいい瞬を見て、凍馬は嬉しそうに言った。
「誰かが結界を破ってくれたおかげで、負担が減った」
「それは良かった」
 屈託のない笑顔を見せて、凍馬は横たわる由稀を覗き込んだ。
「大丈夫みたいだね。龍羅飛みたいに頑丈な子だ」
 由稀の横に座り込むと、布を裂いて素早く止血を施した。空色の髪を撫で、瞼を閉じるよう促す。
「しばらくお休み。それだけの回復には体力がいるだろう」
 かすかに頷いて、由稀は空色の瞳を閉ざした。不安げに由稀を見つめる羅依の肩を軽く叩き、凍馬は立ち上がった。瞬と背中合わせになる。
「ねぇ瞬。お前は何度術をかければ、鬼使に打ち勝てるようになるの」
 凍馬の問いに、瞬は沈黙で返す。
「俺は、お前がいつか鬼使と溶け合える日を、夢見ているんだよ」
 足元の血溜まりで、手を濡らす。振り返って瞬の服を引き裂くと、傷だらけの背中に血で文字を書いた。瞬は地面に突き立てていた太刀を抜くと、鏡の形に戻して胸に押し込んだ。
「俺も、それを夢見ているさ」