THE FATES

11.孵化(1)

 男は必死で街を駆けた。大通りに近付くほど、死に直面していた街の気配は鈍い。通りを横切ろうとしたが、軍の先遣隊により、はじき出された。仕方なく来た道を戻り、細い路地を隈なく見遣る。男は、一人の女を捜して走っていた。
 肌に触れる《気波動》の残滓は、それまで体感したことがないほど鋭く、無慈悲で、気高い。
「やはり鬼使は別格だな」
 思い出すと、体の奥が興奮で震えた。
 屋敷へ続く道を、途中で折れる。道幅は更に細くなり、両側を集合住宅の裏手に挟まれた。男はそこを突き進む。だが、道は高い塀で行き止まりになった。
「無茶をする」
 男は周囲に人がいないのを確認すると、建物脇に積まれた木箱を降ろし始めた。次第に木箱の囲いは崩れ、地面に扉が現れた。軋む扉を持ち上げ、暗い地下を覗き込む。
千景(ちかげ)。いないのか、千景。俺だ」
 声を潜めて呼びかけると、金属がこすれるような小さな音がした。暗闇に、明かりがぼんやりと灯る。女が地上へ顔を出した。
清里(きよさと)様」
「待て、俺がそちらへ行く」
 清里は木箱をある程度元に戻すと、千景とともに地下へ下りた。扉を閉めると、頼りは千景が持つ手燭のみだった。黴と湿気の混ざった饐えた臭いは、淫猥な衝動を刺激した。千景が手燭を置くのを待って、彼女を強く抱き寄せる。
「近くに見当たらないから、心配した。鬼使の破壊に巻き込まれたんじゃないかと」
 千景の豊かな髪を掴み、清里は声を震わせて言った。千景は一瞬顔を曇らせはしたが、情に屈して彼の背中に手を回した。
「申し訳ございません」
「ちょうど屋敷にはいなかったのか」
「はい。向かおうとしていたところでした」
「見られていないんだな、奴らには」
「はい」
 消え入りそうな声で千景が答える。その従順さが引き金になった。清里は千景の首筋に噛み付いた。千景は痛みに眉を寄せたが、声は出さなかった。後ろ髪を強く引かれ、首が反る。清里の歯と舌が這う。千景は浅い吐息を洩らした。
 炎の明かりは、千景の白い肌を赤く照らした。清里は彼女の服を胸元から裂いた。日焼けを知らない乳房が、暗がりに浮かび上がる。握ると潰れそうだった。
「見たかい、さっきの鬼使の力。理想的だ。まるで破壊の神だよ」
 清里は千景の細い指を舐め、爪を噛み千切った。欠片を吐き捨て、彼女の唇に吸い付く。かすかに甘く、千景の体臭が香った。清里はそれを全て奪い取らんとして、噛み付くような口付けをした。昂りで、体が中から弾けてしまいそうだった。
「何も生み出さない、何もかもを死と無へ導く神。いいだろう。そそるだろう。奴の血肉は、今まで殺した人間の叫びだ。奴がいれば、世界など一瞬で手に入るさ」
「こちらへ、引き入れるのですか」
 痺れた唇で、千景が舌足らずに言う。清里は鼻で笑い飛ばした。
「出来ればいいがな! むしろ、あれだけの力が存在することの方が目障りだ。利用できなかったときの危険性は計り知れない。それに奴は人の素性を知ることが出来るそうだ。全てが明るみになっては、今までの忍従も屈辱も、全てが水泡に帰す。そんな爆弾は、葬るに限る」
 歯形がついた千景の肌を、指でなぞる。いくつかは赤く腫れ上がっていた。決して声を上げない千景は、清里の衝動を更に燃え立たせる。清里は千景の背中を押して階段に両手をつかせた。服を捲し上げ、太腿を撫でる。
「千景は本当に痛いのが好きなんだね」
 清里が耳元で囁くと、千景は恥辱に目を瞑った。
「安心して、千景。俺には千景だけだよ。子供の頃からずっと、君だけが俺のそばにいてくれたね」
 清里は背後から千景に抱きつき、背中に頬を寄せた。二人の肌が触れ合う部分からは、滴るものがあった。千景は体を捻り、清里を見上げた。舐めるような触れるような口付けをする。千景は短く声を上げた。彼女の膝から力が抜け、体が離れそうになる。清里は千景の腰を抱え込み、途切れることなく繋がった。
 清里の額や顎から、汗が落ちた。雫は噛み痕の残る千景の乳房を濡らした。揺れる明かりの中で、彼女の肌はぬらりと光った。千景は苦悶にも似た表情を浮かべ、小さく清里の名を呼んだ。掠れて喘ぐ彼女の声にもはや正気はなく、夢の波間を漂う者のようだった。清里は彼女の脚を抱え、果てを見つめていた。上下する千景の腹を上から押さえ、身を乗り出す。
「千景」
 体が深く繋がるほどに、千景との境目が感じられた。だがその境目が、清里に自分の存在を確かめさせた。更に高次の確からしさを求めて、清里は千景を責め立てる。いっそ彼女が裂けてしまえばいいと思った。
 思考が興奮を凌駕し、組み敷いた彼女の体は純粋なる肉体へと進化する。清里は惰性の中で自我の滓を吐き出した。指先すら動かせない千景を見下ろし、服を着る。膝を軽く擦り剥いていたが、いつ出来た傷か思い出せなかった。
「千景は、まだここにいて」
 清里は汗で濡れた千景の前髪を、指でかきわける。彼女の虚ろな眼差しは、清里の周りを彷徨った。
「馬車が出るまでは。いいね」
 千景は頷くこともなかった。清里は彼女の額に、慈しむような口付けをする。
「もうすぐ取り戻せる。全て俺たちのものになるんだ」
 そう言って、清里は尖った八重歯を見せて笑った。