THE FATES

11.孵化(3)

 扉を開ける音に振り向くと、凍馬がいた。亜須久を見て、にこやかに微笑む。
「ひとまず終わったよ」
「由稀は大丈夫なのか」
「ああ。鬼使ともう一戦しなければね」
 凍馬は扉を開けたまま道を譲る。後ろから、荷物を抱えた弓菜が現れた。抱えているのは、ほとんどが布や寝具だった。
「持とうか」
 亜須久が手を差し伸べたが、彼女は平気と言って奥の部屋へ向かった。彼女の服は、血で斑になっていた。
「弓菜さん、先に準備しておいてくれるかな」
「了解です」
「あ、手伝います」
 玲妥の頬に口付けて、茜は弓菜を追って部屋に消えた。玲妥は凍馬を見上げて、手招きした。
「なんだい」
「もう、入っても大丈夫?」
「いいよ。まだ眠っているけどね」
「ありがとう」
 玲妥は掴んでいた服を未練なく手放すと、飛び跳ねるようにして由稀がいる部屋へ入っていった。小さな背中は明るさを身にまとい、胸に巣食う恐怖を打ち消そうと必死に繕っていた。それが自分のためだけではなく、周囲への気遣いでもあることに亜須久は針のような痛みを覚えた。
「気丈な子だね」
「ああ。不憫なほどにな」
「ねぇ。君に訊きたいことがあるんだけど、いいかな」
「俺に答えられることなら」
「良かった。君ならそう言ってくれる気がしたんだ」
 凍馬は満面に笑みを浮かべて、壁に凭れた。彼の服には一点の汚れもなかった。
 亜須久は凍馬とやや距離を保ち、眺めるようにして観察した。瞬の友人と称するのは、不気味なほど笑顔の絶えない男だった。
「由稀君のことなんだけどね」
「相当ひどいのか」
「いや、確かに鬼使の《気波動》を受けた影響で、治療は難航したけどね。それよりも、彼の体のことさ」
「どういうことだ」
「たとえば彼が着ている服は、上も下も小さいよね。治療のついでに骨を診させてもらったんだけど、この短い間で急激に成長しているね。何があったの」
 凍馬の疑問は、亜須久の中にもあるものだった。
 鬼使との戦闘になる直前、由稀の腕輪が砕けるのを、亜須久は遠くから見ていた。由稀が腕をなぎ払うと竜巻が起こり、砂煙に紛れて何も見えなくなった。鬼使が竜巻を消し去ったあと、そこにいた由稀は由稀でありながら由稀ではなかった。
 凍馬から成長と聞き、亜須久は納得した。
「何があったのか、俺にはわからない。何もかもが突然だった」
「彼はあの髪や瞳の色からして、魔族なんだろう。だったら他の魔族の子たちに聞いた方がいいのかな。彼ら独自の何かがあるのかもしれないね」
「正確には、竜族と魔族の混血なんだが、まぁそういうこともあるのかもしれない」
 答えながら、そのようなことはないと確信を持っていた。由稀と年の変わらない加依からは、そんな話を聞いたことがなかった。
「竜族と魔族の。それは本人が言ったことかな」
 凍馬は丸い目を一層丸くして、亜須久を見上げた。
「いや。だが本人も知らなかったわけではないようだ」
「そうなんだ。でもさ、竜族ってどんなに血が混じろうが、必ず黒髪なんじゃないの。俺は前にそう読んだけど」
「そう言われてはいるが、確かな証拠はない」
「って、誰から聞いたの」
「え」
 亜須久は凍馬の笑顔を見つめ返した。凍馬は和やかに笑った。
「正直な人だね、君は。顔に人から聞いたって書いてある」
 言い当てられて、亜須久は思わず黙り込んだ。
「ねぇ、それって青竜っていう人だろう」
 楽しげにも聞こえる凍馬の問いに、亜須久は返す言葉がなかった。
「いたんだよ、あの場に。すぐに帰ってしまったけどね」
 凍馬は手首に何重にも巻いた綾紐を一つ解いた。横目に亜須久を見る。
「覗き見られたと思ったかな」
「ああ」
 視線を避けて、顔を背ける。亜須久は足元を見つめ、芽生えた気持ち悪さを宥めた。
「そんなことしないよ。安心して」
 模範のように健やかに凍馬は微笑んだ。
 亜須久は彼の能力には感嘆したし、感謝もしていたが、素直に好感を持つことはできなかった。凍馬には、周防(すおう)や鬼使のような圧倒的な脅威はなかったが、濡れた手で不意に背中を撫でられるような気味の悪さがあった。確かに笑顔は穏やかで、話し振りも人懐っこい。だが亜須久にはどうしてもよく出来た写真に思えて仕方なかった。
「ごめん、困らせたね。少し気になっただけだから」
「いや、かまわない」
 亜須久がどんなに凍馬を探ったところで、わかることは何もなかった。亜須久は潔く凍馬を信じることにした。凍馬は解いた綾紐を指に巻いて遊んでいた。
「君たちは荷物や服装から見て、旅をしていたんだね」
「大陸南端にあるリノラ神殿を目指している」
「それはどうして」
「どうして、って……」
 亜須久が言い淀むと、凍馬は素早く顔を上げて笑った。
「話すと、君の身が危ないとか」
「いや、そういうわけじゃない。ただ、どこから話せばいいのか」
「結構、面倒な話なんだね」
「そういうことだ」
「じゃあいいや。でもこれだけは教えて。その旅の理由をあの青竜っていう人が握ってるんじゃないの」
 指を回して、巻きつけた綾紐を外していく。振り回される綾紐は、残像に惑わされて円盤にも見えた。
「もう、何を言い当てられても驚きようがないな」
 亜須久は乾いた息を洩らして言った。
「その通りだ。青竜が指示を出し、俺や弓菜が動いていた」
「やっぱり。たださ、どうにも腑に落ちないんだよね。彼はどうして君の役を負わなかったんだろう。戦闘にはすぐに駆けつけたのに」
 凍馬はいじっていた紐を、元通り腕に巻きつける。亜須久の記憶の中で、蠢くものがあった。
『私が直接行ければいいのですが、まだまだわからないことも多く、そちらへ時間を割きたいのです。文献調査には神殿の地下書庫が一番ですから。色々と大変かと思いますが、お願いします』
 亜須久は凍馬の疑問に触れて、青竜の言葉を思い出した。
 冷静に考えれば違和感があったが、生きる理由を見い出せた亜須久にとって、それは瑣末なことだった。
「あんまり深く考えないでね。ちょっと不思議に思っただけだからさ。でもね、ここだけの話なんだけど」
 凍馬は声を潜める。
「由稀君には、目をかけてあげて。色んな意味で気をつけた方がいい。それから青竜さんにもね。君だけでも目を離さないで」
「どういうことだ」
「さぁ。どうなんだろう。君は素直すぎるから、忠告だよ。自分の目に映るもの全てが真実だなんてのは、幻想に過ぎないよ」
「だったら、何を信じろと」
 亜須久は失笑を洩らす。凍馬は首を傾げて朗らかに笑った。
「結局は、自分が信じたいようにしか見られないんだよ」
 凍馬は亜須久の腕を軽く叩き、背を向けた。
「瞬の治療をしてくるよ」
 手を高く上げて緩く振る。亜須久の目に、凍馬の体が透けて見えた。