THE FATES

13.細波(2)

 ネリオズ宮殿会議室では、毎日のように文献調査や現在の調査進捗報告のために、会議が行われていた。出席者は、何本目か知れない煙草をふかしている瞬と、行儀良く机に向かい資料を隅々まで熟読している亜須久と、薄い唇を引き結び、宙を睨んでいる青竜だった。
「埒があかないな」
 瞬は手にしていた資料を机上に投げ捨てると、そう呟いて煙草を取り出した。
「今までが順調すぎたのかもしれない」
 亜須久は資料から目を離さずに言った。その資料には、今までの守護人が見つかった経緯と、文献から抜き出した守護人に関する記述が並べられていた。全て青竜が用意したものだった。
「しかし、まだ手はあるはずです」
 青竜は搾り出すように言う。亜須久はそれを多少困惑した表情で聞き流したが、瞬は顔を上げて軽く鼻で笑った。
「何があるっていうんだ。伝説の引力とやらを信じろというのか。そんなものに頼るから、今こうやって、会議と古臭い本に振り回されてるんじゃねえか。引力があるというなら、お前一人でやってろ。俺はそんな馬鹿げたことに、これ以上つき合う気はない」
 瞬はけだるい様子で前髪をかきあげると、深く煙草を吸い込んだ。青竜は静かな視線を瞬に送る。気付いた瞬は口端に不敵な笑みを浮かべると、青竜に向かって煙を吐いた。
「俺に意見されたくないか」
「そうではありません」
「じゃあ、なぜそんな目で見る。そんなに憎らしいのなら、さっさと俺を自由にすればいい」
「違います」
 常に冷静な青竜が、珍しく強い語調で感情を顕わにした。亜須久は驚いて紙面から顔を上げた。
 瞬は面白そうに青竜を観察していた。気付いた青竜は恥じ入り、小さな声で謝った。
「正直なところ、焦りがあります」
「それも無理はないと思います。一刻を争うことですから」
「そんな手助けは不要だ、夜上。こいつが自分で蒔いた種だ」
 瞬は楽しそうに煙草をくゆらせ、せせら笑う。亜須久は二の句が継げなくなり、押し黙った。
 城の鐘が鳴る。鐘は一定間隔で撞かれているもので、今の彼らにとっては会議の終わりを知らせるものだった。
「じゃあ、また明日のこの時間に」
 そう言って亜須久が席をたった。瞬は不思議そうな顔で彼を見上げる。気付いた亜須久は瞬を一瞥し、
「世維と稽古の約束をしているんだ」
「へぇ。それは達者なことで」
「瞬もたまには体を動かした方がいい」
「この老体に鞭打てと。ま、考えておくよ」
「頼む。きっと彼も喜ぶ」
 手早く資料をまとめて棚に整理すると、亜須久は会議室を出て行った。部屋には、瞬と青竜が残された。瞬は煙草を短くなるまで吸いきると、灰皿に軽く押し付け椅子から立った。折れた煙草の先からは、煙がのぼり続けている。
「待ってください」
「なんだ、まだ言いたいことがあるのか」
 瞬は眉間に皺を寄せ、あからさまに不服な顔を見せた。しかし青竜は相手の様子を確認することもしない。ただ机の上で組み合わせた手に力を込めた。
「確かに亜須久が言ったように、今までが順調すぎたのかもしれません。けれど、私は信じています。近いうちに残る守護人が見つかると」
「何の確証があってそんな世迷いごとを言えるんだ、お前は。同じことを言わせるな。俺はそんなことに付き合う気は」
「あなたには役不足でしたか? だとしても、一度引き受けたことには、責任をもってください。ここから去ったとしても、あなたに行くあてなどないのでしょう」
 青竜がようやく顔をあげた。その口元は皮肉な笑みに象られていた。瞬は冷めた表情で見下ろすと、腰を椅子に戻した。すぐさま新しい煙草に火をつける。
「喧嘩売ってるのか」
「いいえ。常識的な観点から話をしました」
「あ、そう」
 くわえた煙草を上下に揺らし、瞬は青竜を横目に盗み見る。青竜は組んだ手の一点を、見るともなく見つめていた。頬が僅かに痙攣している。瞬はそれを見逃さなかった。本能的に、青竜が怯えていると悟った。彼自身がとった行動の大胆さに。
「俺たちが、ここに来た日のことを覚えているか」
 意地の悪い気持ちになった瞬は、青竜に対する切り札をきった。果たしてこの場で使うべきかとも考えたが、切り札が発揮するであろう強大な力に、瞬は魅せられていた。
「ええ。派手な喧嘩をしていましたね」
 青竜は顔を上げなかったが、目にはある程度の力を取り戻して言った。何も疑わず話に乗ってきた青竜に、瞬はほくそえんだ。
「その時に、お前を見たんだ」
「短い間でしたが、近くにいましたから。さすがですね。そんな余裕もあったんですか」
「まさか。そんなのは知らないね」
「仰ってる意味がわかりません」
 青竜はなんとか社会性を取り戻し、机上の資料を揃え始めた。瞬は青竜の顔を覗き込むために、机に上体を突っ伏した。
「由稀の意識の中にだよ」
 資料の端が机の上を滑る。何枚かが青竜の手の中から逃げ出した。瞬は楽しそうに目を細め、玩具で遊ぶ子供のように無邪気な顔をして煙草をくわえた。手元へ滑ってきた一枚の紙を摘み上げ、見るともなく見る。
「もちろん最初からお前とわかったわけじゃない。俺はその時まだ、青卑竜慶栖という男を知らなかったわけだからな。だが、ここに着いてみたらどうだ。由稀に対するお前の接し方、そして由稀のお前を見る目。明らかに逸している。俺としても、この二つの線を繋げざるを得ない」
 青竜は微動だに出来なかった。
「あれがお前だと確信したよ」
 瞬はひどく昂揚していた。片隅に残る理性が、喋り過ぎだと警鐘を鳴らす。しかし止まることはなかった。
「けれども都合の合わないこともある。確かに俺はお前のことを知らなかったが、それは由稀だって一緒だ。なのに、なぜお前の姿を見ることができた。それを今ここで説明してもらえないか」
 手にしていた紙を青竜の方へと滑らせ、瞬はくわえていた煙草を手に持った。
 会議室の外は静かなものだった。廊下の端に位置するこの部屋は、普段から人通りもなく、会議室を利用する者しか扉の前までくることはない。しかし瞬はいつも以上にその静寂さを感じ取り、まるでこの部屋が青竜の殻に取り込まれたかのように感じていた。
 瞬は舐めるように青竜の様子を観察する。青竜の視線は机のただ一点に定まり、彼は自分の殻に閉じこもっているようだった。瞬は長い沈黙を覚悟する。決して重いわけではない。ただ塵ひとつ動くことのない、囲いのような空間だった。
「お前なんだろう、『由稀』を封印したのは」
「それがなんだというのです」
「は」
 瞬が思わず声を出したのは、青竜の言葉に対してではなく、彼の奇妙な笑顔に対してだった。
「真実があなたの考える通りだったとして、あなたに何ができるんですか。鬼使・瞬」
「どういう意味だ」
「あなたが見ているものは、わずかに捲れた表皮に過ぎない。私には痛くも痒くもありません」
「だったら、どう説明するつもりだ」
 瞬は煙草を灰皿に押し付け、前に乗り出した。
 青竜の面から笑みが消えることはない。
「それをお話しするには、まだ早すぎます」
「言ってることがバラバラだ」
 吐き捨てるように言うと、瞬は机に脚を投げ出した。
「そうでしょうか」
 青竜は再び資料を揃えると、席をたつ。
「逃げるのか」
「これ以上この話を続けても、あなたに得られるものはありませんよ」
「そんなことは俺が決める」
「おやめなさい、吠えるのは」
「なんだと」
 瞬は足を机に叩き付けた。勢いで灰皿がひっくり返り、灰が散らばる。
 青竜は瞬の強い瞳を正面から受け、眩暈を覚えた。
 その強さは彼が忌み、求め、希い、彼の存在全てを捧げた者によく似ていた。客観的な形相の酷似などでは追いつかない、そこに纏う孤独までもが、青竜の意識を捉えて離さなかった。
「そうやって、世界の全てに挑み続けてきたのですか」
 考える前に、言葉が声になっていた。火に油を注ぐような行為だ。言ってしまってから、青竜はあっと息を呑んだ。しかし、感性が理性の枠を跳び越えてしまっていた。
「その強さは、誰も救わない。あなた自身をも傷付ける。虚飾で固め、己を否定することで得るものなど、弱さから出た強がりに過ぎないのですよ」
 辛辣な言葉が、青竜の口から澱みなく溢れ出る。瞬は言い返す言葉を探すこともままならず、ただ青竜を凝視するしか出来なかった。
「認めたらどうですか。本当の自分を」
「そんなの、お前に何がわかるというんだ」
 ようやく吐き出した台詞も、覇気がない。
「あなたのような生き方は、周りにいる者を不幸にするだけです」
 青竜は瞬に背を向ける。背後に刺さる鋭い気配に、彼は底なしの恐怖を感じるとともに、得も言えぬ郷愁を心地よく味わっていた。それはある種の官能に似ている。ふと、歩む足が止まる。
「まだ何か言うつもりか」
 瞬は青竜の襟元を睨みつける。怒りは尤もだったが、何より動揺している自分を己にすらひた隠しておきたかった。
 青竜は小さくかぶりを振る。
「いいえ。言葉が過ぎました。非礼をお許し下さい」
 突然の陳謝に、瞬は戸惑う。本音か建前か、それとも揶揄なのか、それすらも区別できない。その時不意に、凍馬の忠告を思い出した。
『由稀君には、充分注意をした方がいいよ』
 それは単に由稀だけに目を遣ればいいということではない。おそらくそこから伸びる線上にも、彼は注意を促したかったのだろう。あの時の瞬はまだ青竜の存在を知らなかった。凍馬もそこまでお節介ではない。瞬は刹那に進退を熟考する。
 好機か、否か。
 その判断は動物的な直観に委ねられる。
「次はないと思え」
「ありがとうございます」
 言って、青竜は会議室をあとにした。残された瞬は、歯噛みして次の煙草に火をつける。薬品のような苦味が喉に絡まり、彼は顔をしかめた。
 この判断が後にどんな結果を引き起こすかは、今の彼にも想像できない。しかし今は青竜を泳がせようと、長い間闇の世界を生き抜いてきた勘が決断した。残酷な結末を好む鬼使の意思だったかもしれない。しかし瞬はそれでもいいと考えていた。それを乗り越えることで、真に鬼使の存在を消し去る瞬間が来るのだと思った。
(結局は、あの男が言った通りだ)
 自分は、この世界に『一人』で生きている。自己満足と保身本能の塊だった。
 差し込む光に誘われて、部屋にただ一つの小さな窓に寄る。厚い壁と二重の窓に遮られ、やはり外の音は届かない。好天のため、眼下に見える訓練場は屋根が開放されていた。小さな人影だが、それが亜須久と世維であることは想像に難くなかった。他にも幾人かが二人の取り組みを見学していた。瞬は軽く瞼を閉じ、そこから離れた。
 脳裏には、青に濃い海原が広がっていた。