THE FATES

13.細波(3)

 紅は茜を探し、宮殿中を歩き回っていた。指折り数えても、この世界で過ごした日数は変わらない。彼は危機感を募らせていた。
「おい、おいってば」
 肩を後ろから掴まれた。否応なしに、紅は立ち止まらされる。見ると、由稀だった。
「お前に用はないよ」
 小石にでも躓いたようにあしらうと、紅は再び歩き始める。
「冷たいなぁ」
 呟きつつも、由稀は紅の横に並んで歩いた。
「暇だし、どこか行かねぇか」
「あいにく、俺はお前みたいにお気楽じゃないんでね」
「なにが忙しいっていうんだよ」
「関係ないだろ」
 紅は羅依に眼鏡を壊されてから、素顔のままで生活していた。鮮やかに芽吹いた葉のような瞳だった。由稀は紅の思惑を読み取ろうと、横から瞳を覗き込む。
「なんか、探してるのか」
 新緑の瞳が、こちらを見る。
「茜、知らないか」
「あぁ、茜さんなら、さっき弓菜さんと一緒に出掛けたけど」
「は?」
 紅は立ち止まり、由稀に向き直った。
「いや、だから、買い物……かなぁ」
 あまりに強く睨まれ、由稀は言葉につまる。まるで自分の悪事を追及されているようだった。紅の顔色は益々険悪になり、今にも由稀に掴みかからんと見えた。
「どうして引き止めない」
「知らねぇよ、お前の都合なんて」
 由稀は困り果てる。この自己中心的な考え方は、顔立ちの相似以上に父親に通ずる。
「まあ、何日もどこかに行ったわけじゃないし、夜になったら帰ってくるだろ。だからそんなに目くじら立てるなよ」
 肩を軽く叩きながら、紅をなだめる。手間のかかるところも、親子で似ている。
「な」
 念をおすと、紅は俯いた。普段と異なる様子に由稀は首を傾げる。
「どうかしたのか」
 由稀の問いに、紅は答えない。
「俺に出来ることなんてそんなにないけど、誰かに話くらい通してやるからさ。一人で抱え込むなよ。そんなお前を見たら、茜さんだってきっと心配するし」
「ないんだよ、時間が」
 か細い声で、紅は呟いた。
「なんの時間だよ」
 一切の意図もなく尋ねる由稀に観念し、紅は逡巡したのち口を開いた。
「茜、病気なんだ」
「えっ」
 そんな素振りは茜本人から微塵も感じられなかった。
「一体、なんの」
 聞いてもわからないと思いながら、由稀は問う。
「実は俺も詳しいことは聞かされてないんだ」
「どうしてそんな大事なこと、子供のお前が知らないんだよ」
 由稀は怒鳴りつける勢いで彼の腕を掴んだ。
「誰も、聞いても教えてくれなかった」
 静かに由稀の腕から逃れる。行き場を失った手は、宙に浮いたまま彷徨う。紅の悲しみが、空気を介して由稀に伝わってくる。小さく謝った。
「そんなに、悪いのか」
 紅は頷いた。
「なんで黙ってたんだよ、二人とも」
「茜が誰にも言うなって」
「それは、心配かけたくないからか」
「わからない。だけど、多分」
「そうか」
 由稀は紅の顔をじっと見つめる。普段より、幼く思われた。
「あいつは、瞬は知ってるのか」
 由稀は思い切って問うた。俯き気味だった紅の顔が、おもむろに由稀を捉える。
「知るはずない。茜は誰よりもあいつに知られるのを拒んでいた」
「でも、そんなの、いつまでも隠し通せるものじゃ」
「ないな。現に茜はもう薬を飲んでない。おそらく昨日あたりで薬はなくなったはずだ」
「じゃあ、早くその薬を」
「無理だ。多分ここにはない」
 二人のそばを侍女が通り抜ける。会釈する彼女に由稀はおぼつかない様子で目礼したが、紅にそのやり取りは映っていない。
「どうして」
 言いかけて、由稀は口を閉ざした。
「俺には茜の考えてることがわからない。あんなにも、あの男を庇う必要なんて、全くないんだ」
 紅は由稀が飲み込んだ言葉を推測して、口早に言う。しかし由稀が言いたかったのは、そんなことではなかった。
(どうしてこいつらはもっと楽に、もっと幸せになれないんだ)
 それが今の素直な気持ちだった。だが、由稀にそこまで言うことは出来なかった。立場や関係を顧みてのことではない。もし自分が同じことを問われたなら、答えなど出せるはずがなかったからだ。
 由稀は紅の早とちりを真実へとすり替える。
「茜さんがどんなに拒んだとしても、これは瞬に伝えるべきだと思う」
 いつになく真面目な由稀の言葉に、紅は顔を上げて弱々しい瞳を彷徨わせる。
「あの男なら、なんとかできるのか」
 苦々しい顔で、紅は問うた。由稀の目は曇る。
「わからない。だけど」
「なら、言わなくていい。俺がなんとかする」
「話聞けよ」
「時間の無駄だ」
「聞けって」
 立ち去ろうとする紅の肩を、由稀は強く掴み、引き止める。
「瞬の方が、俺たちなんかより、明らかに知識も経験も多いんだ。直接の解決法はなくても、何か道筋はくれるかもしれないだろ」
「そんなことは、させない」
 振り返った紅は、これまで由稀に見せたことないほど、深刻な表情だった。驚いた拍子に、由稀は紅から一歩下がる。大気に触れる肌はひどく硬直し、強い目の奥には、波打つ鼓動が見えた。
「紅……」
「茜は俺が助ける。いまさら、あんな男の手は借りない」
 鼓動は流れ出し、意思の許可なく暴れ始める。透き通った新緑の瞳に囚われていた由稀は、紅の頬がわずかに痙攣しているのを見とめた。その肩から力が抜ける。
 由稀は、もう何も言うまいと心に決めた。
 紅はうな垂れて呟く。
「だけど、頼まれてくれるなら、一緒に来てほしい。茜を、探してほしい」
 潮が退くようだった。由稀は穏やかな気持ちになる。
「もちろん」
 二つの影は壁に寄り添い、光の方へと駆け出していった。