THE FATES

13.細波(4)

 比古は不思議な感覚を覚えて、振り返った。しかし捉えたはずのものはすでに人込みに紛れ、彼の手の届かないところへ行ってしまった。光の塊が真横をすり抜けていったようだった。力のある者の証拠だった。しかも、濁った血の匂いがした。
 比古はいつものように重い外套を羽織り、待ち合わせた場所に向かっていた。メプトリアはアミティスで最も栄えた街だ。陽も翳り始め、彼の奇異な格好は一層景色に紛れ込む。
 貸し切りと札のかかった酒場の扉を押し開いた。照明はぼんやりとしていて、彼は目をこらす。中には数人がすでにおり、比古は自分が最後であることを知った。
「もう集まっていたのか」
「夕刻の鐘はとっくに鳴ったぞ」
「戻ってきたばかりだ。鐘ばかり数えてられん」
 比古は椅子に腰を下ろした。机を囲んで、他に四人の男女がいた。そのうち一人は、比古の姿を見るなり、店の奥へと下がった。
「久暉のところへ行っていたのね」
 隣にいた女性が比古に微笑みかける。彼女の笑みには、いつの頃からか母という生き物の魔力が棲みついていた。比古は素直に頷く。
「ああ。青竜に押し付けられた」
「そんな言い方しないの」
「安積はあの男に顎で使われたことがないから、そんなことが言えるんだ」
「そうかしら」
 安積(あづみ)は上品に笑い、視線を他に投げる。その先にいた男が、酒瓶を持って席に戻ってきた。
「とりあえず飲め」
 男は比古とは違い屈強な体躯で、口元には髭をたくわえていた。
「イープ酒か」
 比古は瓶を見て、顔をしかめた。
「嫌いか」
「いや、まぁ、癖が強い」
「子供みたいなことを言うな」
 そう言うと男は盃になみなみと酒を注いだ。
「人の好みだと思うけどな、俺は」
「兄さんは好き嫌いが多すぎる」
 もう一人の男が、腕を組み、比古の方を見ないまま呟く。比古は弟である周防に対しては容赦なく無視をした。
 比古は外套を脱ぎ、小さな器に注がれた酒を一気に飲み干すと、口を開いた。
「単刀直入に聞こう。誰か、残る一人を見つけたか」
志位(しい)、イープ酒ちょうだい」
「話を聞け、彌夕(みゆう)
 咎められても、彌夕は比古の方を見向きもしない。彼女の纏う橙亜国の衣服は、比古が身を隠す外套よりも、華やかな分だけこの場に不釣合いだった。
 志位は比古の顔色を窺いながらも、彼女に酒瓶を渡す。
「彌夕」
「だって、考えてもみなさいよ。私と周防は昨日ここについたばかりよ。いるかもわからない人探しなんて、不可能だわ」
「予定ではもっと早くつくはずじゃなかったのか」
 比古は周防を追及する。
「仕事を済ませながらきた」
「交易をしながら来たのか」
 比古は目を丸くする。
「急げと言っただろう」
「ああ、聞いた」
 周防は落ち着き払っている。これではどちらが兄かわからなかった。
「いいじゃないの、比古。周防たちのおかげで、私たちは暮らしていけるんだから」
 安積は比古の肩に手を置き、優しく撫でる。不思議と、苛立ちは治まった。顔を上げると、志位が嬉しそうな顔で比古に酒を勧めていた。

「つまり、誰も見つけていないということだな」
 志位の確認の言葉に、一同は沈黙で肯定した。
「困ったわね」
 ともすればわざとらしい安積の言葉に、誰も言葉を重ねることが出来ない。そんな中、彌夕だけは酒を呷り、黒ずんだ木組みの壁を頬杖ついて見つめていた。
「こういうことは比古が一番得意なんだから、また世界一周してきなさいよ」
「簡単に言ってくれるな」
 したたか酔ってきた比古は、そういえば、と呟いた。
「どうした」
「いや、さっきここへ来る時に、何か引っ掛かったんだ」
「いたのか」
 志位は呷るように酒を飲んでいる。
「はっきりしたことはわからない」
「だけど、比古のそれは外れたことがないわよね」
「だとしたら、近くにいるということだな」
 言うと、周防は立ち上がる。
「探しにいくの?」
 安積は周防を見上げて問う。周防は頷き、比古の腕を掴んで立ち上がらせた。
「あてはあるのか」
 志位は水を飲んでいたかのように、一切酔いを表に出していなかった。
「いや、ない。だが、兄さんがいる」
 周防は外套を比古の頭からかぶせると、引きずるようにして店を出て行った。