THE FATES

13.細波(7)

 赤土が剥き出しになったそこには、十を越える天幕が張られていた。風が強い。ぶ厚い布で縫われた幕は、大きな音を立ててはためいていた。
 羅依はうち一つの天幕の中で、膝を抱えて何度目か知れないため息をつく。
「つまんねぇ」
 声に出すと一層虚しくなり、羅依は立てた膝に顔を埋めた。
 魔界に初めて足を踏み入れたときは、俗界との環境の違いに体調を壊しもした。目に映るもの全てが新鮮で、加依に説教されながらも色々なところへ走り回っていた。しかし、それも数日で飽きてしまった。
 ここは今、争いのさなかだったのだ。首長でもある父は、最前線に赴き指揮を執っている。そのため、羅依は父に会うことが出来ない。聴覚に優れた不破は、連絡係として部隊に借り出されてしまった。羅依は一人になるのが心細いので、加依とともに村の近くに配置された部隊で日々を過ごしていた。
「はぁ」
 羅依は俗界の様子が気になってしかたなかった。由稀のこと、紅のこと。けれど何よりも先に浮かぶのは、瞬の寝顔だった。正直そんな自分の気持ちに、ついていけなかった。
 自分にとって瞬は、倒さなければならない相手であったはずだ。しかし二年前の記憶を失い、彼の痛みを目の当たりにし、彼女の中には信じられないような気持ちが渦巻いている。
 何よりも誰よりも、彼のことが気にかかる。
 羅依は束ねた髪をほどき、自身の体を抱きしめた。
「はなれろよ」
 幻想に唾をはく。
 おもてが俄かに騒がしくなった。獣の鳴き声がする。羅依は顔をあげた。
真小太(まこた)!」
 出入口の布をはねあげ、一頭の獣族が飛び込んできた。すぐさま羅依の元へと駆け寄ってくる。羅依は真小太の背中を荒々しく撫でた。真小太は小さな牙を剥き、尾を振って喜んでいた。
「暇してたみたいですね」
 声のした方には、加依が立っていた。彼は昨日から他の部隊との間を忙しなく駆けずり回っていた。端正な顔には、若干の疲れが窺えた。
「おかえり、兄貴」
「異常はありませんでしたか」
 加依は天幕の中に入ると、甕から水を汲み飲み干した。
「平和なもんだよ。平和すぎる」
「いいことですよ。真小太を返しにきました。寂しがっていましたよ、羅依と離れて」
「そっか」
 羅依は労いを込めて、真小太の頭を撫でた。
「すっかりなついてしまいましたね」
「そだな」
 真小太はまだ幼かった。人でいえば四歳ほどになる。羅依が魔界についたその日に森で出会い、一声かけて立ち去ろうとしたら、羅依の後ろにぴたりとくっつき離れようとしなかったのだ。結果的に、羅依が従えることになってしまった。それでも最初の頃は安易に近寄らせず、まるで羅依のことを値踏みするような目で睨みつけていた。
「お前からついてきたのに。気難しいやつだね」
「真小太は気高いんですよ。軽々しく尻尾を振らないあたり、羅依に自分と通じるものを見たのかもしれませんね」
 加依は上着を脱ぐと急ごしらえの椅子に腰掛けた。
「そんなものかな」
 真小太は機嫌よく吠えた。
「そうだ。兄貴はどんな感じだった」
「戦況ですか」
 羅依は頷く。真小太は羅依の脚に寄り添って丸くなった。
「最悪ですね」
 加依は極上の笑顔で言う。羅依は眉をひそめて笑った。
「あたしたちも行くことになるのか」
「そうですね。応援要請はきましたよ」
 さきほどおもてが騒がしくなったのは、加依がそのことを知らせたからだった。
「じゃあ、のんびりしてられないね」
「まぁ、そうなんですが」
 そう言って加依は語尾を濁す。羅依は真小太の背中を毛並みに沿って撫でながら首を傾げた。
「どういうこと」
「行きたくないんですよね、前線には」
「え、でも」
「羅依、俗界に行きたくありませんか」
 唐突な加依の提案に、羅依は思わず目を丸くした。まるで自分の心を見透かされているようだった。視線の先で、兄は優しく微笑んでいる。
「なにか、用事でもあるのか」
 返ってくる答えはわかっていたが、羅依は形式として聞いておかなければならない気がした。思ったとおり、兄はゆっくりと首を振った。
「前線は長に任せておけば大丈夫です。やることのない俺たちがいても、邪魔になるだけですから」
「なんか、言いくるめられてる気がするんだけど」
「気のせいですよ」
 加依の笑顔は揺らぐことを知らない。羅依は天幕の向こうへ視線を投げて考え込む。
「兄貴、みんなは番人のこととか知って」
「知りません。ここにはそのような言い伝えはありませんから」
 そう言って、加依も外を振り返る。武器を運ぶ音がした。
「じゃあ、どう言って俗界に行くんだよ」
「黙って行けば済むことですよ」
「まさか」
 羅依は信じられないというように眉を寄せた。真小太が立ち上がり、羅依の膝に乗る。
「俺に任せて下さい。大丈夫。悪いようにはしませんから」
 加依にそうまで言われては、羅依も頷かざるを得なかった。
 真小太が羅依の胸に乗りかかり、歯切れよく吠えた。