THE FATES

14.覚醒(2)

 格技場の中は、すでに熱気が立ち込めていた。由稀と紅は入り口で呆然と立ち尽くす。
「すげぇ」
 場内には壁を埋めるように観客席が設置されていた。声が反響して分裂し増殖する。果てなく高まる歓声に押し潰されそうだった。中心には、四つの大きな円が描かれている。そこで試合が繰り広げられることが容易に想像された。今はまだ、熱気からは程遠い静けさを漂わせていた。
 亜須久はその円を越えた先にある、訓練試合進行本部にいた。由稀は真ん中を突っ切って格技場を横切る。紅は服に手を突っ込んだまま、周りを気にしながら小さくなって由稀のあとに続いた。
「じゃあ、そういうことで頼めるか」
 二人が本部の長机に手をついた時には、話し合いはすでに終わっていた。由稀は期待に満ちた眼差しで亜須久を見上げる。視線の先で彼は口端を上げて返答した。由稀は腕を高く突き上げて、喜びを一気に放った。
「ただし他の抽選は終わっているから、特別枠ということでお前たち二人の対戦ということになる。勝った方も負けた方も、試合はその一度きりだ。それでもいいか」
「文句なんてあるわけないだろっ」
 由稀の隣では、紅が怪訝そうな顔をして、その喜びぶりを眺めていた。
「ところで、何を使うつもりなんだ」
 亜須久の後ろから声が聞こえた。顔を覗かせたのは、近衛隊員であり北の番人の守護人でもある世維だった。背の高い亜須久をも上回る体躯の世維は、引き締まった顔を緩めることなく由稀を見つめていた。由稀は思わず言葉に詰まった。
「あ、えーっと、な何をって」
「武器だ」
「本当は武器ごとの部門で試合をするんだ。有利不利が出てしまうからな」
 亜須久が苦笑しながら補足をした。由稀はほっと息をつく。
「俺は小刀くらいしか使ったことがないんだ。だから多分、紅が何を使ったとしてもあんまり差はないと思う」
「そうか。紅は」
「なんでもいいよ」
 紅の返事は相変わらず素っ気ない。亜須久は呆れたように首を傾げて世維に向き直った。
「由稀は短刀、紅は槍だ」
「わかった。用意をしておこう」
 それだけを言うと、世維は無駄のない動きで奥の方へと行ってしまった。その後ろ姿を見送ることなく、紅はじっと亜須久の横顔を見つめる。
「おい、どうして知ってんだよ」
 紅の不満げな声に、亜須久は珍しく意地の悪い笑みを浮かべた。
「加依から聞いたんだ」
 そう言われて、紅は加依と初めて会ったときのことを思い出す。途端に脱力した。
「あんなお喋りな男知らねぇよ」
 由稀はそう言う紅の中に、加依を憎めない彼の気持ちを垣間見て、胸が躍るように嬉しくなった。

 観客席は隣の会話も満足に聞こえないほどのざわめきに包まれていた。
「もうすぐ始まるみたいですね」
 加依は慌ただしくなる本部と高まる歓声から、小さく呟いた。それに気付いたのは、耳のいい真小太だけだった。真小太は、羅依の膝の上で大きく吠えた。
「とりあえず、むさ苦しいところねぇ」
 弓菜はきれいに整えられた眉を歪めて、乱暴に脚を組んだ。
「でも、何だかわくわくするわ」
 茜は弓菜に向かって言うと羅依を振り返り、首を傾げて同意を求めた。羅依は流れるような茜の動きに見とれて、浅く頷いただけだった。胸に真小太を抱きしめる。言いようのない違和感が体を這う。茜の姿は確かにここにあるはずなのに、羅依はそこに彼女を見止めることが出来なかった。茜の存在の全てがこの世のものとは思えないほど美しかった。
 羅依は真小太を強く抱いた。
「茜さんは、どんなものにも長所を見つけられるのね。羨ましい。私なんて、いつも文句ばっかり」
 弓菜は頬杖をつき、深くため息をつく。彼女の言葉には後ろ向きな自虐はないが、前向きな反省もない。外から眺めていた羅依は思わず苦笑した。
「そうかなぁ」
 茜は真っ直ぐに試合場を見つめて、やわらかく微笑んだ。
「私は何に対しても正直な弓菜さんが羨ましいな」
 紡ぎ出される言葉には、一片の影もない。しかし羅依は茜の手が小刻みに震えているのを見逃さなかった。
「茜さん……?」
「あ、出てきましたよ」
 加依の呼びかけと同時に、割れんばかりの歓声が沸き起こる。
 彼らが見つめる先には、多くの隊員に混じる由稀と紅の姿があった。

 軍服を着た審判の後ろを、由稀と紅はついて歩く。靴底から響く歓声が空気を震わせ、彼らの体を強ばらせた。
「なぁ、紅」
「なんだよ」
「俺たち実は、すごい所にいないか」
「今さら気付いたのかよ」
 紅は呆れて由稀を追い越す。
 審判が立ち止まり、円を差した。
「両者、位置について下さい」
 言われるまま円の中に入ると、由稀は体中が空っぽになっていることに気付いた。顔を上げると、紅がにやりと笑った。
「そのぶん、ストレス解消効果は存分に楽しめると思うぜ」
「ご慈悲の深いことで」
 由稀は紅のひねくれた気遣いに乗る。
「構え」
 審判の力強い声が響く。他の円の中にも選手の姿がそろった。場内は水を打ったように静まり返る。由稀は息を吸い込んで、渡された短刀を握り締めた。手の平に撥ね返ってくる硬さが、由稀の気持ちを強くし、野性的な集中力を高めていく。紅を見つめて、悪戯っぽく笑う。
「本気でいくからな」
「やるからには当然だ」
 視線の先で、紅は槍を背中に回して体を曲げた。由稀はふと瞬を思い出した。彼と戦ったときの記憶はおぼろげだが、武器の形くらいは覚えている。確か瞬も細長い、槍に近い剣を使っていた。
 緑眼が由稀の脳裏で重なっては離れる。
 血縁。
『私はあなたの叔父にあたるのですから』
 こだますのは、低い美声。
「始め!」
 歓声が空を裂いた。