THE FATES

14.覚醒(3)

 合図とともに動いたのは、紅の方だった。槍の間合いを活かして、やや離れた場所から突きを繰り出す。最初は紅が尻込みしているのかと思っていた。しかし由稀は紅の槍の軌道が全て違うことに気付いた。彼は由稀を計ろうとしている。
 どこまでついてこれるのか。
「試してるのか」
「どうかな」
 新緑の瞳が、橙色の髪の隙間で笑む。由稀は鳥肌が立つような興奮を覚えて、高い跳躍で紅に詰め寄った。紅は由稀との距離を取ろうとし、槍を横になぎ払う。由稀は軽く飛び越えた。一瞬、目が合う。
「上等」
 紅は素早く槍を持ちかえると、柄の方を土に押し付けて反動で後ろへ跳んだ。着地点に砂埃が舞う。由稀は低く構えて紅を凝視した。短刀は両手とも逆手に握った。
「じゃあ、今度は俺から」
 言い終わるや否や、由稀は腰を落としたまま紅の懐に入り込み、回転しながら刃を浴びせかける。紅はそれを後ずさりながら槍の柄でかわしていた。由稀の動きは速い。今まで組んだどんな相手よりも速かった。紅は奥歯を食いしばって、時を待った。
 地面に引かれた円は、決着がつかなかった場合の採点用としてあった。攻撃をしかける意思が見られずに場外に出てしまうと、その度に減点される仕組みだった。
 紅の足元に、円の果てが近付く。審判は紅の場外を見極めるため、彼らの後ろへと回り込んだ。由稀は様々な角度から攻撃をしかける。状況としては明らかに自分が優位なはずなのに、紅の様子を見れば見るほど危険を感じていた。
 罠ではないかと疑ってしまう。
 後ろ向きな気持ちは、過敏なほどに動きに影響する。
 それまでと同じように向けた短刀が、強く槍に弾かれ手から離れた。
「な……っ」
 腕に激しい痺れが起こる。思わず顔が歪んだ。その隙に、紅の槍が迫る。由稀は紙一重でそれをかわして跳び上がると、遠く間合いを取った。
「何が違ったんだ……」
 由稀は乱れる動悸を紛らわすように声を出した。紅は槍を両肩に担ぎ、そこに腕をひっかけて立っている。今までに見たこともないような笑みを覗かせる。
「気付かなかったか。俺はお前の攻撃をよけながら、ずっと槍の角度を変えていたんだ。その刃がこの柄に引っかかるようにな」
「紅、お前、研究者なんだろ」
 由稀は肩で息をしながら、膝に手をつく。
「こんなに強いなんて聞いてねーよ」
「言ってないから」
 さらりと言ってのける紅は、槍を両手で回しながら楽しんでいる。
「わけわかんねー」
 そう呟いて、由稀は顔も上げずに紅へと突き走る。紅は槍を両手で構える。しかし由稀は紅を跳び越えて、その向こうに降り立つ。そこには弾かれた短刀が落ちていた。由稀は走りながらそれを拾うと、振り向きざまに紅へと投げつける。距離は遠くない。速度がある。投げられた方向にも狂いはない。紅は遊ばせていた槍を横に払って、矢のような小刀をなんとかして振り落とした。
 懐が開く。体勢を立て直すより早く、目の前に由稀がいた。槍を構え直すには狭すぎる。この試合初めて、槍の短所が顕わになった。
「もらった!」
 由稀は声を上げて、紅へ刃を向けた。

 試合に集中していた羅依は、視界を動く影に気付かなかった。
「茜さん!」
 弓菜の張り詰めた声が、羅依の頬を打った。横を振り返ると、座席で茜が倒れていた。その体はぐったりとして、動かない。弓菜は茜の頭部を自らの膝の上に乗せ、必死になって呼びかけている。咄嗟のことに、羅依の頭は混乱する。背後から加依が駆け寄った。
「何があったんですか」
 加依の声は落ち着いていたが、その表情からは羅依と同じような困惑が滲み出ていた。
 周りの観客がざわつき始める。茜が意識を取り戻した。
「騒ぎには、したくないの」
「その前に、お医者さまを」
 言いかけた弓菜を頼りなさげな手で制止し、茜は弱々しく身を起こした。横から加依が支える。
「お願い、外へ」
 そもそも原因がわからないのだから、本人にそう言われては、三人は従うしかなかった。
 弓菜と加依が両側から茜の肩を担ぐ。羅依は真小太とともに後を追う。彼らは人波と歓声を縫うように格技場を出た。

 由稀の一撃は、紅の髪をかすっただけだった。僅かな間に、紅は長すぎる自分の武器を放り投げて、体を小さくしていた。そのまま勢いを得て、由稀の腹に体当たりする。
「ぐ……」
 自らの進む力が災いして、衝撃は二倍になった。由稀は思わずうめき声をもらした。その隙に紅は地面を転がり、槍を手にする。土に膝をつき、荒い息をする。額の汗を袖で拭った。
 一進一退の攻防は、普段から鍛錬を積んでいない彼の体を重くしていた。しかしそれだけでは説明しきれない重石が、紅を地面に縫い付けていた。槍を土に突きつけたまま、立ち上がることが出来ない。得たことのない胸騒ぎを覚えた。
 あまりの顔色の悪さを怪訝に思った由稀は、短刀を拾いがてら眉を顰めた。
「大丈夫か。顔色悪いけど」
 審判も、なかなか立とうとしない紅に棄権かと問う。彼は首を振った。
「なんか、ちょっと寒気がしただけ」
 紅は服についた砂埃を払いながら、槍を抱いて立ち上がった。由稀を見て、目を細める。
「はやいな」
 口元は楽しそうに笑っていた。それを見て、由稀は心の中で一つ息をついた。
 審判は二人の様子を見遣って、もう一度立ち合うように身振りした。
 由稀と紅、同じように飛び出す。懐の深い紅が、先手を取った。中へ潜り込まれないように脇をしめ、紅は槍を向ける。その速さは先ほどよりも劣ったが、曲線を思わせる軌道が由稀の目をくらませる。正面から立ち向かっている限り、自分に勝機はないように思われた。その中で唯一残された糸口。由稀は紅の頭を睨みつけた。
 背後を取る、それしかなかった。
 横への動きは殆ど紅の攻撃で封じられている。ならば残る上を通るしかない。槍の軌道が一瞬でも読めればという一心で、由稀は突きをかわす。
 滑らかな流れが、奏でる音楽のように由稀を押し包む。
 不意に、音色が途切れた。
 紅の視線は由稀ではなく、観客席に向けられていた。由稀はそれに気付かず、槍を下へ押し込んで反動を得ると、紅の頭に手を突いて背後に回った。振り返って一撃を与えようとしたところで、異変に気付いた。
 紅の槍が地面に転がる。
「茜……」
 紅の呟きは騒音ばかりのこの空間で場違いな静けさを伴っていた。視線を追って、由稀も顔を上げる。先には、支えられて歩く茜の後ろ姿があった。由稀の脳裏に予感が走る。少し歯が震えた。
 視界の端から紅が飛び出す。
「紅!」
「試合中ですよ!」
 由稀は審判の無知な言葉に苛立ち、短刀を地面に叩き付けた。
「棄権だ!」
 そう言い捨てると、由稀は紅を追って走り出した。
 歓声に沸きあがる挌技場がまるで別世界のことのように、由稀の耳には目の前を走る紅の声だけが届いていた。
 茜、茜と。