THE FATES

THE FATES vol.2
0.禁忌

 あの世とこの世を繋ぐ、塔のてっぺん
 登った人はいるのかな

 君も逝きたきゃ行くがいいさ
 神様にでもなった気で、世界をまさぐり見下ろして
 戻れなくっても知らないよ

 だって僕らは神じゃないから

 君と僕を繋ぐ、塔のてっぺん
 報いを噛んで、さようなら

 * * *

 山肌には草も木もない。むき出しになった岩盤は真昼の光に輝いていた。見下ろす先には街が広がり、高い壁が騎士のように住民を守る。庇護の外側には延々と砂の大地が広がっていた。
 学舎脇の校庭には笑い声が溢れていた。上級生が移動法の円陣を作り、その中に石を投げ込んでいる。瞬は遠巻きにその様子を眺め、沈んだ表情で砂を蹴った。砂は舞い上がり、煙のようになって風に流れた。
 瞬は唾を吐き捨てるように呟き、上級生の輪を睨みつけた。視線に気付いた(えん)が振り返ると、数人がつられて瞬を見た。
「どうかしたのか」
「ううん、なんでもないよ」
 瞬は兄に笑いかけ、周りの上級生を一瞥した。
「ただね、あんまり一緒にいると馬鹿が移るって言ったんだよ」
「おい、瞬」
 卑屈な笑いを浮かべる弟を諌めようと、焔は一歩踏み出す。しかしその肩を押し退けて、同年代の中で最も気性の荒い男が前に進み出た。
「もう一度言ってみろ、玉兎(ぎょくと)
「移動法の円陣はここみたいな砂地に作ると、術者への反動が出やすいんだ。誰かの干渉を受けたら、ここにいる全員が吹き飛ばされる。安易に術を使って遊ぶのも大概にしたらどうだよ」
 瞬は体格も年齢も勝る男を相手にしても、怯むことがなかった。焔はその強さを目の当たりにして視線を逸らした。羨望が理性を駆逐していく。
「さすが、筆記試験主席の秀才が言うことは違うね。だが実技ってのはな、そうそう理論通りにいくもんじゃないんだよ。まぁ、ろくに術の使えないお前には、一生わからないことかもしれないがな」
 男は瞬の胸倉を掴み上げると、拳で殴りつけた。痛みが走る間だけ瞬は顔を歪めたが、すぐに誰よりも鮮やかな新緑の瞳で相手を睨みつけた。
 不気味な願望が背筋を這い上がり、焔はそこから一歩も動けなくなった。助けに入る立場を忘れ、焔は瞬が倒れるのを待ち望んでいた。押し黙って、食い入るように瞬を見る。周囲はそんな焔の様子を、突き抜けた憤怒の表れと受け取った。
「お、おい。よせよ」
「そうだよ。確かに(ぎょく)の言うことも当たってるんだし」
 制止は焔の表情を窺いながら男に向けられた。男も焔の視線に気付いて、瞬から手を離した。瞬の華奢な体は突き飛ばされ、腰をしたたか打ち付けた。
金烏(きんう)がいなきゃ、お前なんてとっくにここにいねぇんだよ。覚えとけ」
「兄貴がいなきゃ、お前たちなんて東按(とうあん)先生の干渉で反動受けてるよ。兄貴がいるから先生たちだって見て見ぬ振りしてるんだ。忘れるなよ」
 瞬は口から血を吐き捨てて、熱をもった頬をさすった。立ち去りかけていた男が立ち止まり振り返る。
「負け犬の遠吠えも大概にしやがれ」
「僕がいつ負けたって言うんだ!」
「やめろ、瞬」
 焔は正気に戻り瞬に駆け寄った。腕を掴んで顔を覗き込む。整った弟の顔は焔を通り越して男に向けられていた。
「言ってみろ。僕がいつ負けた」
「もういいよ、瞬。みんなのことを心配してくれたんだろう」
「みんな? みんなって何だよ。僕が心配だったのは兄貴だけだよ。こんな口だけの腕力馬鹿、誰が心配するか」
 瞬の顔立ちは幼いながらに憂いを帯びていた。風に揺らぐ旗のように、瞬の表情に色香がはためく。
「ほお。俺は口だけか。じゃあ玉兎、お前は口だけじゃないのか」
 男はにやにや笑いながら腕を組み、瞬を見下ろした。
「負け犬じゃないって証拠、見せてくれよ。誰もが納得する方法でな」
「誰もが、納得……」
 瞬は繰り返し呟いて、口を噤んだ。男の言わんとしていることに気付いたのだった。
「塔へ登ってこいよ」
 男はゆっくりと言い諭すように禁忌を口にした。砂が吹き上がるように周囲はざわめいた。焔は瞬の腕を掴んだまま男を振り返る。冷や汗を浮かべて、それでも歪んだ笑みを確保し続ける彼に、焔は自分と同じ恐怖を見た。腕がはねのけられる。
「いいよ。それで証明できるなら」
「挑発だ。乗るな」
 焔は瞬に向き直って肩を掴んだ。頭の奥で罵声が響く。喉が渇いた。
 瞬は焔の手に自分の手を重ねると、撫でるように握って降ろさせた。
「大丈夫。だって兄貴に恥かかせたくないから」
 そう言った瞬の笑顔は、握れば潰れてしまいそうな脆さと、向かう敵を食い殺しそうなほどの狂気を併せもっていた。
 そして何より、息苦しいほど美しかった。

 夜との境界線で大地が光をせがんだ。隙間になけなしの輝きが映える。空から藍の粉が降った。
 瞬は明るいうちに家を抜け出すと、塔の周囲に植えられた茂みの陰に暗くなるまで身を潜めた。顔を上げると、薄灰色の煉瓦で組まれた塔が天を衝いていた。憧憬の神を犯すように、塔は黙して空を見つめていた。
 瞬は警備が解けるのを待って、入り口の前に立った。扉は大きく、鉄製で冷たかった。耳元で風が鳴る。瞬は力を込めて扉を押し開いた。中は闇の源泉だった。溢れてくる。瞬は恐怖と好奇心を握りしめ、一歩踏み入った。床と靴裏に挟まれ、細かな砂が凌辱に泣いた。
 背後から我先にと風が吹き抜けた。指先は思わず取っ手を離し、扉は大きな音を響かせて固く閉じた。瞬は闇に呑み込まれた。
 閉じ込められた風は床に倒れて震える。足元には死の風が敷き詰められた。瞬は手探りで壁を探し、背中を預けた。塔の中は骨が冷えるほどに寒かった。背中から外の温もりが伝わる。すぐにも縋りつこうと出口を求めたが、伸ばした自分の腕を見ることさえ叶わなかった。沈殿した風が瞬の脆弱さを見抜いて脚を這い上がってくる。瞬は喉を絞められる幻想に襲われ、壁に手をついて塔内を歩いた。
 闇には質量があり、瞬はそれをかき分けて進んだ。時間感覚はなくなり、意識も朦朧とし、首筋は汗で濡れた。何日も歩き続けたような錯覚が瞬を占める。疲労感は次第に思考の緊張を解き放った。瞬は歌を口ずさんだ。反響する声が他人のもののようで、瞬は孤独を紛らわせるために歌い続けた。
 息が切れ切れになり、上を仰ぐ。瞬は闇の向こうに光が走るのを垣間見た。爪先に段差が当たった。しゃがみ込んで手で触る。階段だった。壁に沿うように上へと続いている。瞬は迷わず足をかけた。
 上がるにつれて、死んだはずの風が息を吹き返し、瞬を優しく包み込んだ。体は浮きそうなほど軽くなる。胸の奥で熱い芯が生まれる。後押しされて駆ける足は飛ぶようだった。
 体が上気し、瞬の中には光が芽生えたが、希望を強引に引き千切るように階段は途絶えた。瞬は四方八方を撫で回す。頭上に煉瓦とは違う感触があった。頬に残骸が降る。指を嗅ぐと、血の匂いがした。
 瞬は両腕を伸ばし、錆びた扉をくまなく探る。隅に窪みがあった。指をかけて押すが、びくともしない。殻が剥がれ落ちるように、瞬を包んでいた風も息絶えた。全身を倦怠感が襲い、その場に瞬は座り込む。足を抱えて膝に額を押し付けた。自分のしでかしたことが急に恐ろしくなったのだった。目を開けているのかさえもわからない暗闇は、まるで体が浮いているようだ。自分がここに在るのかさえ不確かだった。もし死後の世界が在るのなら、このような所かもしれないと瞬はぼんやり思った。
 鈴の鳴るような音に、瞬は顔を上げた。目の前を淡い光が舞い上がっていく。まるで逆さに降る雪のようだった。触れようと手を差し出すと、肌に溶けて消えた。
 光は錆びた扉へ吸い込まれていく。瞬は誘われるように立ち上がり、再び窪みに指をかけた。先ほどの重みが嘘のように、扉は外へ押し開かれた。途端に世界が白く染まる。急激な光の侵食に瞬は視覚を奪われた。頭の奥に高い金属音が鳴り響く。揺さぶられるような衝撃があって、体中が掻き回された。脳裏にひときわ鋭い輝きがきらめいた。息呑む間に輝きは影を持ち、姿を露わにした。迫ってくる。新緑の瞳に突端が映り、瞬は悲鳴を上げて体をそらした。胸に衝撃が走り、何かが体を貫通した。
「僕は、負け犬じゃない」
 瞬の世界はそこで途絶えた。

 目覚めると見慣れた天井が瞬を見下ろしていた。洗い立ての毛布の肌触りに思考はまどろんだ。
「気が付いたのね」
 すぐそばで声がして、瞬は視線をそちらへ向けた。
「母さん」
 瞬の手を握り、母は微笑んだ。
「あんまり心配かけないでちょうだい」
「ごめん。僕、一体どうなって」
 瞬は起きようとするが、自分のものではないように体に力が入らなかった。とっさに白い世界を思い出し胸の辺りをさすったが、痛みも傷跡も何もなかった。
「帰ってきたと思ってたのに、お夕食で呼びに行ったらいないんだもの。お兄ちゃんがもしかしたらって言うから、すぐにお父さんと司祭様が探しにいってくれたのよ」
 母は瞬の艶やかな黒髪をいとおしみ、何度も優しく撫でた。瞬は母の手の温もりを貪欲に求めた。目を細めて愛を誘う。
「塔に登ってはいけないの。知ってるでしょう」
 潮が引くように母の手は瞬から離れた。瞬の欲望は行き場を失った。
「どうして」
「あそこはとても大切な場所なの。誰も許可なく入ることはできないのよ」
「だけど僕は馬鹿にされて黙っていられるほど、弱虫じゃない」
「瞬、挑発に乗って禁忌を犯す方が愚かですよ」
 母の語気は静かで厳しかった。瞬は僅かに触れていた指先を、毛布の中に引っ込めた。
「理由も知らずに入るなとか言われても、そんなの」
「明日になったら話してあげるわ。だって明日は瞬の誕生日ですものね。儀礼の段取りはちゃんと覚えてる? お父さんもお母さんも助けてあげられないのよ」
「大丈夫。明日また東按先生のところに行ってくるから」
 瞬は頭まで毛布をかぶった。寂しさに泣きそうだった。
 布越しに母の手が瞬の額に触れた。
「儀礼が終われば、瞬とは呼べなくなるのね」
 母の声は瞬の喉を絞める。果てることない温かさに、瞬は涙を堪えられなくなった。
「あなたはいつまでも私のかわいい子よ、瞬」
 そう言って母は部屋を出ていった。瞬は閉じる扉の残響を、何度も鼓膜に繰り返した。寂しさに苦しむたび、愛しさを覚えていく。儀礼が終われば、大人になれば、母は自分のことを必要としてくれるようになるだろうかと、瞬は明日へと希望を繋いだ。
 毛布から頭を突き出し、窓から零れる夜空を見遣った。途切れることない世界の鼓動は、星となり瞬いていた。目を閉じて浮かんだのは、塔の中で見た淡い光だった。瞬は流した涙をそのままに、穏やかな眠りについた。
 陽が昇り、瞬にとっては特別な一日が訪れるはずだった。繋がれたはずの希望は一発の銃弾に断ち切られた。
 その日、憎悪が破壊と結びつき、全てを奪い去った。祝福の拍手も成人の誓いも、瞬の目の前を掠めて消えた。崩れ行く街の姿に、瞬は狂気の叫びを上げた。

 神は謳う。世界は我が物だと。

序章:禁忌・終