THE FATES

2.邂逅(1)

 最初に感じたのは、靴裏の砂の細かさだった。青竜(せいりゅう)は爪先で軽く地面をこすった。微細な粒子が舞い上がり、煙のように空に立ち昇った。
「ここは」
 青竜は辺りの景色に息を呑んだ。見渡す限り砂の大地が広がり、飾りのように低木と雑草があるだけだった。空は薄い雲に覆われ、大気は白みがかった砂の膜に濁っていた。青竜には全く見覚えのない場所だった。
慶栖(けいす)、どこへ行こうとした」
 久暉(ひさき)は地面に屈むと、手に砂を握った。隙間から絶え間なく砂が零れる。乾いた砂は滑りがよく、足元が軽く沈む。じっとしていると靴が砂に隠れた。青竜は喉の奥にしこりを感じた。
竜樹(りゅうじゅ)です」
 渇きは、大地の乾燥だけが理由ではなかった。青竜は失態に俯いた。
「おそらく、鬼使(きし)が何かを仕掛けたものと」
「言い分けか」
「いえ、決してそのような」
 足元の久暉と目が合った。吹きすさぶ風に空色の目を細め、真っ直ぐ青竜を見上げていた。青竜は無言の追及から視線を逸らして逃げた。
 久暉は立ち上がり、歪んだ地平線を見遣る。狭間の空は一層黒く厚かった。
「まぁいい。それより、鬼使の仕業と思う事由を話せ」
 沈んだ足を引き抜き、久暉は砂丘を歩み始めた。強い風に小さな体が揺らぐ。青竜は久暉の斜め後ろを進んだ。乾いた砂の上を歩くと、湿った土を掘る音がした。
「確かなことはわからないのですが。私が移動法を使おうとしたとき、鬼使が幻術を使いました。覚えていらっしゃいますか」
 少年の背中から返事はなかった。青竜は構わずに続ける。
「あのときに、私の術と鬼使の術の境目がなくなるような、不可解な感触を得ました」
「つまり」
 久暉は振り返らない。だが青竜は久暉の興味を強く引いていると感じた。
「共鳴したんです」
 目の前の小さな背中が立ち止まる。青竜はある種の征服感に高揚した。
 遠く、雷鳴が響く。それに重なって、波音に似た低い唸りが地面から沸き起こった。顔を上げると、地平線が見えなくなるほどの高い波が起こっていた。それは塀のように広く高く聳え、飛ぶ鳥の速さで二人に迫った。
「砂嵐」
 漂う砂をも抱え込み、砂嵐は膨れ上がっていった。風は一層強くなり、砂丘の表面に刻まれた凹凸はならされていく。青竜は移動法を使うため、天地の杖を構えた。砂の影が二人を覆う。
「退がれ」
「え」
 聞き返すより早く、久暉の結界が砂嵐を弾いた。砂の津波は二人を避けて走り抜ける。青竜は唖然とした。深い眠りから目覚めたばかりの彼が、荒ぶる自然の猛威までも跳ね除けている。青竜の目に映る久暉の姿に一切の背伸びはなく、嬉々として輝いて見えた。自信に満ち溢れ、思慮は深く的確で、余計な詮索はない。そして何より強かった。
 見上げた嵐は頭を垂れた稲穂がそよぐようだった。久暉の介入で新しく生まれた気流が、実りを揺らした。砂礫が結界に砕けて消えていく。蒸発し、冷やし固められ、今度は透明な硝子片になって降り注ぐ。弱々しい光を、あるだけ吸い込んで輝いた。
 これが、自分の夢見た世界だと青竜は確信した。
「あなたは、自然すらも組み伏せてしまうのですね」
 恍惚として青竜は呟いた。久暉には届いていないのか、眉一つ動かさなかった。
 砂嵐が過ぎ、静寂が戻った。久暉は何事もなかったように、結界を解いて歩き出した。青竜は彼の背中を追って足を踏み出す。頬を生暖かい風が過ぎる。淡い黄色をした砂地に、樹皮色の染みが出来た。一つ、二つと増えていき、砂の下から浮き上がるように染みが広がる。久暉が天を見上げた。空が弾けたように大粒の雨が降り出した。久暉は構わずに進む。青竜も黙って続いた。
 髪が額に張り付き、青竜は何度も指でかき上げた。服が肌に吸い付き、体の一部のようになる。革の靴は水をよく吸った。鉛を履いているように重かった。けれどそのどれも青竜を不快にさせるものではなかった。雨の潔い激しさに好感を持った。
 雨はすぐにも上がり、低い場所にはいくつもの水溜りができた。低木の緑の葉には露が輝き、時を刻むように滴った。ただ水面に映る空が晴れることはなく、白く薄い雲がどこまでも広がっていた。陽の光が射さないところが、斎園(さいえん)と酷似していた。
「まだいいですね。ここはそれでも明るい」
 青竜は久暉の沈黙に耐え兼ねて口を開いた。久暉は濡れた服を脱いで肩にかけた。十五年前の傷痕が、背中に生々しく残っていた。青竜は引き攣れた肌から目を逸らした。
「見てみろ」
 久暉は立ち止まって、地平を指差した。
「何かある」
 砂丘とは違った盛り上がりの、建物らしきものが見えた。ここに来てからさほどの距離を歩いたとは思えなかった。砂の濁りを全て雨が洗い流したのだ。目を凝らすと、要塞のようだった。
「行くぞ、慶栖」
 久暉は青竜を見上げて言った。青竜の脳に青空が広がった。
「はい」
 青竜は天地の杖を翳した。

 廃墟だった。遠目に要塞に見えたのは確かだったが、大半は崩れていた。中は色とりどりの煉瓦が崩れて積み上がっていた。廃墟には街が栄えていた頃の名残があり、景観はよりむごいものだった。それは自然に風化したのではなく、人為的に破壊されたものだと青竜は理解した。
 砦に沿って歩くと、見上げて首が痛くなるほど大きな鉄の扉があった。しかしそれもまた打ち破られ、溶けて曲がっていた。久暉はそこから中へと入った。大きな一本道が奥へと伸び、その脇には家や商店だったものが並んでいた。
「もとは塀も高く、強固な砦だったんでしょうね」
 青竜は鉄扉を見上げて言った。
「そうか。ではなぜ街が死んでいる」
 久暉は振り返って、薄く笑った。
「さ、さぁ。それは」
 青竜は返答に困り、砦の煉瓦を撫でた。これだけの風に晒されながらも、砂へ還る様子はなかった。触れる指先に痺れが走る。青竜は息を呑んだ。脳裏に鬼使の笑みが甦った。青竜は慄然とした。
「久暉様」
 青竜は震えた声で呼んだ。久暉は屋根が半分吹き飛んだ建物へ進んでいた。崩れて積み重なった煉瓦を乗り越えて振り返る。
「私たちはとんでもない所へ来てしまったのかもしれません」
「はっきり言え」
 久暉は肩にかけていた上着を羽織り、瓦礫の上に腰を下ろした。足元にあった陶器を手にする。飲み口の割れ目は磨り減って丸くなっていた。中に溜まっていた砂を捨てる。久暉は器を透かすように目の高さに掲げた。消え入りそうな唐草の模様が美しかった。
「おそらく、ここは天水(てんすい)です」
 青竜は心の中で何度も、たどり着いた答えの綻びを探した。けれど考えれば考えるほど、論の基礎は極めて磐石なものとなった。青竜はもう一度、砦に触れた。吹き付けた砂が肌に乗り移り、指先は白くなった。擦り合わせると汗に消えた。
 目を閉じれば、神殿での記憶が押し寄せる。淡い黄色の光が迫った。それはしなやかに伸びて、青竜に絡みつく。吸い込まれるような、溶け合うような感覚だった。それは郷愁を思わせる原風景の中に放り込まれたようでもあった。
 繋ぐ先には鬼使がいた。
龍羅飛(りゅうらひ)跡です」
 一歩砦の中へ踏み込むと、風は穏やかに吹いた。無残に崩れた壁であっても、たとえ生ける者がいなくとも、砦は騎士のように街を護っていた。青竜は共感し、護りきれない無力に同情した。
 久暉は街の奥をじっと見据えて、脚に頬杖をついた。黒い戦車が雑草の寝床となって道を占拠していた。
「なぜ、あの男を消さなかった」
 透き通った声音に、非難の色は一切なかった。青竜はかえって言葉に窮した。
「使えると思ったお前の下心か。それともただの興味か」
比古(ひこ)から報告を受けたときには、鬼使はすでに彼らの仲間として深く繋がっていました。それを引き裂いて由稀(ゆうき)さんが落ち込みでもしたら」
「ぬけぬけと。誰よりも由稀を蹂躙したのはお前だろう」
 鼻で笑って久暉は立ち上がった。目を伏せて、背を向ける。
「お前に任せた俺の愚か」
 久暉の手から陶器が滑り落ちる。煉瓦に砕けて散った。
「待って下さい、久暉様。説明させて下さい」
 青竜はすぐにも久暉を追おうとしたが、足に根が生えたように動かなかった。遠ざかっていく久暉の背中が由稀に見えた。初めて自分の罪悪感に気がついた。そして久暉の心にへばりつく無力感にも思い至った。
「あなたは今でも……」
 言葉は青竜の胸に秘められた。それでも自分の判断が正しいと、青竜は信じて足を踏み出した。