THE FATES

2.邂逅(12)

 瞬は央宮(なかみや)に、アミティスで起こった騒動のあらましを話した。央宮はじっと耳を傾けて、瞬の言葉がようやく途切れると、二本目の煙草を要求した。
「これからどうするんだ」
「色々と情報を集めなきゃならない」
 瞬は央宮の煙草に火をつけた。庭園に目を遣ると、花の中に羅依が見えた。
「あてはあるのか。何か力を貸そうか」
 央宮の言葉には一切の嫌味がなかった。瞬は小さく首を振った。
「一応まだパイプが生きてるはずだ」
 花に埋もれた羅依は、花に寄る虫を手で払い、激しく髪を振っていた。瞬は思わず顔を綻ばせた。
「墓守の民か」
「ああ」
 羅依が花壇から出た。窺うように首を傾げてきたので、瞬は手を広げてもっと摘むように伝えた。羅依は近くの長椅子に摘んだ花を置くと、また花壇へ戻っていった。それを見届けて、瞬は煙草を取り出した。ふと黙り込む央宮に気付き、顔を上げる。目顔で何事か問うた。央宮はいくらか言い淀んだあと、重々しく口を開いた。
「実は、彼らに立ち退きを要求している。だが、なかなか受け入れてもらえない。あそこを出れば行くところがないそうだ」
「お前も、殊来鬼(しゅらき)と切れようとしてるのか」
 火付け具を開け閉めして、央宮の横顔を窺う。央宮は瞬を見ようとはしなかった。
「ああ、父上と姉さんの遺志を継ぐつもりだ。俺の代になってようやく、戴冠式の介入も防いだ」
 王家の戴冠式では、殊来鬼一族の術を受けるのが慣例となっていた。それにより王は王位を継いだときの外見を保つことが出来た。
 央宮がいつ王位を継いだか、瞬は明確に聞いていないが、茜が退位したあとすぐに継いだのだとしたら、彼の髪に白髪が混じるような年齢ではなかったはずだ。
「みたいだな」
 にべもなく言い捨てて、瞬は煙草に火をつけた。炎の中に結蘭(ゆいらん)の顔が揺らめいた。王家との密な関係を切った張本人と思われ、彼女の敵意の矛先が自分に向くだろうことは、すぐさま想像できた。確かに一つの種族と特別な関係を結ぶことは健全と言えなかったが、それを突然切っては必ずどこかに皺寄せが来る。瞬は火付けの蓋を閉めて、結蘭の微笑みを閉じ込めた。王家の勝手に憤りを感じはしたが、結蘭からの接触がある前で助かったと思うことにした。だが、視野の狭い王家の中枢に呆れる気持ちは消せなかった。これが央宮の独断だとして、咎める者はいなかったのか。瞬の脳裏に一人の男が浮かんだ。
喬宮(たかみや)は、安己(あき)はどうしてる」
 喬宮安己は、央宮の双子の弟である。先天的な疾患により体が小さく、医師からも長くは生きられないと宣告されていた。
「あいつは死んだよ、二十年以上前に」
 央宮は煙草を口にくわえ、服の内側から手帳を取り出した。そこから一枚の写真を抜いて瞬に渡した。天水の写真はアミティスで指す写真とは異なり、光の粒子を科学的に構築して紙に写し取ったものだ。そこには寝台に腰掛けて微笑む喬宮の姿があった。
「そうか」
 一目見て、すぐに写真を返した。
「最後までお前たちのことを心配してた。優しい目をして、死んでいった」
 写真の弟を指で弾いて、央宮は朗らかな目をした。瞬には喬宮の死に顔がすぐに想像できた。特に顔立ちの似た双子ではなかったが、驚くほど表情の重なることがあった。
「王位は続くのか」
「それなら大丈夫だ。息子が三人いるんだ。一番下はちょうど生意気盛りで、手がつけられない」
「ならよかった」
 瞬は短く笑って、柱にもたれた。頭の後ろを柱につけると、視線が上向く。空には色がない。瞬の頬からは笑みの余韻すら滲まない。瞬は世界を見据えて軽くため息をついた。
『てめぇと同じ血が流れてると思うと、ぞっとするよ』
 瞬は紅の言葉を思い出していた。自分たちの場合、手がつけられないのはどちらなのだろうと思った。紅にあのようなことを言わしめているのは、おそらく自分だという自覚はある。だが、素直に受け入れられるものではなかった。
「紅のことか」
 遠慮を装って央宮は言った。瞬はそれを横目に見て、煙草を吹かした。
「城へ帰るように言ったんだ。それがあいつのためになるはずだ」
 瞬の心に痛みがぶり返す。出来るなら紅と離れたくはなかった。自分の全力を持って、彼を支えていきたい、守っていきたいと思う気持ちがごく自然に芽生えていた。それは茜との約束でもあるが、親としての切なる願望でもあった。親であるという自覚は乏しい。それでも湧き上がってくる衝動は、もはや瞬に制御できる範囲を越えていた。生きる者としての摂理だった。だが、そうできないことも深く承知していた。
「一応、言葉だけは交わしてるみたいだな」
「まぁ、会話じゃないな」
 瞬は鼻で笑った。
 央宮は眉を寄せ、忙しなく煙草を動かし、落ちない灰を何度も振り落とした。襟足を撫でて、目を伏せる。言い淀んだ末に、不可解な自嘲を浮かべて言った。
「正式な話は少しあとになると思うが、紅の宮名を外そうと思っている」
 それは瞬にとって、ある程度は予想していたことだった。表情を変えず、央宮の言葉を待つ。
「気を悪くしないでくれ。それがおそらく紅のためにもなると思うんだ」
 央宮は瞬へ体を向けて、全身で必死に訴えた。
龍羅飛(りゅうらひ)の血を引く彼が宮名を持つのは、当初から反対の声もあった。継承候補者があのときは俺一人だったから、姉さんは断行したけど、姉さん自身もどう思っていたかはわからない。俺は別に差別意識などはない。それは信じてほしい。だがおそらく国民には受け入れられないだろう」
「言いたいことはわかる。だが、なぜ今なんだ」
「あの子が持つ貴宮(あつみや)を、俺の子にやりたいんだ」
 うな垂れて、央宮は語尾をため息に変えた。
 高齢などで職務をまっとう出来なくなり宮名を後代に継がせることは、慣例としてよくあることだった。しかし継承候補者から宮名を奪い、違う者に付け替えるなどということは瞬も聞いたことがなかった。たとえ候補から外れて、また宮名を手放すことがあったとしても、それをすぐに違う候補者へ襲名させるのは筋が違っていた。央宮がそれを知らないはずはない。だが彼の顔にそれを憚るような遠慮は見られなかった。
「お前と紅に迷惑をかけるようなことはしたくない」
「俺が、今日来たからか」
 央宮は問いに応えなかった。もしも今日、瞬がここへ来ていなかったならば、紅は知らぬ間に宮名を剥奪されていたのだろう。
 瞬は自分に紅を受け止めてやれる器量がないことはわかっていた。自我ばかり押し通していることは認めざるを得なかった。だからこそ、紅に王家という避難所を確保してやりたかった。しかし彼の立場で宮名を失えば、実質的にも王家筋ではいられなくなる。瞬の脳裏に不幸がよぎった。
「だったら、ここはもうあいつの帰る場所にはならないのか」
 瞬は吸いかけの煙草も忘れて、呆然として問うた。またも紅から奪うのか。龍羅飛の血が彼の未来を閉ざすのか。
「来るななんて一言も言ってないだろう。だが、果たして紅がここへ来たがるかどうか、俺には甚だ疑問だな。お前はいなかったからわからないのも当然だが、紅はあまり城へは帰ってこなかったんだ」
 それは瞬の問いへの答えにはなっていなかった。
「そうだったのか」
 瞬はわかっていながら追及を控えた。
 勢いを得た央宮の声に、瞬は深い諦めを覚えざるを得なかった。いくら瞬が央宮を教育したとはいえ、その後の環境が大きく違いすぎた。溝が出来、際限なく広がることには逆らえなかった。国王という立場が、彼に曲げられない価値観を生んだのか。それとも、これもまた老いるということか。瞬にはどちらとも結論付けられなかった。央宮はそんな瞬に気付かず、更に続ける。
「たまにふらりと帰ってきては、姉さんと安己のところへ行って、また学校へ戻っていった。かなり成績は良かったみたいだからな。誰からもお咎めはなかったよ。あれはあれで、飛び級を実力以外のものと思われるのが嫌だったのかもしれない」
陣矢(じんや)は」
「ついていたよ。だけど甘いんだ、あいつは。昔からそうだったろう。まぁ、優しいとも言うがな」
 央宮は陣矢を羨んで遠い空を見る。時折見せる昔と変わらない眼差しが、瞬には遣り切れなかった。
「瞬、お前はここで俺を含め何人もの子供の教育をしたが、所詮は他人の子だ。自分の子供を育てるのは、生半可なことじゃない。特に紅はお前への負の感情も強い」
 短くなった煙草を吸いきり、央宮は下男を呼んだ。灰皿を持ってこさせ、さきほど踏み消した吸殻も掃除させる。瞬も乗じて煙草を捨てた。下男は一度も顔を上げずに二人の前から早々に立ち去った。
 央宮は濃紺の瞳を閉じて、眉間に皺を寄せた。
「だが、だからって逃げるな。お前が逃げたら、紅はどうする」
「俺はただ紅にとってより良い道を」
「そんなものは、あいつに決めさせろ」
 その言葉に、瞬は心底から辟易とした。央宮はもはや瞬の変化を見ようともしていなかった。ただ、自らの闇を隠すため、懸命に言葉を重ねているようだった。呆れを通り越して、瞬は彼に哀れみすら覚えた。
「どうせお前のことだから、選ばせる振りをして突き放してきたんだろう。ああいうのは手招きをしても寄って来ない。間にあう内に受け入れてやれ」
 央宮は清々しい顔で言う。瞬は目にかかる髪をかきあげて、ため息をこぼした。
「紅が望まない」
「それは本人が選ぶことだろう」
 瞬はもう、返す言葉を失った。欲しくもない煙草に火をつける。ひどく不味かった。瞬は時間の残酷さを思う。央宮を貶めることは出来なかった。
「そろそろ、あのお嬢さんを解放してやろうか」
 瞬は央宮の視線をなぞって、庭園を見遣った。長椅子には一人では抱えきれないほどの花が積まれていた。それでも、大地の恩恵を受け風に揺らぐ花々の厚みが減った様子はなかった。その群れの中に、すらりと立つ彼女の後ろ姿を見つける。
「おい、羅依」
 呼びかけると、羅依は風に流される髪を手で押さえて振り返った。視線が合った瞬間に、瞬の胸に淀んでいた煙は一掃された。手招きをすると、浅く頷いて花壇から出てくる。
「お前の女か」
「は」
 唐突な内容に、瞬は思わず声を上げた。央宮は少年のように笑った。
「さっき俺が近付いたら、露骨に嫌な顔をしただろう、お前」
「まさか」
 煙を吐いて、顔を背ける。だが、迷惑だとは思わなかった。
「美人だし、いい子だ」
 真意の掴みきれない言葉を残して、央宮はさきほどの下男を呼んだ。花を包むための布を持ってくるよう告げて、灰皿を受け取った。瞬は央宮から灰皿を渡され、力なく煙草を消した。央宮の言葉が頭の中を何度も巡る。花の並べられた長椅子で、下男と共に花を包む羅依の姿は、いつもと何ら変わったところは見受けられなかった。
「いい子、か」
 瞬は誰にも聞かれないように呟いた。あらためて、羅依を見つめる。瞬はひどく落ち着いている自分の心に気付いた。体の奥に確かな温もりがある。呆然として、消えた煙草をいつまでも灰皿に押し付けた。
 羅依は下男の手を借りて花を抱えると、軽く駆けて寄ってきた。瞬は我に返って、羅依の後ろをついて戻ってきた下男に、礼を言って灰皿を返した。下男は恐縮して無言で下がった。
 央宮は羅依を労い、握手を交わしていた。瞬はそれを無視して、廟へと歩き出した。
「そういえば、瞬。さっきの時間流の話だが」
 呼びかけに、瞬は振り返った。羅依が、すぐ後ろに駆け寄る。央宮は神妙な顔つきで佇んでいた。
「なんだ」
 瞬は羅依の抱える花を見遣った。一人で抱えるには大きかった。
「このままで大丈夫なのか。天水はずっとあり続けることができるのか」
 央宮は死期を宣告された死刑囚のように怯えていた。瞬は今日はじめて彼の本音に触れた気がした。王であるにも関わらず、神ですらない他人に世界を握られた彼が、不憫に思えた。
「努力はする」
 慰めにもならないと思いながら、瞬はそう告げて央宮に背を向けた。出来るなら、央宮にこの重圧を譲りたかった。