THE FATES

3.萌芽(3)

 店内は昼間だというのに薄暗かった。
 男は話を聞きながら天井を見上げた。どの照明にも小さな炎しかない。そのせいか、男は少し前から妙な頭痛に悩まされていた。他の客の喧騒も神経に触った。男は卓に頬杖をついて、向かいに座る制服姿の男に目をやった。彼は書類を見ながら、抑揚のない声で話した。
「ランカースの、例のお屋敷を調べてみました。確かに先代様が建てたものとの証拠がありました。まさか本当に青灰色のお屋敷があるとは、思いもしませんでした。なぜ誰も知らないのか不思議なくらいです。それから帯都(たいと)帝の、その、ご病気のことですが」
「病気ね」
 頬杖をついた男は鼻で笑って視線を逸らした。
「え、えぇ。指示された時間にお声をおかけしたのですが、全く私に気付いていただけませんでした。不破(ふわ)様、あなたの仰った通りです」
「その呼び方はやめてくれ。清里(きよさと)だ」
「あ、はい。申し訳ありません」
「それから、制服は目立つ。今度からは平服にしろ」
「わかりました」
 男は自分の制服を、顎を引いて眺めて頭をかいた。清里は舌打ちして店員を呼び、軽い酒を頼んだ。
「それで、私の話は信用してもらえたかな、利淵(りえん)くん」
 清里は組んだ手の上に顎を乗せ、自信に満ちた笑顔で尋ねた。利淵と呼ばれた制服姿の男は、額に手を当てて重い口を開いた。
「信じる要素ばかりです。正直、驚いています。こんな重大な事実が帝国中枢にあるなんて、思いもしませんでした」
 利淵の骨ばった頬がかすかに痙攣する。清里はそれを見逃さない。すぐさま彼の興奮を読み取り、満足げに見つめた。利淵は気付かずに続ける。
「この国の自由な風土を政治で支えていきたいと思って、官吏になりました。宮殿管理担当になり、初めて帯都帝に拝謁したときの喜びは忘れられません。お言葉に顔を上げると、ひどくやわらかなお顔で私を見てくださった。その帯都帝がまさか……。いや、人間の身に、そんなことが起こるものなんでしょうか」
 賢しく動く黒い目が、書類の上を泳ぐ。清里は運ばれてきた酒に口をつけて、身を乗り出した。
「本来なら君は、こうやって私と話すことも難しかったんだよ」
 囁きに混じる逃れがたい暴力が、利淵の動きを奪った。
「あれはただの玉座に過ぎない。きらびやかで、重厚で。確かに王位の象徴ではあるが、本当に国を動かしているのは、そこに座る者だ」
 頭痛はすでに消えていた。それは軽やかに体を巡る酒のためではなく、体の芯から沸き起こる興奮のためだった。女を抱いているときのように、意識はみるみる冴えた。
「そして君は幸福にも、その玉座に座る者とこうやって顔を付き合わせている」
「は、はい」
 利淵は唾を飲み込むのにも苦労した。目の前に座る男に、初めて会ったときの快活さや親しみやすさは見られなかった。同一人物とは思えない、冷たく獰猛な眼差しと、近寄りがたい余裕があった。
「物事には全て、正しい形というものがある。そうあるべき形が、神によって定められている。だからこそ椅子は椅子であり、酒は酒である。そこに例外はない」
 清里は器を揺らし、氷を鳴らした。涼しげな、か細い声が上がる。耳の奥で、千景(ちかげ)の喘ぎが思い起こされた。手の中の器を彼女の首と錯覚して、渇望から思わず握り締めた。
「人もそうだ。君だって自分の理念に対し正しくあろうと考えたから、官吏になったのだろう。それは素晴らしいことだと思うよ。だが、人は間違える。椅子や酒とは違い、沸き起こる意思がある。見上げる望みがある。逆らいがたい欲がある。結果、人は神に背くのさ。だが、それは一時のことに過ぎない。永久的に神に逆らい続けることなんて出来ない。私は神の理に従って、捻れたこの運命を正しい形に戻そうとしているだけなんだ」
 氷で薄まった酒を飲み干し、清里は椅子に深く凭れた。
「さて。そろそろ君の返事を聞こうか」
「一つ、聞かせてください。なぜ、私なんですか。役職階級の官吏は、私以外にもいます。宮殿で顔の広い貴方なら、そんなことはご存知だとは思いますが」
 手に持っていた書類を静かに置いて、利淵は俯いた。
「もし、ただの頭数合わせだと仰るのであれば、私にはご期待に添うことができません」
 手に力が入り、紙の端がよれる。清里は視線を動かすことなく、それを見つめていた。
「たとえ貴方が正統なのだとしても、帯都帝とともに歩むと誓ってここまでやってきた以上、貴方の望みに従えばそれは謀反と同じに思えるのです」
 声は高くなり、利淵の顔は紅潮した。
 清里は空になった器を指で弄びながら、じっと利淵の指先を観察していた。爪が白い。力が入りすぎている。わざと力んでいるように清里には見えた。
 表情を窺うと、鼻腔が小刻みに震えていた。額からは昂ぶりが汗になって滲んでいた。
 清里は目を(すが)めて、利淵の本心を見定める。
 それは帯都帝への忠誠心という類ではなかった。清里にはそれが手に取るようにわかった。いくら装っても、利淵の弾む心が周囲を舞った。自らを高く売り込むためなら、心にもないことを熱心に語る利淵の無神経さが、清里には愉快で同感できた。
 清里はゆっくりと、歪んだ笑みを浮かべた。利淵の野心が楽しみで仕方なかった。
「だからこそ、君なんだよ」
「え」
 それまでとは違う、妙に気持ちの篭もった言葉に、利淵は間の抜けた声を出した。すぐに咳払いをしてごまかす。
「どういうことですか」
 言い迫ってくる利淵を、清里は再びの冷ややかさでかわす。
「帯都を思う気持ちが誰よりも強いと感じたからだよ。たとえば青竜(せいりゅう)の振る舞いを、君はどう感じた」
「あれは、帯都帝を利用しているだけです。事実、全てが明るみに出て追いやられたではないですか。なぜあれが宮殿に入れたのか不思議です」
 息を吹き返したように、利淵は身を乗り出した。清里は頬杖をついて微笑む。
「青竜に許可を出したのは、つまりは私ということになるんだろうね」
「なぜ、そんな」
「不破として、宮殿に出入りするためだよ。思っていた以上に面倒な男だったのが計算外だった」
 天井の明かりが風に揺れた。昼時が過ぎ、店の扉は引っ切り無しに開いた。
 利淵は感嘆に似たため息を漏らした。
「なんと思慮深い。それでは青竜こそが利用されていたんですね」
「納得してもらえたかな」
「もちろんです」
 力強く利淵は頷いた。
「では、協力してもらえるんだね」
「私などでよろしければ、いくらでもお力添えをさせていただきます」
「頼むよ」
 言い終わらないうちに、清里は店員を呼び止めた。器を掲げて注文し、利淵を横目に見る。
「飲むかい」
「いいえ、私はこれから宮殿に帰りますので」
「そうか。祝杯はまた次の機会だな」
「ありがとうございます」
 利淵は布の鞄に書類を詰め、頭を下げた。
「ところで、具体的には何をすればいいのでしょう」
「今はまだ、動くときではないよ。そうだね、帯都まで上がらない議事録の内容を教えてくれると助かるね」
「わかりました」
「それから、腕のいい投影師(とうえいし)も必要になりそうだ。いざ動くその時には、過去の事実をもって、皆を納得させる必要がある」
「探しておきます。連絡方法は、思念傍受所でよろしいでしょうか」
「ああ、なるべく君の方から呼びかけてくれると助かる。不破には利用権限がないからね」
 新しく運ばれた酒を半分ほど飲み、清里は器を両手で包んだ。じっと手元を見つめる。凹凸のない器の表面を指でこすると、中の酒は身震いした。
 記憶にこだます千景の声が消えない。自分が思うより彼女に寄りかかっていたのだと突きつけられ、清里は苦い青さを噛み潰した。
 動きのない清里を見て、利淵は彼が酔ったかと、腰を上げて様子を窺った。
「清里様」
 呼びかけに、清里は視線を上げた。卓の向こうに訝しげな利淵の顔があった。清里は衝動を抑えきれなかった。
「君は、屋敷まで行ったのか」
 喧騒に消えそうな声は、途切れがちに利淵に届いた。
「屋敷とは、ランカースの別邸ですか」
 利淵の問いに、清里は返事らしい反応を返さなかった。
「確認のために参りました」
「そのときに、人のいる気配はなかったか」
「どうでしたでしょうか」
 意図を汲みきれず、利淵は語尾を曖昧に濁す。
 清里は顔を上げて利淵に掴みかかった。
「どうなんだ、答えろ!」
「い、いいえ。中に入ったわけではありませんが、そんな感じは」
 急変した清里の態度に戸惑い、利淵は中腰のまま首を振った。騒動を察して店員が駆け寄ってきた。
「お客さん、困ります。やるなら外でやってください」
 慣れた手つきで引き剥がされ、清里はばつが悪そうに椅子に戻った。利淵は苦しかったわけではないが、衝撃から息を荒くした。店員は釘を差し、奥へ戻っていく。周りに集まりかけていた他の客も、退屈そうに席へ戻った。
「どうなさったんですか。お屋敷に何があるんですか」
 利淵は制服を正し、喉をさすった。清里は憮然として顔を逸らした。視界の隅に、緩やかに波打つ女の髪がよぎった。
「こんなところで、何してるの」
 人だかりが引いても、女が一人残った。聞き覚えのある声に清里は立ち返り、女を見遣った。
弓菜(ゆみな)、どうして……」
 清里は思わず訛りを忘れて呟いた。