THE FATES

3.萌芽(10)

 瞬は煙草を揉み消した。
「あとは、文字だ」
 上着の内側から、瞬は封筒を取り出した。中身を出して、梅煉に渡す。開いて梅煉は、あ、と零した。
「懐かしい言葉遣いだねぇ」
 詩桜が覗き込むので、梅煉は数枚の紙を傾けた。
「何これ。古臭いし、変な表記ね」
「龍羅飛が使ってた言葉だ。方言と言えばわかりやすいか。天水の言葉とも少し違うし、アミティスでの言葉とも違う。この中でこれを全部読めるのは、俺と梅煉くらいだろう」
「あたしも、あんたたちと出会わなければ読めないけどね」
「俺にも見せて」
 由稀は歩み寄って紙を受け取った。細かい字で、びっしりと書き連ねられていた。由稀には見覚えのある筆跡だった。
「これって、もしかして」
 すぐ横にいる瞬を見る。瞬は静かに頷いた。
「青竜が書いたものか」
「おそらく、その筆跡を見る限り間違いないだろう」
「どういうことだよ」
 紙のざらついた手触りが、由稀の心を逆撫でた。どこか知らない荒野に放り出された気分になった。
 瞬の手が伸びて、紙が抜き取られた。
「気になるだろう」
 目を細めて、瞬は上機嫌に笑った。由稀は口を開けて頷いた。
「しかもなんか、すげぇ腹立つ。一体いつ見つけたんだよ、これ。ていうか、いつから竜族と龍羅飛の関係とか考えてたんだよ」
「いつからかな。青竜が紅を守護人だとか言い出した頃からかな」
「かなり前じゃねぇか。なんでお前はそう、水臭いんだ」
「由稀に話したところで進展はないだろう」
「正論! 正論すぎて腹立つ」
 由稀は長卓に両手をついて地団駄を踏んだ。すぐに勢いよく顔を上げて、瞬を睨みつけた。
「どうする。調べるんだろ」
「そのつもりだが、直接あいつらと繋がるかどうか。むしろこれを調べたところで自己満足に終わる可能性は高いが?」
 瞬の笑みは崩れない。彼の美しさは、世界の存在より絶対的で普遍的なものだった。由稀は瞬の期待に沿って得意げな笑みを浮かべた。
「やってみなきゃ、わかんないだろ」
 後ろを振り返って、羅依と紅を指差す。
「二人も、そう思うだろ」
 眉を上げて由稀が笑うと、羅依は肩を竦めた。
「お前がそう言うなら、いいよ」
「おい、紅。お前は」
 紅は天井を見上げて煙草を吸っていた。視線だけを由稀に向ける。
「別に。何でもいいよ」
「よし、決まりだ!」
「元気だねぇ」
 梅煉は微笑ましく由稀を眺めた。
「そうとなったら、瞬。俺、龍羅飛に行ってみたい」
「は」
 封筒に紙を入れ直していた瞬は、逸る由稀を呆然と見上げた。
「お前は本当に何でも衝動的だなぁ」
「いいじゃねぇか。見てみたいんだよ、竜族に繋がってるかもしれない所、知りたいんだ」
 由稀の心は、手当たり次第に竜族のことを調べていた頃の興奮で沸き立っていた。過敏になり沈みがちだった好奇心が、体から突き出そうだった。
 淀みのない漆黒の瞳で迫られ、瞬は思わず体を引いた。
「わ、わかった。落ち着け」
「落ち着いたら行くんだな」
「そうじゃなくてだな。一応、龍羅飛跡の周辺に二人がいた気配があるんだ。第一の目的は青竜と久暉を拘束でもして話をすることだろう」
 瞬は由稀を手で制して諭した。由稀の後ろで詩桜がくすくすと笑った。
「そうだ詩桜。あんたも行ってきなよ。一度も行ったことないだろう」
「え、でもお店が」
「そんなの、かまやしないよ。お客に皿を取りに来さしたらいいんだから」
「無茶苦茶だな」
 紅の呟きは、梅煉までは届かなかった。
 梅煉は手を伸ばして、詩桜の前掛けの結び目を解いて剥ぎ取った。
(えん)と瞬が育った所だ。きちんと挨拶してきなさい」
「うん、わかった」
 詩桜の頬が淡く染まる。由稀にはそれが灯火のせいではないことが、近くで見ていてよくわかった。つられて由稀も詩桜を真似て笑った。
 梅詩亭(ばいしてい)の鈴が鳴る。紅、由稀、詩桜が店を出て、羅依もそれに続いた。しかし瞬の気配がないことに気付き、店の奥を振り返る。彼と話をする梅煉の表情が、俄かに曇った。話し声は届かない。羅依は店を出て、階段の下で彼を待った。

 背後で鈴が鳴るのを耳にして、瞬は椅子から立った。
「いい子たちだね」
「梅煉、確かめたいことがあるんだが」
 瞬の前にあった灰皿を取り、梅煉は顔を上げた。思いのほか真剣な彼の表情に、眉をひそめた。
「何だい」
「兄貴は……、兄貴は自殺だったんだよな」
 思いつめた口振りに、梅煉はすぐに答えられなかった。
「確かに、そうだったのか」
「あ、あたしはその場にいたわけじゃないけど、染芙(せんふ)からは確かにそう聞いたよ」
「そうか」
 寂しさが漂うほどの小さな返事をして、瞬は椅子にかけてあった上着に袖を通した。卓上の煙草と火付け具を掴み取る。
「だったら、いいんだ」
「どうしたんだい。何かあったのかい」
「いや、少し気になってただけなんだ。ありがとう、梅煉」
 瞬は力なく笑って、軽く手をあげた。
「行ってくる。夜には詩桜を帰らせるよ」
「ああ。気をつけて行ってくるんだよ」
 梅煉の中に芽生えた不安は、徐々に膨らんだ。
「瞬」
 背を向けた瞬を呼び止める。彼は素直に振り返る。梅煉はかける言葉に悩み、何度も唾を飲んだ。
「梅煉?」
「あの、詩桜をよろしく頼むよ。あの子はまだ能力が目覚めてないから、不安定なところもあるんだ」
「わかった。気をつけるよ」
 言いたいことが言えないまま、梅煉は立ち去る瞬に手を振った。
「気をつけるんだよ」
 扉は、鈴のささやかな響きと共に閉ざされていく。瞬の姿は遮られた。
「――あの女は、まだ生きてるんだから」

 店を出たすぐのところで、羅依が待っていた。瞬は後ろ手に扉を閉めて、持ったままの煙草を上着の内側に仕舞った。
 階段の上から賑やかな声が聞こえた。先ほどの由稀の勢いを思い出し、瞬は愛を込めて鼻で笑った。
「行こうか」
 羅依を促して、先に階段に足をかける。しかし彼女がついてくる気配はなかった。怪訝に思って振り返る。
「どうかしたのか」
 数段降りて、そばに立つ。顔を覗き込もうとしたら、見越していたように羅依が顔を上げた。少女の香りが瞬を刺した。眩む。
「お前は大丈夫なのか」
「何がだ」
「つらくないのか。龍羅飛、跡って。跡ってことは、相当」
 その続きを、羅依は俯いてごまかした。瞬は彼女のいじらしさに奥歯を噛んだ。軽く彼女の頭を撫でた。
「平気だ。何度も行っている。それに――」
 瞬は仕舞ったばかりの煙草を取り出し、火をつけた。甘い香りが少女の芳香を殺す。
「一人じゃない」
 煙を残して、瞬は先に階段を上がる。背後に羅依の足取りを感じ取り、暗い世界を抜け出した。