THE FATES

3.萌芽(12)

 彌夕はすれ違いざまに周防と二言三言交わし、高台を下りていった。比古は彼女の燃えるような赤い髪が見えなくなるまで、静かに見送った。隣に周防が立つ気配があった。
「俺はどうやら、年下から物を教わる運命にあるらしい」
 比古は苦笑した。周防が振り返るが、彌夕の姿はもう見えなかった。
「あれは特殊だ。育て親が青竜なんだからな」
「それもそうか」
 そう言って、比古はまた笑った。頭に外套を被り直し、森から出る。廃墟の周りには、よく見ると人の姿がいくつかあった。
「どんな様子だ」
 背後に周防がついてきたのを感じ取って、比古は問うた。周防は凍えそうな眼差しで廃墟を見下ろした。
「何もかも木っ端微塵だ。再び使えるものが無いに等しい。まずは資材の確保だな」
「そうか」
「俺たちは思っていたより完璧に、竜族を消していたみたいだな」
 周防は口元だけで笑う。比古には弟の心が手に取るようにわかった。
「お前は、後悔していないか」
 比古は背の高い弟を見上げた。周防は無表情に見返した。
「何をだ」
久暉(ひさき)についてきたことだ。決めたのは俺だったからな。あの時、お前は何も言わずに俺と家を出た」
「出ただけじゃない。ぶっ壊しもしたぞ」
 周防は口元だけでにやりと笑った。比古は悲しく微笑んだ。
「でもまさか、こんな罪まで犯すなんて考えてなかっただろう」
 思わず周防の頬に動揺が走った。兄に見られまいと顔を逸らす。尖り気味の顎を撫でた。喉を競り上がってくる感情はあっても、周防にはそれを言葉にする術はなかった。
 見越して、比古は続けた。
「俺たちに信心がないとは言っても、ここに立つと瓦礫のそれぞれが人の顔に見えて仕方ない。ただただ申し訳ない気持ちになる。正直、長居はしたくない」
 小石の砕ける音がして振り向くと、小さな獣が森から姿を出していた。比古の赤い視線に気付いてすぐに緑の中へ引き返した。この土地を壊した罪人と非難されたようだった。
「青竜は、どうしてこんなに、罪深いことをしたんだろうか」
 呟くように比古は言った。周防からでは外套が邪魔をして、比古の表情は窺えなかった。辛うじて覗く薄い唇に、周防は比古の懊悩を見た。風は血潮を煽りながら吹き抜けていく。周防は黙して先を促した。
 比古は手を翳して空を見上げた。
「ずっと、考えていたんだ。久暉の傷を癒す方法が、唯一だったと仮定しよう。それに由稀(ゆうき)が必要だったとするのも仕方ないとする。だが、どうして文明を一つ壊してまで、多くの子供を騙してまで、一国の王に協力を求めてまで、あんな伝説をでっちあげなきゃならなかった。斎園(さいえん)の存在を明かして、俺たちの主張を話して、それに賛同してもらう形じゃいけなかったのか。由稀にも最初から久暉のことを教えておけば良かったんだ。きっとあいつならそれを受け入れられたはずだ」
 手は逆光で黒く塗り潰された。直に光の当たる肌がひりついた。比古はその痛みに耐え、唇を噛む。本当に痛いのは、肌ではなかった。
「久暉の絶望的な姿を見て、俺は塞ぎこむことしか出来なかったのに」
 指の間から見える青空に久暉を見る。しかし脳裏に浮かべる顔は曖昧で、由稀にも見えた。思えば長い間、久暉が動く姿を見ていなかった。
 久暉を担いで戻ってきた青竜は、見たことがないほど蒼白だった。だがいつも以上に冷静でもあった。比古は彼の神経と久暉への忠信を疑いもした。今ならそれが青竜なりの精一杯だったとわかる。
「そんな時でもあいつは」
 比古は赤みを帯びた手を引っ込めて俯いた。
「青竜は、久暉を救うことと久暉の夢を叶えることしか考えていなかった。三日三晩かけて術を施し、十日かけて伝説を捏造した。化け物だよ」
 打ち明けられた物語を聞いたとき、比古は正直負けたと思った。久暉が青竜を巻き込んだ理由がわかった気がした。危機的状況において策を練り出せることは、何よりの救いになったのだった。物語の内容は、関係なかった。
「化け物か」
 周防は鼻で笑った。
「本当のところはどうかわからんがな。俺にはこの破壊の原因が、青竜の若さにあるように思える」
 整えられた髪は、すでに風に乱れていた。彫りの深い顔立ちがやや幼く映った。
「竜族は、青竜の青さに殺された。久暉とか斎園とか俺たちは、おそらく関係ないだろう」
「青さ……」
 比古は当時の青竜を思い出すが、落ち着き払った青竜にはおよそ似合わない言葉に思えた。
「前に彌夕から聞いたんだが、由稀の母親は青竜の想い人だったそうだ。斎園に来たのも竜王と揉めたからだろう。みんなまだ二十歳そこそこだったからな。人の青さに気付く余裕なんてなかった」
 鋭く無機質な周防の眼差しに、沁みのように柔らかさがよぎる。
「あの頃は、自分を随分大人だと思ったもんだ。子供じゃないとか老けたとか。でもそうやって言い合ううちは、まだ青いんだろう。今では歳なんて全く気にならない。俺は兄さんの一つ下。それで充分だ」
 周防はからからと笑った。
「じゃあ、伝説のでっちあげはどうなる」
「懺悔かもしれない」
 すぐに笑いを納めて、周防はさらりと言った。視線の先には、瓦礫のそばで珪月(けいげつ)を弾く彌夕の姿があった。音色は風に奪われて届かない。
「は、懺悔だと。こんなに大勢の人を振り回して懺悔か」
 比古は大仰に腕を広げて言い捨てた。だがその口振りに勢いはなかった。比古にも、周防の言わんとしていることがぼんやりと理解できた。力を抜いて、腕を落とす。
「あいつは、わざと犠牲を作ったのか」
「自分の決意が揺らがないように。心が折れてしまわないように。青竜は帰る場所を自らの手で奪った。背負うことを決めたんだ。その証拠に、覚えてるか兄さん。最初の計画に竜族の焼き討ちはなかった」
「覚えてるよ。でもそんなものは、人の命を奪っていい理由にはならない」
「だから、自分を戒め、個人の望みを捨てて久暉の駒になり、自分の身を削ってでも術の成功と斎園のために動いてきた。切り捨てたものに対する、せめてもの償いと」
「傲慢すぎる」
「仕方ない。そうとしか生きられない男だ」
 強い風を嫌って、周防は軽く目を伏せた。
「俺たちも、似たようなことをしてきている」
 弟の自虐に、比古は返す言葉を持たなかった。
「革命を謳って、どれだけの人を殺してきた。同じ穴の狢さ。それがこの道を選んだ俺たちの業だ」
 周防は真摯な面持ちで静かに言った。比古は弟の背中を軽く叩いた。
「お前は本当に、いつの間にか人を見ている」
「兄さんが疎いだけだ。俺は普通だ」
「まさか。普通の男が、梗河(こうが)屋に潜り込んで総長なんて、無理だね」
 比古は払うように手を振った。周防は喉の奥で笑った。
 風の隙間に珪月の哀しい響きがあった。見下ろすと、彌夕がこちらを見上げた。遠目ではわからないが、比古には彼女が笑ったように映った。
 歩きかけた周防が不意に立ち止まった。
「そういえば、梗河屋の船に玲妥(れいだ)が乗ったそうだ」
「船に」
 彌夕に手を振って、比古は周防に追いついた。緩やかな下りを歩く。
「どうしてまた」
 そこまで言って、思い当たることがあった。
「ラルマテアまで帰る気か。まさか一人か」
「どうやらそのつもりらしい。一応、紫月(しづき)がついているが」
 周防は言葉の先を濁した。比古にもそうしたくなる気持ちがよくわかった。
「紫月か。いてもいなくても同じだな」
「夜盗にでも襲われたら終わりだ」
「どうして乗せた。乗せなかったら諦めたかもしれないのに」
「そう言われてもな。なにせ俺は今、休暇中ということになってる。当然、乗船の報告は遅れる」
「まったく使えないな」
「そう言うな。俺の留守中は貨物のみと指示していた。まさか人が乗るとは」
 珍しい周防の言い訳に、比古は眉を顰めた。
「なんだそれは」
亜須久(あすく)さ。あいつが手を回したみたいだ」
「まさか」
 比古は思わず立ち止まった。周防は少し先で振り返る。
「かわいい子には旅をさせろということだろう」
「させすぎだ」
 大股で周防まで追いつき、追い抜く。道は曲がりながら廃墟へと続いていた。煉瓦の破片が爪先に弾かれる。跳ねて転がり落ちていく。
 比古は小さく痛む手を、外套から出して見つめた。光に負けて赤く染まった肌は、今、生きている証だった。