THE FATES

4.鏡面(13)

 強い風が吹く龍羅飛(りゅうらひ)跡で、少女が一人泣いていた。由稀(ゆうき)は彼女の心をどうしても癒したくて、駆け寄って抱き締めた。腕の中の少女は小さく、体は綿のようにやわらかい。あまりにも泣きじゃくるので大丈夫と言おうとするが、うまく声にならない。やがて少女は泣きやみ、顔を上げる。だがアシリカのような南国の日差しに、目が眩んだ。少女の髪が首筋に触れる。花の香りが舞う。由稀は汗ばむ体に彼女の吐息を感じた。背中が震えた。少女は由稀の頬に顔を寄せ、舌で肌を舐めあげる。ややざらついた少女の舌は、別の生き物のように自在に動き、体温よりも高い熱が由稀を戸惑わせた。
「だ、駄目だって。こんな……」
 自分の声に驚いて、由稀は目を開けた。目の前には、舌を出した真小太(まこた)がいた。尾を振って、一声吠える。由稀は長椅子に寝たままうな垂れた。
「なに、この夢落ち」
 腕に抱きこんだ毛布の感触は、夢の中の少女そのものだった。
「異様に切ないんですけど……」
 呟いて今一度夢を思い返し、少女の面影が詩桜(しおう)と似ていたことに気付く。由稀は真小太の頭を撫で、天井を見上げた。中二階の窓から空が見える。それは詩桜の瞳と同じ、灰色をしていた。
「おい、早くしろよ羅依(らい)。俺すっげぇ喉渇いてるんですけど」
 背後から聞こえた声に振り返ると、(こう)が閉じた扉に凭れかかっていた。由稀は長椅子の背もたれに寄りかかって起きた。
「何してんの」
「羅依がなかなか出てこねぇんだよ。ただ水飲むだけだってのにさ」
「そのくらい待ってやれよ。着替えてるんだろ」
「たかが着替えが長い。だから女は面倒なんだよ。つーか、お前さっき何か言ってなかった」
「え」
 由稀はとっさに夢を思い出し、言葉に詰まった。
「あ、いや、別に」
「まぁ、何でもいいけど」
 喉の渇きに急かされて、紅はすぐ由稀に興味を失った。
「とりあえず開けろよ。お前の裸になんて全く一切これっぽっちも興味ないんだから、わざわざ見ないよ。おい、羅依。聞いてんのかよ」
 中からの返答がないので、紅は扉を蹴った。しかし扉が開き、三発目は不発に終わる。目標を見失った紅の足は、厨に勢いよく突っ込んだ。
「うわっ」
 たたらを踏んで持ちこたえる。紅が顔を上げると、すぐそばに羅依の顔があった。
「聞こえてるよ。そんなにかかってないだろ」
「うるせぇ。俺は欲しいと思ったら、すぐに欲しいんだよ」
「わがまま。そんなとこだけ王子気質だな」
 羅依は着替えた服を抱えて、真小太のそばに寄る。真小太はすっと立ち上がって、羅依の足元に擦り寄った。由稀と目が合う。
「おはよう」
「おう、おはよう」
「珍しいな、お前が遅いなんて」
「うん、なんか夢見が悪いっていうか、おかしくて」
 由稀は椅子の上に座り直し、頭を掻いた。
「どんな夢見たのか知らないけど、お前の髪も相当おかしなことになってるよ」
 羅依は由稀の寝癖を摘まんで笑う。真小太が短く吠えた。
「ご飯、梅煉(ばいれん)さんのとこ行くだろ」
「あ、あぁ」
 口の中で曖昧な返事を返し、由稀は毛布を抱き締めた。夢が頭から離れない。追い出そうと額を何度か小突いてみるが、寝起きの頭は茫漠としていて効果はなかった。
「向こうにも、聞いてきて」
 羅依は(しゅん)の寝室を指差して、儚げに微笑んだ。抱えていた服を片手に持ちかえ、梯子をのぼっていく。
「自分で行きゃいいのに」
 一方的な羅依に呆れつつ、由稀は部屋の前に立った。
「おい、瞬。起きてるかー」
 声をかけるだけでは足りないと感じ、扉を叩く。普段ならすぐに瞬が出てくるはずが、いつまで経ってもその気配がない。
「いつまで寝てんだよ」
 勢いで扉の取っ手を回すと、扉は簡単に押し開いた。初めて見る瞬の寝室は、光がなく薄暗かった。
「おーい」
 目の前には天井までの本棚が聳えていた。これが光を遮っている。本は乱雑に押し込まれ、上下逆さのままや、横積みになっているものもあった。どれもよく読みこまれているのがすぐにわかった。
 左から光が滲んでいた。由稀は本棚に伸ばしていた手を引いて、そちらへ歩み寄る。
「勝手に入るとは、いい度胸だな」
 本棚の陰から、上着に袖を通しながら瞬が姿を現した。露わになった腹や胸には、無数の傷跡があった。
「だって、なかなか出てこねぇし」
「今日はまた随分、激しい寝癖で」
 瞬は軽く吹き出して、由稀の髪を荒く乱した。由稀は両手で瞬の手を払って部屋から出た。
「お前、めしは」
 皆が触る寝癖を由稀は掌で押さえる。しかし手を放すと、すぐにまた立った。瞬はそれを見てにやにやと笑い、腕を組んで壁に凭れた。
「お前たちだけで行ってこい。俺はいい」
「そんなことばっかり言って。俺、最近お前がめし食ってるの見たことないけど。体動くくらいには食ってるわけ」
「ある程度は」
 瞬は意図的な整った笑顔を見せ、話を打ち切ろうとする。由稀は強引な瞬のやり方に身を引いた。
「ま、いいけどさ。お前の体だし」
「梅煉によろしく」
 煙草を咥えて手を振る瞬は、妙に上機嫌に映った。由稀は着ている服を脱ぐだけ脱いで、新しい服に袖を通した。
「ばか由稀! そんなとこで、マッパになってんじゃねぇよ!」
 由稀の頭に、枕が飛んだ。