THE FATES

4.鏡面(14)

 外へ出ると、紅は無言でスウィッグに跨った。
「なんでお前一人だけ楽するんだよ」
 由稀はスウィッグの後部に足をかけ、紅の服を引っ張った。紅は無視をして手袋を両手に嵌めていた。
「三人は乗れないんだからさ。抜け駆けは無しだろ」
「お前ら、先に行っといて。俺、寄りたいとこあるんだ」
 鍵を回して、画面に触れる。握りの感触を確かめて捻ると、スウィッグは高音で唸りをあげた。機体が地面から浮き上がる。紅は眼鏡をかけて、上着の前を閉めた。
「じゃあ」
 周囲の様子を確認し、紅は走り去った。スウィッグの巻き上げた砂が、紅の軌跡に舞った。
「なんだ、あいつ」
 朝の絆景(ばんけい)は静かで、そこかしこに夜の残り香が染み付いていた。見張られているような、ぴたりとくっついて離れない視線にもようやく慣れた。天水(てんすい)へ来て何日経ったのか数えていなかったが、由稀はこの街にすんなり馴染んだ自分に驚いていた。
「なぁ、羅依」
「なに」
 羅依の靴音が、生温い街に反発するように響く。
「お前、瞬とはどうなってんの」
「は」
「あいつのそばにいる覚悟、出来たのかよ」
「何の話だよ」
「前に、怖いって言ってただろ。あいつのこと知るのが」
 振り返ると、羅依との距離があいていた。俯きがちな彼女の、前髪から覗く淡紫色の瞳には、諦めに似た脱力があった。
「あたし、瞬のこと何も知らないよ。相変わらず」
「そんなことないだろ。俺なんかよりずっと」
「違うよ。もしかしたら由稀より知らないかもしれない。だって、瞬は何も見せてくれないもん。あたしに色んなこと隠すんだ。それじゃ、わからない。何も」
「羅依」
 無理をして顔を上げた羅依は、女の顔をしていた。由稀には羅依の言っていることが信じられなかった。由稀から見れば、羅依は誰よりも瞬に大事にされているように映る。羅依はそれに気付いていないのか、気付いていても認めたくないのか。どちらにせよ、由稀の目に瞬の心は明らかだった。簡単に心を見せない瞬だからこそ、時折ちらつく無意識が確からしく感じられた。
「お前、見てねぇよ。瞬のこと」
 まるで自分のことのように悲しかった。由稀は足を速めた。路地を抜けて、絆景の表通りに出る。作られた輝きを失った街は、色がなく簡素すぎるほどだった。まばらな人影はどれも客には見えない。店の表に出された看板が、役目を終えて下げられていく。朝日に晒された街は周りに溶け込んだ。並は特別と欺き、特別は並を装う。
「いいな、由稀は」
「え」
「あたしも瞬と普通に話がしたい」
 並は特別に憧れ、特別は並を求める。由稀はその覆しがたい欲求に、虚しさを募らせた。羅依の涼しげな顔立ちは、彼女を一層孤独に見せた。
「振り回されたくないって心に決めながら、いざ瞬と話すと、もうどうなってもいいと思う。振り回されたいって思う。そして振り回される。心が捩れて、何も判断が出来なくなる。理不尽。あたしだけ、損してるよね」
「そうかな」
 由稀は羅依の肩に手を回し、頭を撫でた。
「俺は瞬の前ではお前にこういうこと出来ないよ、怖くて。睨まれるの嫌だし」
「何それ」
「あいつはあいつで、お前に振り回されてるよ。あいつも知らないうちに」
「まさか」
 羅依は疑り深く、失笑に似たため息をこぼした。
「嘘じゃねぇし。俺、びしびし感じるよ、瞬の視線。大体さ、俺らのこの友情さえ嫉妬するなんて、大人げないよなぁ」
 おどけた調子で言うと、羅依は声を上げて笑った。
「友達が羨ましいのかもな」
「あー、それもありそう。だってあいつ我儘だし、絶対友達少ないよ。きっと凍馬(とうま)さんくらいだぜ」
「それ言ったら、紅も少なそう」
「なんだかんだ言って、親子だよな。似てるよな」
「あいつの前でそれ言ったら、由稀絶対ボコだよ」
 羅依の表情に、血が通う。由稀は満足げに頷いた。
「ようやく認めるようになったんだな。瞬のことが好きだって」
「ち、ちがう。これは」
 羅依は慌てて首を振って、由稀の腕から逃れようとする。
「はっはっは。いいって、隠さなくても。もうみんな知ってるし」
「前から言ってるだろ。好きとか嫌いとか、そういうのとは違うって。気になるだけだって」
「だからー、それが好きってことなんだってば」
「お前しつこい。ちが……あれ」
「ん」
 羅依が突然立ち止まるので、由稀もやむなく止まった。羅依の視線の先を追って、絆景の通りを見る。乾いた街には不釣合いな少女の後ろ姿があった。
「あれって、詩桜じゃない」
「し、詩桜?」
 今朝の夢を思い出し、由稀は耳まで真っ赤にした。羅依が不審げに見上げる。
「熱でもあるのか、由稀」
「い、いや。せっかくだし声かけよっか」
 由稀は羅依の手を引いて、詩桜の元まで駆け寄った。
「詩桜、おはよう」
「あ、おはよ」
 振り返った詩桜は、体の前に籠を抱えていた。やや白みが強い朝の光は、詩桜の肌を透けて見せる。見上げる角度が、夢の中の少女と寸分違わなかった。
「こんな所で、何してんだよ」
「お皿の回収。朝のうちに済ませないと、みんな帰っちゃうでしょ」
「持ってやるよ」
 詩桜の腕から籠を取る。
「ありがとう。今からうちに来るんでしょ。ねぇ、瞬は?」
 睨み付けるように由稀を見上げて詩桜は言った。怒っているように見えて、実はそうではないことを、由稀は既に知っていた。紅にも同じような癖がある。
「なんか、いらないみたい」
「じゃあ、しょうがないね。ていうか」
 詩桜は由稀の頭を見て笑った。
「直すとか、そういう発想ないんだ」
「あ、いや、これは」
 寝癖を隠したかったが、両手が塞がっていた。詩桜はくすくすと声を潜めて笑った。その素直な表情が嬉しくなって、由稀は恥ずかしさを堪えた。
「ほら、いつまでも笑ってんなよ。あとどこ回るんだよ」
「あ、うん。えっとね」
 詩桜が広げた紙を由稀と羅依も覗き込む。
「もう一軒だけだね」
「さっさと済ませて帰ろっか」
 勢いよく振り返った詩桜だったが、人とぶつかりよろけた。こけそうになるのを、横から羅依が支えた。
「大丈夫、詩桜」
「うん、ありがとう。ちょっと、ちゃんと前見て歩き……」
 詩桜はぶつかった相手を見上げて、声を失った。目の前には体の大きな男が立ちはだかっていた。
「あ、あんた、絆清会の!」
 男が眉を寄せて詩桜と由稀を見下ろす。
「お前らは、この前の」
 男の背後から鈍い音がした。眼鏡をかけた男が飛び出してくる。
「おい十和(とわ)! 急に止まるな!」
「お。おう、すまん。しかし、こいつらが」
 十和が指差すのを見て、愈良(ゆら)はようやく由稀らの存在に気付き、大声をあげた。
「小僧、貴様!」
「あ、あぁ! あんたこないだの奴か」
 そこにいたのは、詩桜と初めて会ったときに、彼女と揉めていた男たちだった。