THE FATES

4.鏡面(15)

 由稀らが食事に出かけるのを見送って、瞬は自室に戻った。部屋には本棚と寝台しかない。無駄に広い部屋の奥の壁は一面が窓になっていた。瞬は寝台に腰かけて、景色を眺めた。灰色の空は、緩やかに流れていた。
 本を棚に戻す音がした。瞬は振り返らない。
「意外と、几帳面さに欠けるよね」
 男の声だった。
「そうか。男の一人暮らしにしては片付いている方だと思うが」
 濁った白の石床は、音がよく響く。背後から近付く足音があった。音は鈍く、布靴のようだった。
「相変わらず、自虐的な眺めだなぁ。いい趣味だよ」
 窓まで歩み寄って、呆れてため息をつく。男の黒い髪が揺れ、頭や髪に巻きつけた色とりどりの綾紐が肩を撫でた。瞬は男の背中を鋭く睨みつける。
「何しに来た、凍馬」
 低く吐き出された瞬の声に、凍馬は笑顔で振り返る。
「あれ。お前が会いたがってるんじゃないかと思って来たんだけど。違ってたかな」
 表情の渦の中に光が飲み込まれ、微笑みが闇を帯びる。
「探してただろう、俺のこと」
「そうだな。まさかこんなに早く会えるとは、思いもしなかったよ」
「どうだ、久しぶりの天水は。お前が生殺しにした世界は」
 凍馬は窓を指で小突き、首を傾げた。瞬は刹那の凍馬の油断を突いて、部屋中に力を張り巡らせた。壁も床も天上も寝台も、全てが青白く光る。細い稲光は、繊細に震え、昆虫のように蠢いた。
「荒っぽいなぁ。ちょっと聞いてみただけなのに」
青竜(せいりゅう)を出せ。あの二人をどこへ隠した。いや、どうやって隠し続けているんだ」
 瞬は寝台に腰かけたまま動かなかった。動けば凍馬の仕掛けた罠にかかり、一瞬で体が千切れ飛ぶ。
琉霞(るか)も巻き込んだのか」
「お前に姉さんを心配する権利はないよ」
「まさかその体で匿えると思っているのか。この俺から。この天水で」
「いいね。すごい自信だね。俺はお前のそういうところ大好きだよ」
 凍馬は目を細めて笑った。瞬には彼の本意が掴みきれない。未知は恐れにも畏れにもなる。手に持っている煙草が、ひとりでに灰と化す。
「ねぇ、瞬。どこから入ったとか、そういうことは気にならないの」
「死んでなお生きる相手に、そんなことを聞いても詮無い」
「余裕だね」
 視線を窓の景色に向けて、凍馬は小さく呟いた。その横顔には、怒りの成れの果てが棲みついていた。
「お前に敵対する意志はないんだけどね、どうしてもお前の困った顔が見たかったんだ」
「なんだ、それは」
「何だろうね。俺にもよくわかんないよ。気付いたらあの二人を連れ帰ってた」
 瞬には凍馬を深く詮索する必要がなくなった。闇雲に探さなくとも、ここから立ち去る凍馬の行方を追跡すれば青竜にたどり着く。もし目の前にいる凍馬が作り物なら、そもそもこの部屋に侵入することは不可能だった。瞬は凍馬の侵入をわざと見逃していた。更に、昨夜のうちから、瞬の探査範囲を凍馬の影がよぎっていた。瞬が見ていると知りながら。
「何が目的だ」
「ねぇ、瞬。俺はこの体になってから、唯一つのことしか願っていないよ」
 悠然と腕を広げ、凍馬ははぐれた稲光を掴んだ。行き場を失った青白い光は凍馬の中でもがき、徐々に姿を消していった。
久暉(ひさき)にかけられた術を見たかい。あれはとんでもない治癒系術だよ」
「あいつは由稀の中に押し込められていた魂の持ち主だ。神殿で見た限りでは、まだ無理があったが」
「それが、徐々に繋ぎ目がきれいになってきてるんだよ。進化してる。螺旋階段をのぼるように、毎日高みにのぼっているんだよ、彼の術は」
 凍馬の眼差しから笑みが消える。
「俺はあれがほしい。あの術を姉さんに捧げたい」
「凍馬」
「茜さんを喪ったお前になら、理解してもらえると思って来たんだよ。わかってくれるだろ、瞬。俺はあの術の真相を知るまで、二人を手放す気はない」
 瞬には凍馬の気持ちが痛いほど理解できた。凍馬と琉霞の傷の責任を感じもしていた。凍馬に譲ることは、心には反しなかった。
 だが、瞬の未来が許さなかった。
「お前の気持ちは理解できるよ、凍馬。でも俺は、引き下がるわけにはいかない」
「どうして。お前こそアミティスとは関係ないだろう」
「そうだな。でももう決めたんだよ。最後までこれに関わるってな」
 瞬は服の中にある金属の感触を意識で愛でた。歪んだ鍵は、瞬を奮い立たせる。
「それを妨げる権利はお前にはないはずだ、凍馬」
 部屋を青白く飾る光は脈打ち、石床から染みる冷気は視界の塵を飲み込んだ。二つの異なる熱は、絡まり、渦を巻き、螺旋状に踊りながら、反撥を繰り返して飛び散った。
 瞬の深緑の瞳は、美を滴らせてしなった。

4章:鏡面・終