THE FATES

5.無垢(2)

 瞬の力は、乱れながら凍馬に襲い掛かる。青白い光が炎に絡みつく。二人は《気波動》によって結ばれた。互いが互いに溶け出していく。灼熱が瞬の意識へと流れ込んだ。
 熱い。体の芯が凍ったかと思うほどに、熱かった。
 動揺が瞬の力を弱らせる。凍馬はそれを見逃さなかった。炎が勢いを増し、青い閃光は動きをとめた。瞬は息を呑んだ。力が掻き消されていく。打ち上げられた魚のように、閃光が足元でもがく。炎は全ての《気波動》を焼き尽くして、一層輝いた。
「お前の力はこんなものじゃないだろう」
 凍馬は表情のない眼差しで瞬を見つめる。瞬は返す言葉を失った。
「らしくないね、瞬。遠慮したのか。もしかして俺を傷つけたくなかった?」
「それは」
 瞬は視線に耐えられず目を逸らした。背中に冷たい汗が流れた。凍馬は目を細めて瞬の心を見透かしていく。
「いじらしいね」
 凍馬は炎を払いのけた。
「あの時は全力で俺を殺したくせに」
「やめ――」
 言い淀んだ隙に、凍馬の《気波動》が瞬を結界ごと包み込む。網の目のように整然とし、少年のような刺々しさを持ち、今にも発狂しそうな激情を抱えた、寂しげで冷たい《気波動》だった。触れ合ったところから、結界がみるみる干からびていく。
 瞬は抗うことにも疲れ、虚ろになった。
「これが俺の気持ち」
 凍馬は悪びれる様子もなく、確実に瞬を追い詰めていく。
 結界にひびが入る。亀裂からは凍馬の力が沁みた。瞬の体を覆う青い閃光が、見えない力に断たれていく。鎧が剥がされていく。
 瞬は自分に何が足りないかを考えていた。凍馬の思考を読むための情報か、友人であろうとも全力で戦う覚悟か、過去を突きつけられても揺るがない精神か。どれを補っても彼の激情には追いつけそうになかった。
「闇だよ」
 硝子が割れるように、結界は粉々に砕け散った。破片は金色の砂になり、床に落ちて消えた。
「ねぇ瞬。お前は考えもしないんだろうね」
 すぐ近くで凍馬の囁く声がした。顔を上げると、すぐ正面に凍馬が立っていた。瞬の細い顎を強く掴んで、深緑の瞳を覗き込む。
「俺がお前を疎んでるなんてことはさ」
「え……」
 瞬には最初、理解ができなかった。だがすぐに、それは自分が信じたくないからだと悟る。周到に隠されてきた闇は、あまりにも鮮烈で、輪郭を掴もうにも手がかりの一つすら見せなかった。
「どう、いうことだ。凍馬」
「どうって」
 上品に笑うと、凍馬は瞬に顔を近づけた。鼻先が触れ合う。
「じゃあ、思ってるとおりにしてもいい?」
 吐息の欠片が唇を舐める。二人の額が重なり合った。目を逸らす余地はない。冴え冴えとした麦色の瞳は流砂のようだった。知らぬ間に足を取られ、体の自由を奪われる。逃げる先すら攫われていく。強引に踏み込んでくる。瞬は寝台に後ろ手をついた。
「と、とうま……」
 瞬の声は戸惑いに震えていた。たった一人の友人の心すら、瞬にはまるでわからなかった。長い時を過ごしてきたのに、何も知らない。笑顔の向こうなど、考えたことがなかった。まして闇など。ひどく不気味で恐怖ではあったが、どうしても拒むことは出来なかった。知りたいと思う気持ちが、罪なほど深かった。
 凍馬は瞬に跨り、感情の見えない瞳で見下ろした。黒髪に結わえ付けた綾紐が垂れ、瞬の耳を撫でた。
 冷たい手で首をなぞり、凍馬は鼻で笑う。
「細い首。折れそうだ」
 指が食い込む。瞬は息苦しさに声が洩れた。反射的に凍馬の腕を掴むが、強引に引き剥がすことはしなかった。できなかった。
 一つ、一つと、釦が外されていく。はだけた胸に、短い爪の感触があった。古傷に突き刺さる。
「ねぇ、瞬。いっそ、このまま――」
 最後の釦に指をかけて、凍馬は苦しげに眉を寄せた。
「凍、馬」
「なんて、ね」
 溌剌とした明るい声で言うと、凍馬は体を離した。瞬は急激に息を吸い込み激しく噎せた。張り巡らされていた《気波動》の罠も消える。
「ごめん。冗談が過ぎたね」
 瞬は取り残されて呆然とした。何が本当で何が嘘か、わからなかった。凍馬の背中に答えを探すが、悲しいほどに何もない。
「凍――」
染芙(せんふ)のこと、思い出したか」
「え」
「茜さんが話してくれた。染芙の死に関することを、全て忘れていたらしいね」
 振り返って、凍馬は穏やかに微笑んだ。そこには見慣れた笑顔があった。安堵の気持ちは確かにあったが、聞き逃したことへの未練はそれより強かった。
「ああ、そうだな」
 ため息のように呟いて、瞬は煙草を咥えた。
「だったら、どうして染芙があんな行動に出たかも、推測がついてるかな」
「あの女が」
 瞬は龍羅飛跡で感じた視線を思い出す。
結蘭(ゆいらん)が絡んでいるだろうと思ってる」
 火をつけようとしたところに視線を感じ、目を上げる。凍馬が哀切に満ちた瞳で佇んでいた。
「凍馬……?」
「ずっと待っていたよ。お前がその名へ辿り着くのを」
「何か、知ってるのか」
 瞬は寝台から立ち上がって凍馬に歩み寄った。
「もしかして、あの時お前は結蘭に」
 小さく凍馬は頷き、爽やかに微笑む。
「染芙の事情とは違っただろうけどね。あの時の俺は、ああするしかない状況に追い込まれた」
 横目に景色を見つめ、凍馬は唇を噛んだ。
「俺が、愚かだった」
 瞬は違うと言いかけて、言葉を飲み込んだ。その否定はただ虚しいだけだ。
 本当に愚かだったのは、自分の方だ。結蘭の存在に思い至らなかったどころか、記憶の中で染芙の死を歪め、茜が抱えた業にも気付かず、凍馬の闇を知ろうともしなかった。
 だがそれを告げたところで、凍馬は微笑み返すだけだろうし、全てやり直すこともできない。
 抱えるしかないのだ。今度は自分で。
 多くの人が自分の人生から消えていった。どんなに愛した人も先に逝ってしまった。自分の弱さが、彼女らに死をもたらした。自分の浅はかさが友を殺めた。
 どれも奪われたのではない。自ら失ってきたのだ。
 知らないわけではなかった。認めたくなかったのだ。略取された、と子供のように叫んでいたかった。そうすれば、誰も瞬を責めることはしなかった。
 諦めに似た気持ちが広がる。もう、逃げる余地はない。向き合わねばいけない。
 凍馬の体がぼやけ、向こうに景色が透けて見えた。《気波動》を使いすぎた。瞬は凍馬の腕を掴んで、自らの《気波動》を送り込んだ。
「瞬」
 驚きを隠せない様子で、凍馬は瞬の手を振り払おうとした。だが瞬は強く掴んで離さなかった。じわじわと凍馬に肉感が戻り始める。青く芳しい草の苦味が、瞬の胸に広がった。
 闇なら、世界に満ちている。この自分にも。
「馬鹿だな」
 凍馬は力なく笑って、抵抗をやめた。
 首には、凍馬の指の感触がまだ残っていた。