THE FATES

5.無垢(7)

 強く言い放って、久暉は青竜を睨みつけた。
「正統な後継者でもないお前が、奪い取っただけのお前が、虫の息だった俺を癒しきるほど杖を使いこなす。そんな絵空事に俺が騙されるとでも思ったのか」
「実現したのですから、絵空事ではありませんよ」
「黙れ。何をした。どうやって杖の力を使った。言え、慶栖」
 久暉は声を押し殺して言った。平然とした顔つきで青竜は視線を受け止める。
「あなたがそんなことを気になさるなんて、意外ですね」
「俺が何も知らないと思っているのか。何も見ていなかったと」
 今にも斬りつけそうな殺気をまとい、久暉は青竜を覗き込む。青竜は射竦められたように黙り込んだが、いくらかの逡巡ののち、小さく笑った。
「器に由稀さんを選んだのは、私の失敗だったかもしれませんね」
「何が言いたい」
「彼の中にいたせいで、あなたは随分と弱くなった」
「仕組んだのはお前だろう」
「主の命を守ろうとするのは、ごく自然なことでしょう。私は特別なことをしたつもりはありません。ですが、その方法は間違っていたのかもしれませんね。あなたはあまりにも由稀さんの影響を受けすぎた」
 人を見下した青竜の目つきは、彼の機械のような心の現われだった。機微などない。あるのは、青竜にとっての善か悪のみだ。
「どうせなら、私の中に入れればよかった」
 青竜の善悪とは、全て久暉に拠っていた。久暉のため、それが彼の命題の全てであった。
「これでもあなたを気遣ったんですよ。いくら術のためとは言え、私に身篭られるのは屈辱的だろうと思ってね」
「生意気を……」
 久暉は衝動的な怒りを呑みこんで嘲笑を浮かべた。噛み締めた顎に、鋭い痛みが走った。青竜は静かに空色の瞳を見つめた。
「こんな、くだらない話。まさかあなたの口から聞くことになるとは」
「くだらない、だと」
 青竜に掴みかかりそうになるのを、久暉は必死に堪えた。青竜は見透かしたように微笑む。
「天地の杖について、あなたは何か誤解しているようですね。仰るように、竜族の正統な後継者であることは、同時に杖の支配者でもあります。杖が持つ力を最大限利用することも可能でしょう。ですが、それだけが道ではない。能力のある者が使えば、正統でなくてもきちんと応えてくれるのです」
 短く息をついて、青竜は片膝を立てて座った。
「確かに、私一人の力で遂行できる術式ではありません。比古(ひこ)彌夕(みゆう)が加わったとしても、何の足しにもならない」
 青竜は炎を斜に見つめる。
「だったら、足りるまで他から補えばいいんです」
 燃え盛る中心は、不思議と熱を感じさせない。じりじりと内側から火勢を煽っている。悪意と大差ない歪んだ好奇心が、赤く暗い輝きを支えていた。
「足りる、まで?」
 青竜の闇を孕んだ黒い瞳は、炎の中心を静かに見据えていた。
「そうです。絶大な力を求めれば、行き着く先は国そのものでした」
 まるで幼子に寝物語を聞かせるような口振りで青竜は言った。久暉は青竜を直視できず、目を伏せた。
 ぱちん、と炎の底から音がする。時折、思い出したように音がする。黙って聞いていると、気が狂いそうだった。
「そのために……」
 頭を抱えて、久暉は体を丸くした。耳を塞いでも炎の呟きは消えない。それは久暉の弱さが生んだ独白だ。あまりにも身勝手で、言い訳にもならない。
 昂りは破滅を招くと知っている。常に冷静でいなければ、目指す先を見失う。
 自分が堪えなければ。自分が皆の楔にならねば。
 久暉は心の内から沸き起こる独白に負けないよう、自分に何度も言い聞かせる。だが、縒った糸が両端から力任せに引っ張られて、徐々に千切れていく。
「そのために、竜族を焼き滅ぼしたのか」
 理性を振り絞って、久暉は低い声で問いかけた。
「ええ。それが、どうかしましたか」
 落ち着き払った青竜の声に、久暉の激情が弾けた。顔を上げて、青竜に手を伸ばす。服を掴み取って強引に引き寄せた。
「俺一人のために、どれだけの人を犠牲にした」
 上着の釦が弾け飛ぶ。久暉は構わずに青竜を睨みつけた。
「そんなことが許されていいと思うのか!」
「思いますよ」
 青竜は抑揚のない声で言った。見せ掛けの動揺もない。平然とした顔つきで、久暉の視線を受け止めている。
「貴様……!」
 久暉は青竜の顔を殴りつけた。勢いで青竜の体が後ろへ傾く。久暉は青竜を絨毯へ押し付けて、その上に跨った。
「自分が何をしたか、わかっているのか!」
 殴っても殴っても、青竜が抵抗することはなかった。痛みに顔を歪めることすらしない。青竜はただ殴られるに任せていた。
「何の権利があって人の命を奪う。たかが俺一人のために、なぜそこまでしなければならない」
 権利、と口にして、久暉は胸に違和感を覚えた。ならば自分は、どのような旗を掲げて人を殺してきた。戦いだから仕方のないことだろうか。戦士であれば戦場で命を落とすのは名誉なことだろうか。未来を切り開くためなどと、どんなきれい事を並べても、それは理由にならない。否、今こうやって迷うこともまた、きれい事なのか。
 久暉は拳を振り上げたまま、煩悶の息を洩らした。
 由稀なら、どう考えるだろう。
「慶栖、俺は……」
 腕をおろし、うな垂れる。手には、赤い染みがついていた。青竜の口からは血が垂れ、頬は腫れていた。しかし青竜は痛みを物ともせず、じっと久暉の空色の瞳を見つめていた。
「お話しするつもりはなかったのですが」
 青竜は口を緩めて笑おうとしたが、腫れた顔では笑顔にならなかった。
「初めて会った日、追っ手を撒くため潜んだ森で、竜樹を美しいと言ったこと、覚えていらっしゃいますか」
「え……」
「本当に嬉しそうに瞳を輝かせて、こんなに美しい空の下なら人は争いをやめるだろうと」
 顎を逸らし、青竜は頭の上の、垂れ幕の隙間から覗く天水の空を見上げた。久暉も青竜の視線を追って、細い空を見遣る。たちまち、記憶にある空が思い起こされた。木々の葉と葉の間から見えた竜樹の空は、果てを感じさせない透明さで、降ってくるような青だった。
「その時は暢気なことをと腹立たしく思いましたが、斎園(さいえん)へ行って理解しました」
 口から垂れた血を襟で拭い、青竜は久暉の手を取った。
「あなたには、斎園の赤黒い空は似合わない。竜樹の森を輝かせる青天こそふさわしい」
 青竜の大きな手が、久暉の小ぶりな手を包む。
「慶栖」
「斎園を統一するだけで終わってはいけない。あなたは竜樹との道を開き、あの一面の青のもとに立つべきなんです」
 乾いた手から伝わる温もりは、久暉の心を激しく乱した。青竜の言葉に嘘がないことはわかっている。彼がいかに本気であるかもよく知っている。だからこそ、青竜の夢や願いは久暉にとって何より心強く、何より重かった。