THE FATES

5.無垢(10)

 表通りを避けて、細い路地を何度も曲がる。急な停止に合わせて、耳元で風が唸った。(こう)は真っ赤なスウィッグを操り、角を紙一重で曲がっていく。自分専用に作った握り部分は、手によく馴染んでいた。反応もよく、整備が行き届いていることがよくわかった。だが、性能には納得がいかない。速度も高度も、紅が知るものより相当劣っていた。紅は苛つきを眼鏡で隠し、陣矢(じんや)から貰った小さな紙を握り締めた。
 博路(はくろ)が近くなり、道幅が狭くなる。小さな子供が走り回っているので、紅は仕方なく速度を落とした。子供らは派手な色をしたスウィッグを物珍しそうに見送り、笑顔で手を振る。紅は小さく笑った。馴れ馴れしいが、紅はこの街が嫌いではなかった。時の流れは穏やかで、街全体が揺り篭のようだった。
 早歩きするようにゆっくり走らせていると、色々なものが目に付いた。軒に吊られた果物、洗い晒しの服、地面の落書きや、道端に置かれた椅子と卓、それら全てが街を彩っていた。否、そこに関わる人々が、街に命を与えているのだ。干した果物を隣家へ配る女も、父の仕事着をはたく少年も、足元の石畳に白墨で花を描く少女も、道端の卓で盤戯に興じる老人も、垂れ込めた空を嘆くことなく、確かに今を生きていた。紅は、ここにいれば孤独などとは無関係に生き、死ねる気がした。
 かつて小波(さざなみ)の空と謳われた空を、建物の隙間から見上げる。細長く切り取られた空は、水に濡れた砂地のようで、風の揺らぎを感じさせることもなく、まるで表情のない仮面だった。
 世界には自分だけしか存在しないような、傲慢にも似た孤独が胸に広がる。相容れない、溶け合わない関係は、どんなに近付いても虚しさが募るだけだ。この空が雨を降らせることはないが、常に虚無の欠片を振り撒いている。
『もし、この空に色が戻ったなら』
 遮光眼鏡の色で染まった視界に、記憶の光景が掠める。飾り気のない研究所の一室で、彼女は体中に繋がった管を一つずつ抜きながら言った。
『重苦しい天井を破ってくださいね。雨ざらしになっても、明るい場所で研究を続けられたなら』
 彼女は白い腕を天井に伸ばして首を傾げた。
『きっとそれが幸せという感情になるのだわ』
 道先に、看板が揺れていた。壁に打ち付けた杭に吊られて、鉄製の看板が軋んでいる。そこに書かれた名を読んで、紅はスウィッグをとめた。店先には機械の部品が溢れ、中からは工具の甲高い音が響いていた。紅は足元に気をつけながら店に踏み込み、中の様子を窺った。明かりは少なく、壁際には光を呑み込むような鉄の部品が並んでいた。
 店の奥で、ちかちかと赤く光る。火花が散っていた。紅は体を横にして、機械の間を抜けていく。隙間に、中年の男の後ろ姿が見えた。
「あの、すみません」
 作業をしている男の背後に回り、声をかける。しかし反応がない。
「すみません!」
 大声を張り上げても、男は紅を振り返ろうとしない。紅は苛立ち、工具に繋がっている線を引き抜いた。それまで工具から出ていた炎がしぼんで消えた。
「おい、(まこと)
 男は面に付けていた防具を取り、振り返った。白髪混じりの短髪で、額には玉のような汗が浮いていた。真は紅を見とめて唖然とした。
「まさか、紅か」
「こんな派手な頭のやつが他にもいるなら、会ってみたいよ」
「本当に紅なのか。しかしお前、昔と変わらないな」
 首から提げた布で汗を拭き、真は紅を頭から爪先まで眺めた。紅は抜いた線を真に渡し、視線を逸らした。
「まぁ、色々あって。俺的には全く成長してない感じで」
「そうなのか。お前は相変わらず色々と複雑なんだな」
 真は掠れた声で笑った。困ったような笑顔は、昔と変わらなかった。紅は安心して、眼鏡を外した。目をしばたかせて、素の色の世界に慣れる。直接見上げた真の顔には、深い皺が見られた。
「上がれよ。渡したいものがある」
「店はこのままでいいのか」
 奥へ入っていく真についていき、紅は店を振り返りながら言った。店から見る博路は、随分と明るかった。
「構わないよ。じき、倅が帰ってくるから店番を頼めばいい」
「倅……って、お前の子供か」
「ああ。一番上が来年学校を卒業するんだ。ついこの前まで俺が通っていた気がするのに、時が流れるのは早いものだな」
 店の奥は居間になっていた。華美ではないが、質素で清潔感のある部屋だった。紅は促されるまま椅子に座り、部屋を見回した。硝子戸の棚には色違いの食器が並び、壁には小さな子供が描いた絵が貼られ、籠には赤や黄色の果物が山積みになっていた。紅は小さく息を洩らした。
「散らかってて悪いな。今ちょっと嫁さんが買い物に出かけてて」
「いや、全然。気にならないから」
「ありがとう。お茶でも淹れるよ」
 真は床に散らかっていた本を拾って積み重ねると、慣れた様子で茶の用意を始めた。大柄だった彼の背中は、一回りも二回りも大きくなったようだった。
 父になった真は、学生だった頃より一層穏やかになっていた。むしろ、かつては彼自身も扱いきれずにいた朗らかさが、年を重ねることによって馴染んでいるようだった。
「濃い目が好きだったな」
「ああ、ありがとう」
 大きな持ち手がついた、どっしりとした器から茶の香りが立つ。部屋で瞬が淹れるものより尖った香りだったが、紅にはこちらの方が新鮮で好みだった。紅は立ちのぼる湯気を息で吹き飛ばし、少しずつ啜った。真は自分の器を置き、食卓を挟んだ向かい側に座った。
「学校には行ったか」
 落ち着きを通り越した沈んだ声で真は言った。紅は両手に持っていた器を置き、静かに頷いた。
「そうか。その様子だと、伝研の研究棟も見たんだな」
「見た。すっかり違う看板になってた」
 紅は笑って俯いた。それでも真から顔が見えるようで、前髪を押さえて顔を隠した。どんなに笑っても顔が引き攣る。恥ずかしいより、情けなかった。
「悲しいのも無理はないさ。あの研究所はお前の居場所だったからな」
「いつ、なくなったんだ」
「お前がいなくなってすぐだったよ。央宮(なかみや)様が即位された後だったと思う。お前になら、その事情もわかるのか」
「まあ、なんとなく」
 遺伝子病理学研究所は、紅が立ち上げた施設だった。それは紅が一般の学校へ通うことと引き換えに負った義務であった。
 紅が一般の学校へ行くことは、大臣や補佐官の誰もが反対していた。ほとんどの王族の子には、専属の教師がつく。語学や歴史学など、学校で教えることはもちろん、体術や剣術、さらには戦術的なことまで叩き込まれた。だが紅が反対されたのは、王族の慣習に外れるからだけではない。誰もが紅を外に出したくなかったのだ。王家と龍羅飛(りゅうらひ)の血が混じることなど、許されるべきではなく、また国民にその存在を知られてはいけなかった。
 茜は周囲の反対を押し切って、紅の入学手続きを済ませた。詰め寄る大臣らに茜は約束をした。紅が成人するまでに、自分の体を治療する方法を見つけてもらう。出来なければ、紅の宮名を剥奪しても構わない、と。
 今から思えば、茜は体を治してもらうつもりなどなかった。紅が成人するまで自分が生きていられるとは思っていなかったのだろう。彼女はただ母として、子供を学校に通わせたかったのだ。そして人として、隠し事を是としなかった。
 幼い頃から物覚えが良かった紅は、学校では飛び級を重ねて、十五のときに研究所開設の許可を取った。そうして伝研は生まれた。
 伝研は、茜のためにあった施設と言っても過言ではない。研究員も二名の小さな研究所だ。茜がいなくなれば廃止となっても仕方なかった。央宮らしいと紅は思った。
「また研究をするのか」
「いや、しないよ。それに俺、いつまでここにいるか……」
 最後まで言い切らず、紅は口を噤んだ。無意識のうちに、アミティスへ戻る気でいたことに、紅自身驚いていた。真はやや落胆した面持ちで茶を飲んだ。
「そうか。残念だ」
「まだ、どうなるかわかんねえけど」
「だったら、なおさら渡しておかないとな」
 真は椅子から立って、壁際の引き出しから箱を取り出した。眼鏡が入るほどの大きさの箱で、蓋には「紅へ」と書かれていた。
「なんだ、それ」
「開けてみろ」
 紅の目の前に箱を差し出し、真はすぐにその場を離れた。紅に背中を向けて、湯を沸かす。箱を軽く振ると、硬い音がした。紅は、嫌な予感がした。
 そっと蓋を持ち上げると、中には六角柱の水晶が入っていた。箱から出して目の高さに掲げると、水晶の中は七色に光って瞬いた。
 表面に、銀で刻んだ文字がある。
菱乃(ひしの)……」
 水晶は硬く、冷たい。まるで彼女の肌のようだった。
「彼女、突然来て、言ったんだ。心柱を抜いてほしいって。今から思えば、伝研のことが決まった後だったんだろうな。あまりにも必死だったから、事情を聞く余裕もなかった。俺は彼女が指示する通り、そいつを入れ換えた」
 茶をついで、真は煙草に火をつけた。小さな窓を少し開けて、そちらへ紫煙を吐く。
「本当に、機械だったんだな、彼女。お前から聞いていたが、信じられなかった。だって、どこからどう見ても、普通の女の子じゃないか」
「そう、だな。でも、触ると、冷たいだろう」
「まあ、確かにな……」
 行儀よく窓から流れ出る煙を見つめて、紅は心柱を握り締めた。菱乃の体は、おそらく廃棄されただろう。彼女はその危険を感じ取って、真を頼ったに違いなかった。弔いの白煙は、心柱に残された情報を見てからにしようと決めた。
 店との間にある扉が開いた。
「父さん、表にあるスウィッグ誰の。すごい色」
 少年の活き活きとした声が飛び込んできた。
「ああ、おかえり」
 真は煙草をすぐに消して、窓を全開にした。煙は散り散りに外へと向かった。
「あ、お客さん」
「父さんの友達だ」
「はじめまして。いつも父がお世話になってます」
 視界の隅に指先が見えて、紅は慌てて眼鏡をかけた。椅子から立って、握手に応える。
「こちらこそ」
「表に停めてあるスウィッグ、すごいですね。初期の機体がやっぱり一番かっこいいです」
「そうかな」
 少年の笑顔は父譲りの優しさを湛え、さらに目元がしっかりとし、溌剌としていた。
「制御を外せば、だいぶ飛ぶんですか」
「制御?」
「おい、店番してこい」
「はいはーい」
「はいは一回」
「ははーい」
 少年は紅に向かって一礼すると、鞄をその場に置いて店へと出ていった。真は頭を掻いて苦笑した。
「明るいのはいいことなんだが、どうも加減がない」
「いや、気持ちいいくらいだし。それより、制御って何だよ。もしかして速度と高度のことか」
「そうだ。あれからスウィッグに規制がかけられて、速度にも高度にも限界値が設けられたんだ。既存の機体は、値を超えないように制御装置を義務付けられた」
「それであんなしょぼいのか」
 紅は開け放された扉から店を眺め、スウィッグに夢中になる少年を見つめた。ほとんど年端も変わらないはずなのに、なぜ自分は彼のようになれないのだろう。
「だがな、紅。そう落ち込むな。お前の機体は特別に制御を外せる仕様にしてある」
「そんなことが出来るのか」
「一応、違法だけどな」
 そう言って、真は白い歯を見せて笑った。
「さすが。スウィッグの開発者様は天才だ」
 紅も合わせて、にやりと笑った。