THE FATES

5.無垢(14)

 由稀(ゆうき)は激しく睨みつけてくる愈良(ゆら)を見下ろし、乾いた笑いを漏らした。
「そんなに睨まなくても」
「小僧、いい加減まともに喋ったらどうだ」
 愈良は由稀に詰め寄り、口元を指差した。
「あんなにも恥をかかされたのは初めてだ。貴様とは一度ゆっくり話す必要があるようだな」
「えっと、だから……」
 迫ってくる愈良から離れようと、由稀は背を逸らす。籠を抱えている分だけ距離は保たれたが、このままではどうにもならない。由稀は助けを求めて、肘で詩桜(しおう)をつついた。
「俺、どういう状況になってる」
「そうね、だいぶ恨まれてるみたいね」
「それはなんとなくわかるんだけど」
「籠だけは落とさないでよね」
 詩桜は一歩前に進み出て、愈良の袖を引っ張った。
「ちょっと、私の用件の方が先じゃないの」
「何の話だ」
 眼鏡の奥が嘲笑に歪んだ。愈良は乱れていない襟を直して、横目で詩桜を見遣った。
「こちらには心当たりがないが」
「とぼけないで。私はまだ諦めたわけじゃないの。つべこべ言わず果南(かなん)に会わせなさいよ」
「相変わらず、可愛げのないお嬢さんだな」
 愈良は詩桜に向き直って、人差し指で眼鏡を押し上げた。由稀は二人の間に入ろうとしたが、詩桜に目で射竦められた。
 袖を引かれて振り返ると、羅依(らい)が怪訝に眉を寄せていた。
「なに、これ」
「こないだ、ちょっと。なんか、詩桜の友達がこいつらの所にいるらしくて、でも会わせてもらえないみたいでさ」
「そんなことがあったんだ。でもこの調子じゃ……」
「うん。今日も無理っぽいな」
 睨み合う詩桜と愈良を眺めて、由稀はため息をついた。周囲に人影はほとんどないが、全身を舐めるような視線は消えていない。ここで目立つことは避けたかった。
「どうしろってんだよ」
 肩を落として、もう一度ため息を吐き出す。騒がしい二人の声に顔を上げると、その向こうにいた十和(とわ)と目があった。つぎはぎだらけの顔が笑みで引き攣る。
「少年、今日はあの連れと一緒じゃないのか」
「えっと……」
「そうか、わからないんだったな。ちょっと待ってろよ」
 そう言うと十和は服の内側から、煙草入れほどの大きさの、金属製の機械を取り出した。大きな指で、肩まで狭めて操作する。
「えっとだな、先日お会いした少年はいないのですか。これでどうだ」
 十和は由稀にもわかる言葉で言い直した。
「あ、ああ、(こう)は別行動だけど。ていうか、おっさん大丈夫だったのか」
 あの路地裏で、十和は紅の力によって吹き飛ばされた。地面に強く叩きつけられ、相当な衝撃が彼を襲ったはずだ。
 十和は再び機械を使い、由稀の言葉を理解する。明るく笑って手を振った。
「あれしきのことで怪我などしていたら、この身がもたんのでな」
 力強く胸を叩く十和を見上げて、由稀は苦笑を浮かべた。
「いかん、これでは通じないんだったな。えっと、今のはだな」
「い、いいよ。身振りで大体わかるから」
 由稀は籠を抱える手を可能な限り動かして言った。やや間があって、十和は満足げに頷いた。
「そうか。心は言語の壁を越えるということか」
「ちゃんと伝わってるといいんだけどな……」
 理解できていないことを理解できる程度には意思の疎通が図れることを、由稀はありがたく思った。
 由稀の横から羅依が進み出て、十和の手元を覗き込んだ。機械には画面があるだけで、今は何も映っていなかった。
「危ないものじゃないみたいだね」
「随分と珍しい髪色だな、お嬢さん」
「これに触ってみてもいいか」
「ん。興味あるのか。ほら」
「ありがとう」
「お、おい。羅依」
 おじけることない羅依に戸惑い、由稀は呼びかけた。平気な顔をして羅依が振り返る。彼女は先日の十和を知らない。もしも紅に吹き飛ばされたことを根に持っていたら、そう思うと十和の人懐っこい態度も安易に信用できない。
「俺には時々、お前の基準が理解できないよ」
「あたしも同じく」
「それ、どういう意味だ。自覚ありってことか。もしかして俺のことか」
「あ。えと……両方、かな」
 羅依は由稀を振り返って涼やかに笑った。由稀は籠を片腕に抱えて、羅依の頭の上から機械を覗き込む。
「辞書みたいなものか」
「うん。そんな感じ。いつも聞いてる雰囲気ではいくつか難しい発音はあるけど、少し覚えると便利かも」
「言われりゃ、確かに」
 由稀も天水(てんすい)の言葉がわからないことに、少しずつ不便を感じていた。羅依は容姿が目立つ分、自分が外に立たねばならない。
「おっさん、これどこに行ったらあるんだ」
 由稀が機械を指差すと、十和は言い澱んだ末に、顎で愈良をさした。
「あいつには何でか口止めされてるんだがな。俺が興味あるって言ったら、作ってくれたのさ」
 十和は工具を動かす手振りをした。
「へぇ」
 由稀には意外に思えた。愈良が人のために何かするようには見えない。
「機械いじりは得意でも、昔言葉には疎いのにな。よくやってくれたよ」
 愈良を見つめる十和の瞳に、由稀は確かな信頼を垣間見た。顔の怖さと喧嘩好きは否定できないが、悪い男ではないようだった。
「なあ、羅依。俺って結構、人見知りとか」
「なんであたしに聞くんだよ。でもそれって全く当たってないと思う」
「だよな。俺もそう思って生きてきたんだけど。何だろうなぁ、この前に進めない感じ。嫌だなぁ。もしかして今の俺って、すっげ嫌な奴なんじゃね? あぁあ。あんまり(しゅん)が警戒させるからだ」
「警戒って、どういうこと」
「この街では気をつけろとか、他にも無言でじわっと。わー、移る。瞬が移る。俺は俺らしくやるぜ。うん、そうだ」
 由稀は一人で納得して、十和に手を差し出した。
「俺は由稀」
「由稀、か。発音しやすい、いい名だな。俺は十和だ」
 大きく分厚い手で十和は由稀の手を取る。乾いて、ほのかに温かい。
「羅依。よろしく」
 二人の手に羅依が手をかぶせた。相変わらず冷たい指だった。
「お嬢さん、うちのお店においでよ。すぐに儲けさせてやるよ」
 十和は二人に聞き取れないように早口に言って笑った。由稀と羅依は顔を見合わせて首を捻った。