THE FATES

5.無垢(15)

「おい、十和! 何をじゃれあってる!」
 愈良は声を上げて、十和の腕を引っ張った。鋭く、由稀と羅依を睨みつける。
「お前たち、何者だ。ここは絆清会の仕切りで長くやってきたんだ。乱す奴は女子供でも容赦なく晒し首になるぞ」
「まあ、落ち着けよ、愈良。こいつら悪い奴じゃないぞ。話せばわかるさ、きっと」
「どうしてお前はいつもそうなんだ。話せばわかるだと。こいつらに話す気があるなら、あんな昔言葉を使うと思うか」
「いやまあ、それは」
 十和は頭を掻き、由稀らを振り向いて目で謝った。
「おっさん悪くないし」
 由稀は両腕で籠を抱え、首を振った。隣では羅依が翻訳機をいじっている。
「いいよ、羅依。大体話の流れはわかってるし」
「あ、うん」
 羅依は頷いて、機械の蓋を閉じた。
「ちょっと、眼鏡! 人の話聞きなさいよ!」
 興奮で顔を赤くした詩桜が、街に響き渡るような大声で愈良に掴みかかった。由稀は今度こそ止めに入ろうとしたが、詩桜に煙たがれることを怖れて躊躇した。詩桜を傷つけたくない気持ちと、詩桜に傷つけられたくない気持ちがせめぎあっている。不可解な本音に、由稀の心は立ち止まった。
「嫌がる果南をあんた達が連れて行ったって、見た人がいるんだからね。何の権利があって果南にひどいことするのよ。返してよ、果南を。私のところへ、あの子の家族のところへ!」
「まったく、しつこい子供だな!」
 愈良は袖を引っ張る詩桜の手を、力いっぱい払いのけた。詩桜は後ろに傾いて、由稀にもたれかかった。とっさに籠を片腕に抱え、由稀は詩桜の体を支えた。
「あっ」
 声を上げたのは詩桜ではなく、羅依だった。十和に返そうとしていた翻訳機が、愈良の手に当たって弾かれた。外側は金属で頑丈でも、程度を超えた衝撃の前には無力だ。
 詩桜と籠を抱えた由稀に身動きは取れない。十和の速さでは間に合わない。羅依は二人の間をすり抜けて飛び出した。弱い光に輝く機械は、地下へ続く階段へと落ちていく。
 羅依の冷たい指先が、さらに冷えた金属に触れる。体を傾け、さらに腕を伸ばす。肌に吸い付くような金属を手繰り寄せる。掴み取る。
「やった!」
 空中で体を反転させ、着地しようと足を伸ばすが、着くはずの地面がない。
「うそ」
 後ろには暗い階段が口を開けている。
「羅依!」
 由稀は籠を十和に押し付けて駆け出した。だが追いつく前に、羅依の体は闇に吸い込まれた。階段は明かりがなく、数段先でさえ上からでは見えない。
「うわっ」
「痛っ」
 下から、羅依の声と男の声がした。由稀は階段をおりかけたが、街の視線が一段と鋭くなるのを肌に感じて思いとどまった。刺すようで、息が詰まる。階段を覗き込んで目を凝らした。かすかに人影が動いて見える。
「おい、羅依。大丈夫か」
「だ、大丈夫……」
 弱々しく答えて、羅依は身をよじった。いささか体を打ち付けていたが、痛みはそれほどではなかった。我に返って、強く握り締めていた機械の蓋を開ける。耳元を虫が飛び去るような音がして、画面が明るく光った。
「よかった」
「それは結構なことですね、お嬢さん」
「え」
 すぐ後ろで男の声がして、羅依はその場から飛びのいた。ほんのりと、水辺に咲く花のような香りがする。甘さのない、背筋が凍るような美しい香りだった。機械が発する光に、三十絡みの男の顔が浮かんだ。
「おーい、羅依。どこまで落ちた」
「あ、大丈夫。すぐに上がるよ」
 羅依は機械を閉じて、座り込んでいた男に手を差し伸べた。
「すみません、あたしのせいで。怪我とか……」
「まさか女の子が降ってくるとはね」
 やや嗄れた低い声で男は言った。彼は羅依の手を取って立ち上がり、逆に彼女を引き寄せた。
「随分と古い言葉を使うんだね。桟楽の爺どもみたいだ。学校で流行ってるのかな」
「あ、え……」
「爺らが話すと雑音だが、君みたいにきれいな子が使うと魅惑的だね。異国情緒とでも言うのかな。官能的、いやむしろ扇情的ですらあるよ」
「えと、あの」
「あ、むしろ今の言葉がわからない?」
「えっと……」
 急いで機械を開く羅依の手を取って、男は暗がりの中で微笑んだ。
「お友達も心配してるみたいだし、上へ行こう」
 羅依の指先に、男の息がかかる。すぐそばに、男の顔があった。羅依は慌てて手を引っ込めた。
 光が届く段まで上がると、由稀が腰を屈めて待っていた。羅依の姿を目に留めて、安堵の息をもらした。
「はあぁ、良かった。怪我してないか。だいぶ派手に落ちてったけど」
「大丈夫だってば。あ、実はこの人が下敷きになってて」
 そう言って羅依が振り返ると、後ろにいた男が羅依の肩を抱き寄せて微笑んだ。
「君も彼女と同じ言葉を使うんだね」
 男の笑顔は一見爽やかだったが、目つきは鋭く、朗らかさには程遠かった。由稀は男の臆面もない笑顔に、思わず礼を言いそびれた。羅依は顔を真っ赤にして、男の手から逃れる。
「さっきは、すみませんでした」
 頭を下げて、羅依は言った。赤い飾りでまとめた長い髪が、肩から流れ落ちる。男は明るみの中で羅依を見て、動じたように目を丸くした。
「淡い紫の髪。もしかして君が鬼使(きし)の――」
「総統!」
「ああ、愈良か。ご苦労」
 男は服についた砂を手で払って、上着の釦を外した。冷たい花の芳香がさらに立つ。男に駆け寄った愈良は、背筋を伸ばした。
「もったいないお言葉です」
 横目に羅依を睨みつける。
「まったく。とんだ暴れ馬だな」
 舌打ちをして、羅依の手から翻訳機を取り上げた。ずれた眼鏡を押し上げて、機械についた汚れを拭き去る。
清路(せいじ)さん、おはようございます。昨日から姿が見えないと思ったら、打ってたんですね。水臭いな、誘ってくださいよ」
 籠を抱えたままの十和が、縫い目のある顔を綻ばせて頭を下げた。清路と呼ばれた男は、引き締まった頬に口端を食い込ませて笑った。
「お前を誘うとツキを全部持っていかれるからな」
「じゃあ勝ったんですかい」
「博打で勝ったとか負けたとか、そんなことはどうでもいい」
「負けたんですね」
「そんなこと問題にならないくらい、今日はいい朝だ」
 清路は長めの黒髪を両手で梳き、首を振った。
「何かあったんですか」
「階段をあがっていたら、彼女が上から降ってきたんだよ。驚いた」
「お怪我はないんですか!」
 ついに我慢しきれず、愈良が口を開いた。
「大げさだな。こんなに可愛らしいお嬢さんなら、何度降ってきても大歓迎さ」
 清路は羅依に向き直り、胸の前に手を差し伸べた。指には紙が挟まれている。羅依は戸惑いつつ受け取った。名前が書かれているようだったが、羅依には読めない。
「いつでもお力になりますよ。そうだな、君はもちろん、君以外の人の力にも」
 清路は羅依の手を取って、羅依にわかる言葉でそう言った。
絆清会(ばんせいかい)の清路と言えば、この辺りではそれなりに通用する名前です。まあ、鬼使ほどではないけれど」
 羅依にしか聞こえないような小声で清路は告げた。羅依は息を呑んで清路の顔を見返した。
「何が目的」
 由稀の視線を気にしながら、羅依も声を潜めた。愈良や十和は再び詩桜につかまり、大声で言い合っている。
「あたしで瞬を釣ろうとしても、無駄だよ。あいつがあたしのために動くなんて、ありえないから」
 清路から視線を逸らす。瞬に迷惑をかけたくないからではない。羅依は本心から、悲しいほどそう思っていた。
「そうかな」
 繋いだままの羅依の手をさらに強く握って、清路は頬を寄せた。
絆景(ばんけい)の上層部は、君の話題で持ち切りだよ」
 頬に清路の視線が感じられたが、羅依は真っ直ぐ前を見据えて黙り込んだ。清路は羅依の表情をつぶさに観察して、続ける。
「古参の話では、仕事以外で鬼使が女を連れて歩くなんて、初めてのことらしいから」
 清路は肩を揺らして笑った。
「君は君が思う以上に、鬼使の特別なんだと思うよ」
「な……馬鹿なこと」
 羅依は体をよじって清路を見た。手を払おうとすると、清路は何の未練も感じさせず離れていった。悪びれた様子なく、清路は微笑みに近い眼差しで羅依を見つめる。羅依は手の中に渡された紙を握り締めて、口を噤んだ。何か言えば、絡め取られそうだった。
「こそこそと何の話してんだよ」
 後ろからの由稀の声で、羅依は自由になって清路からまた一歩離れた。由稀は清路の表情を読み取ろうとするが、手がかりになるものは何一つなかった。
 清路は腕組みをして、見るともなく部下を眺め、眉を上げた。
「鬼使がいるんだ。もしかしたら、あいつも一緒じゃないのか」
「あいつって」
 尖った由稀の声に、清路は口元だけで笑った。目で促して、建物の角を指す。遠くから、聞き覚えのある機械音がかすかに聞こえる。近付いている。振り返ると、建物の陰から真っ赤なスウィッグがぬっと出てきた。
「紅」
「何してんだよ、お前ら。梅煉(ばいれん)が……」
 機上にいた紅が、そこまで言って言葉を飲み込んだ。呆然と、由稀の横に立つ男を見つめている。
「久し振りだな、紅。病的なほど変わってないなあ」
 清路は軽く片手を上げた。紅はゆるゆるとスウィッグで近付き、眼鏡の奥の目を何度も瞬かせた。
「え」
「相変わらず派手なスウィッグに乗って。知ってるか、こいつを取り巻く事情も随分変わったんだぜ」
「あ、それはさっき聞いた……」
「そっか。友達に開発者がいたんだっけ。ええと、名前は忘れたが、確か博路(はくろ)にいたな」
「おい、ちょっと待てよ。なんでそんなこと知って」
 紅は呆然として目の前の男を見つめた。やや歪んだ鼻筋や、大きな耳に面影がある。
「まさか、お前は」
「多分、そのまさかだ」
「お前、本当に清路か!」
「知り合いかよ」
 驚いた由稀の言葉に、紅は振り向かず頷くだけだった。
「この街で生き残ったんだな、清路」
 そう言って、紅は迷いなく眼鏡を外した。由稀にはそれが嬉しくもあり、少し寂しくもあった。