THE FATES

5.無垢(16)

 清路(せいじ)(こう)の新緑の瞳を見つめて、小さく笑った。そこにそれまでの親近感はない。
「混血とはいえ、さすがに生身は迫力が違う。あらためて見ると、純血とも遜色ないほどだ」
「清路」
 紅は眉をひそめた。スウィッグから降りかけていた足がとまる。
「何の冗談だよ」
「冗談? まさか。商売に冗談などない。あるのは本気とはったりだ」
「は。なんだそれ。意味がわかん――」
「友情を信じるか。それもいいだろう。だがその代償は安くないぞ」
 清路は紅の言葉を遮って、低い声で口早に言った。躊躇いなく、滑るように吐き出される一語一語が、紅の思考の歯車に楔を打った。清路は紅の混乱を見定めて、再び口を開いた。
「純血でなくともそれだけの色が出るなら、あとは研磨師の腕で輝きもごまかせるということか。思いのほか、混血龍眼(りゅうがん)の流通量は多いのかもしれないな。次の取引の参考にさせてもらうよ」
「清路……」
 紅は立ち去りかけた清路の服を掴んで、引き止めた。振り返った清路に再会の笑みはもうない。
「離してくれ。服が傷む」
 清路は両手を服に突っ込んだまま、静かに言った。紅を見下ろす瞳には、鈍い光が宿っている。紅はその光の正体を知っていた。子供の頃から向けられていた視線だ。
「つっ……」
 紅は舌打ちにもならない息をもらして、清路から手を離した。外していた眼鏡をかける。清路はよれた上着を直し、髪をかきあげた。紅も清路も、ともに相手を見ようとはしなかった。
 由稀(ゆうき)に二人の会話の内容はわからなかったが、紅を見ていれば彼が今どんな思いでいるのかよくわかった。由稀は自分の内側で生まれる激情が弾けて、飛沫が凍りついていくのを、とめることも煽ることもなく静観していた。体から余分な力が抜けて、腕がだらりと垂れる。肌に触れる空気までが体の延長のように感じられた。怒りが、放たれるために最も効率的な仕方を選んだのだった。
 由稀は睨むでもなく清路を注視した。清路もそれに気付いている。由稀には心なしか清路が愉しんでいるようにも見えた。試されていると感じ、由稀はさらに静寂を身にまとった。緊張と緩和が体を行き来する。かつて久暉(ひさき)に体を乗っ取られたときのことが頭をよぎった。久暉もこうやって鬼使(きし)の前に立っていた。
 捉えどころのない由稀の佇まいは、むしろ不気味だった。清路は由稀の研ぎ澄まされた視線を、軽やかに受け流す。しかしその軽快さは不快の裏返しだ。
「はん。やっぱり十和といるとツキを持っていかれる」
 清路は髪をかきあげて、気だるく舌足らずに呟いた。何事もなかったように、愈良(ゆら)十和(とわ)に軽く手を上げる。
「行くぞ」
「はい」
 愈良は溌剌と返事をして一歩踏み出したが、つまずいてたたらを踏んだ。振り返って見ると、詩桜(しおう)の足が前に飛び出ていた。
「お前、いい加減に……!」
「待ちなさいよ。あんた、絆清会(ばんせいかい)の清路なんでしょ」
 詩桜の声に清路は立ち止まった。
「総統に向かってなんて口のきき方を」
 愈良は詩桜の服を掴み上げる。だが詩桜は冷ややかに愈良を見返し、彼の顔を引っかいた。愈良は無様な悲鳴を上げて、尻餅をついた。
 清路は肩越しに詩桜を振り返り、鉛のように濁った目で彼女を見遣った。
「君が噂のお嬢さんか」
「知っているなら話が早いわ」
 詩桜は仁王立ちになって腕を組み、清路を見上げた。光の加減によって、詩桜の瞳は若葉色にもなる。由稀は危険を直観し、詩桜の前に背を向けて立ち塞がった。影が詩桜を覆う。
「邪魔しないでよ」
「するよ」
 由稀は詩桜を振り返らずに言った。否、振り返ることが出来なかったのだ。受け止めるには重い視線が由稀にのしかかる。対峙したことを後悔しそうになる。弱気になればその隙を、仕返しとばかりに抉じ開けてくる。強引な踏み込みだ。だが考えてみれば、鬼使の比ではない。清路の抱える闇も罪も、所詮は人の範疇だ。耐えていれば、いつしか慣れる。
「馬鹿じゃないの。相手は絆清会よ」
 詩桜は由稀の腕を抱え込んで強く引いた。だが由稀はその場からびくともしない。
「ちょっと、由稀」
「確かに俺は馬鹿かもしれない。でもそれなら詩桜も同じだ。詩桜は詩桜が言う馬鹿な行為を、俺より随分と先にしてる」
「だけど由稀には関係ない話――」
「だったら、関係持たせてよ」
 由稀は詩桜の言葉を遮って言った。
「俺は、詩桜がそこまで言う相手を、聞き分けよく近づけるわけにはいかないから、さ。それだけあれば理由には充分だろ」
 腕にしがみつく詩桜の手を優しく外して、由稀はそっと笑いかけた。詩桜は思わず黙り込んだ。あまりにも害のない微笑みが、むしろ異様だった。
 由稀は清路に向き直った。
「そっちにはそっちの事情があるんだろうけど、女の子ひとりの願いも聞いてあげられないのは、それは事情なんて言わない。勝手な都合だろ。自分たちにとって都合が悪いから、詩桜と友達を会わせられないんだ。違うか」
「何の話をしてる!」
 愈良が由稀に向かって進みかけたが、清路が手で制した。由稀は愈良を一瞥して続けた。
「別にそっちの都合があっても構わない。でも、それならそれで、他にやり方があったんじゃねえの。この前だって、そこの二人で脅したりして大人気ないよ。俺はこの街のことを知ってるわけじゃないけど、そんなことでやっていけるような緩い場所じゃないんだろう」
 顎で街を指し、由稀は内心を押し隠して静かに言った。激情はすぐにも首を出そうとするが、流されればこの場は押し切られる。少しでも客観的な目をもって清路の出方を読まねばならない。だが、それは容易なことではなかった。
 清路の表情は一向に変わらない。由稀には彼の出方が読みきれなかった。おそらく虚勢はばれている。意識の内に、見えない枷がまだある。迷いが浮き沈みする。鼓動が喉まで競り上がってくる。背中を冷たい汗が落ちる。呼吸を整えるのも限界だ。
 街はまるで時が止まっているようだった。灰色の空には凹凸も変化もなく、手を伸ばせば届くようにも錯覚する。由稀らの他に人影はなく、風に舞う塵すら見えない。街は作為的に停止していた。