THE FATES

5.無垢(19)

 思考の裏側に、出会った頃の紅が思い出された。人を食ったような態度で、無気力な目をしていた。人との関わりを極端に嫌い、構われることを頑なに拒んでいた。
 だが彼は同時に友というものに対して、異様な執着を見せていた。友達であることを安心して信じられる相手を求めていた。そのために、裏切る瞬間を探し、試すような目で皆を見ていた。
「最初から、そんなつもりじゃなかったんだろ。ごっこなんて、そんな」
「まあ、そうだな」
 紅は他人事のように相槌を打つ。だが羅依には、紅の悪意は感じられなかった。紅は清路と友達ごっこをしようとしたわけではない。ただ、由稀に出会ってしまっただけだ。
「紅にはどうしようもないよ、たぶん」
「でも都合は悪いかもな」
「何の都合」
「この目」
 紅は新緑の瞳を無邪気に指差した。
「清路は孤児でさ、赤ん坊の頃にはもうあの世界にいたんだ。絆景を仕切る組織の世界に」
絆清会(ばんせいかい)ってやつか」
「それは多分、清路が興した組織だな。その前身か、もう一つ前身か」
 目の前にある籠の蓋を指で弾いて開け閉めする。梅煉に見つかれば、おそらく怒られる。
「龍羅飛の目は、特殊な磨きをかければ宝石になる。昔から絆景はその取引が盛んで、陣矢(じんや)……あ、城にいる俺の世話係にも、絆景には近付くなって言われてきた」
「龍眼だろ。あたしも知ってる。賞金稼ぎの間でも話題になってたから」
「へえ。アミティスでも。おい。なのによくも眼鏡壊してくれたよな」
 紅は腰を浮かせて、羅依に詰め寄った。羅依は手を振って、ぎこちなく作り笑いを浮かべた。
「ご、ごめんってば」
「まあ過ぎたことだし、いいけど」
 そう呟くと、紅は眼鏡をかけ直し、籠をスウィッグからおろすと、自分が籠のあった場所に座った。
「昔から清路は器用で、教えたことはすぐに覚えた。昔言葉も、俺が教えたんだ」
「それで。でもどうして」
「絆景にも、それから桟楽(さんらく)にも、昔言葉を使う他種族がいるから」
 背中を壁に預けて、紅は喉をそらした。普段は幼さの残る顔だが、横顔は一層端整で思わず見とれる。羅依は我に返って自分の頬をつねった。首筋の凹凸が、よく似ていた。
「よほどのことがない限り、孤児なんて生きていけない」
「うん……」
 頷いて、羅依は自分の歩んできた道を振り返る。母を喪ってから、賞金稼ぎとして過ごした日々は、休まるときなどなかった。どんなに気を緩めたつもりになっても、小さな物音ですら過剰に反応した。国や状況は違えど、羅依には清路の感性が想像できた。そして彼の瞳に宿っていた鈍い光にも納得がいった。
「利用されて殺されるか、見捨てられて野垂れ死ぬか。清路はそう言って、へらへら笑ってた」
「そこを生き残ったんだから、あの人は相当すごいことになるな。自分で組織を興すまでなって」
 羅依は脚を抱え込み、爪先についた砂を払う。転落したときに傷つけたのか、飾りについていた紐が片方なくなっていた。羅依は紅に聞かれないようにため息をついた。
「羅依」
「な、なに」
 驚いて振り向くと、紅はスウィッグの鍵を指で回しながら、何もない宙を虚ろに見つめていた。
「俺、きついことに気付いた」
「え」
「今の今まで、あいつが龍眼運んでたから都合悪いって、俺のこと覚えてたら取りに来るかもしれないって思って。それだけだった」
「他になにか?」
「俺は、すでに怖かったんだ」
 爪に引っかかって、鍵が落ちる。紅は固まったように動かないので、羅依が腕を伸ばして鍵を拾った。大小の窪みがあるスウィッグの鍵は、小さいながらも重量感があった。
「不気味だった。へらへらと笑いながら、俺の目をきれいと言うあいつが。たとえあの時の清路に俺の目を抉る力がなくても」
 紅は羅依の手元を見つめて言った。
「俺は頭のどこかで知ってたんだ。清路が褒めてるのは俺じゃなく、俺の龍眼だと」
 腰に下げた鞄から煙草入れを取り出し、紅は煙草に火をつけた。爽やかな香りが風に流れる。
 自ら蓋をした感情に気付き、紅は妙にさっぱりとしていた。羅依はそれを見つめながら、切なさに眉を寄せた。紅は言い聞かせようとしている。何もかも最初からわかっていたことだと、自分の中にあった不安や悪意を膨らませ、現実を受け入れようとしている。
 ごまかせば、後から倍になって返ってくるとは、今の紅には言えなかった。
「紅……」
「違和感、夢のせいにしたけど」
 置いていかれたのではない。置いてきた世界だと思いたい。
「でもこれって、夢見たって言わねえよな」
 紅は呆れたように笑う。
「ていうか、違和感じゃなく、恐怖だし。情けねえな、俺」
「そんなことない。恐怖をきちんと感じられるのは、大事なことだ。それがなくなったら、無駄死にする」
 たくさんの死を見てきた。その多くは過信と無謀が引き起こしたものだった。
 羅依は紅の手に、鍵を返す。紅はそれを目の高さに掲げた。
「恐怖が、生き残る鍵ってことか」
「まあ、大げさに言えば」
「じゃあ、あいつも恐怖を感じるのか」
 紅は呟くように言った。聞かれたくない思いと、知りたい気持ちが拮抗している。
「あいつって、清路?」
 問いながら、羅依は正解ではないと知っていた。紅が首を振る。
「あいつだよ、あいつ。俺と同じ目をしたあいつだよ」
「それは、どうかな」
「なあ。羅依は鬼使って名前、知ってるか」
 羅依は思わず紅を振り向いた。息を呑んで、胸元を押さえる。
「し、知ってる……」
「あいつの別名だって聞いた。けど誰も、それ以上のことは教えてくれない。お前にならわかるのか」
 他意がないだけ、紅の言葉は残酷だった。
「紅よりは、たぶん」
 羅依は顔を逸らして小さな声で言った。
「教えろよ。どうして鬼使なんて呼ばれてんだ」
「知らない!」
 腕を掴んでくる紅の手を振り払い、羅依は強く言い切った。
「は。どっちなんだよ」
「知ってることもあるし、知らないこともある。知ってても、言いたくないものは言いたくない。思い出したくないんだ」
 早口でまくし立てると、興奮で息が乱れた。羅依は胸を上下させて呼吸を整えた。横目に紅を見ると、居づらそうに前髪をいじっていた。羅依は罪悪感に急かされた。
「あ、あの……鬼使に会ったことは、ある」
「会う? どういうことだよ。あいつのことじゃねえのかよ」
「鬼使は、瞬であって瞬じゃない。そうとしか、言えない」
 背中に恐怖がよみがえる。羅依はじっとしていられず、勢いよく立ち上がった。眩んで、壁に手を付いてこらえる。目を開けると、下から紅が見上げていた。羅依はあからさまに視線をそらした。
「わかったよ。無理強いはしねえよ」
 いつもの投げやりな口調に、羅依は安心した。
 紅は首を振って立ち上がり、明るいため息をもらした。
「あーあ。羅依に愚痴る日が来るとは思ってなかった」
「あたしも。紅に愚痴られる日が来るなんて思ってなかった」
「は。何。むかつく」
「でも、嬉しい」
 煉瓦の壁に凭れかかって、羅依は紅の肩を拳で押した。紅は眉をひそめて振り返る。
「そういう返答は由稀だけにしてくれよ」
 紅は煙草を口にくわえ、籠を抱えて地下へ続く階段へ向かった。