THE FATES

6.切願(1)

 空に雲はない。光は遮られることなく地上に満ちた。どこまでも続く青は、水平線へ近付くにつれて淡く、消え入るようだった。
 亜須久は港で加依を見送り、宮殿への帰路にあった。数日前には玲妥らを送りに、街外れまで赴いたところだ。ネリオズ宮殿には、軍に所属している葉利(はり)世維(せい)を除けば、自分一人になってしまった。
 大陸最南端のこの地へ初めて訪れてから、一年近くが経とうとしている。潮風の湿り気には随分と慣れた。まつわりつく感触はわずらわしいものだが、不思議と嫌いではなかった。海原を眺めて潮風に晒されていると、ざわつく心もいつしか空っぽになっていく。光と風に溶けて消えてしまいそうになる。それが強引であるほど心地よく感じられた。
 港の鐘が鳴り、魚を啄ばんでいた鳥たちが一斉に羽ばたいた。
 久し振りに味わう独りきりの時間は、あっけないほど身軽なものだった。
 港から宮殿の姿は見えるが、歩くには遠い。荷の少ない荷馬車を探そうかと思ったが、声をかけるには至らず、見送って歩き出した。
 しばらくは庇と砂利道が続いていた。日陰には大きな生簀が据えられている。商人らは生簀の周りに集まって、値段交渉に余念がない。魚を入れた桶があちらこちらを行き交っているのに、砂利のおかげで水溜りがなく歩きやすかった。踏みしめるたびに小石がこすれ合って、太く疎らな音がした。
 海鳴りに、ため息が混じる。
 竜樹(りゅうじゅ)へ行くと言ったものの、亜須久は迷っていた。
 由稀らがアミティスを発って、既に五日が経っている。天水との時間差を考えれば、いつ帰ってきてもおかしくはない。もし自分までもここを離れては、彼らを迎える者がいなくなってしまう。
 砂利道が途切れて、靴裏にやわらかい感触が迫った。眩しい新緑の地面には、くっきりと轍が残っている。土は強い日差しにすっかり乾き、青々とした雑草が生えてくる気配はない。
 俯いた視界の端に、真っ青な世界が覗く。亜須久は顔を上げて、道から逸れた。緩やかな坂を大股で下りていき、砂浜にたどり着く。足元は不安定で、踏み出すたびに膝が揺れた。腕は刺すような光に当てられて熱くなった。体中から汗が吹き出す。手を翳して海と空との境界を見つめた。加依が乗った船は、もう見えない。宮殿を振り返ってみても、芽生えた孤独は消せない。戻る先にも、誰もいないからだ。
 なぜ。いつも自分は見送る立場に回るのだろう。
 両親の生死を、兄らの勝手を、愛した人の最期を見送った。なぜいつも置いていかれる。なぜ、我侭に生きられないのだろう。振り回されて、自我を奪われ見失い、気付けば独り残されている。
 家から、梗河屋から、解放されることを願っていた。だからこそ青竜の話にも乗った。その真偽など、どうでも良かった。自分で自分の生きる道を決められるなら、どんなことでも乗り越えられると思ったのだ。
 自分で選んだ入り口の、そこから続く道先に亜須久は立っている。その実感がないわけではない。だが、振り返った来し方に入り口は見えない。轍は霞んでぼやけている。
 竜樹へ行かずとも、調べられることはある。自分がここに留まって、皆と連絡を取れるようにするべきだ。だが亜須久の心はそれを望んでいなかった。一度、竜樹を見てみたかった。竜族の血を引く亜須久にとって、そこはもう一つの原点でもある。
 目を閉じると、潮の濃い香りに包まれた。ここを海中と錯覚する。どんどん沈んでいく。深く深く、沈んで、沈んで。輝く水面から遠ざかって、息が途切れていく。
 耳鳴りがして、慌てて目を開いた。不意に、山から吹きおろす橙亜の風が懐かしくなった。